『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第1章「大山と大山三ッ峰周辺」

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▼14:大山の修験道

【本文】
 丹沢の大山は、関東平野一帯から見ることができ、また相模湾
からも望まれるその姿は、古くから信仰の山として崇拝されてき
ました。雨が多い山として、雨降(あふり)山、阿夫利(あふり)
山ともいわれ、山頂には大山祇(おおやまずみ)神をまつる阿夫
利神社本社があります。また中腹には同下社があり、その下には
関東三大不動尊(※成田山新勝寺、高幡山金剛寺、3つめには大
山寺を含むいくつかの説がある)の大山寺があります。


 太平洋戦争後、大山山頂の発掘調査で縄文土器のほかに、土師
器と須恵器がが出土しました。これによって大山の信仰の歴史は、
縄文時代後期からはじまったとされています。ただ、土器などは、
後世に修験者が持ち込んだとする説もありますが……。それはと
もかく、ふもとの村人は、大山をこの世とは別の世界と考えてい
たようで、人間が死ぬと、霊魂は大山に飛んで行き、お盆に村に
下りてくると信じました。つまり、大山はこの世と、神の世界とを
結びつける通路と思われていたようです。


 奈良時代になり、天平勝宝7年(755)、良弁僧正が開山したのち
は、修験道場として栄え、多くの山伏たちが修行に励む山になりま
した。修験道の祖・役小角(役行者)の伝記を著した『役行者本
記』(第四小角・経歴の部)に、「天武天皇元年(673)、癸酉(み
ずのととり)、小角は四十歳。……駿州の富士、相州の足利(矢倉
岳)・雨降(丹沢大山)・箱根、伊豆の天城、常陸の筑波、信州の浅
間岳、甲斐の駒ヶ岳、鳳凰山、近江の息吹山(伊吹山)などを巡っ
て、四十数日の後、八月上旬に葛城山に帰ってきた」とあり、大山
にも来たと記してあります。


 こんな山ですから大山は修験道に関係の深いのももっともです。
そもそも修験道とは、山岳修行を通して、超自然的・霊的能力を獲
得しようとする宗教。遠く奈良時代には、多くの優婆塞(うばそく)
(※国家試験を受けずに、自ら僧侶になった者)(役行者も優婆塞
です)たちが、山に入って修行をしています。


 平安時代になると、いままで都市での仏教の「天台宗」・「真言
宗」のような密教の行者たちも山の中で修行するようになりまし
た。熊野三山・金峰山・大峰山など各地の名山が、修行の山として
知られるようになりました。この新しい宗教は、神仏混交の「修
験道」と呼ばれ、その行者を修験とか山伏といいました。


 そして天台宗は和歌山県の熊野山を「本山派」の根拠地にし、
真言宗は金峰山を「当山派」の根拠地にして、全国各地に大和金峰
山に対するそれぞれの「国御岳」(くにみたけ)をつくって、それ
ぞれの地域へ信仰の浸透を計っていったという。相模国でも「大
山」、「箱根山」、「八菅山」、「日向山」、「石老山」、「高麗寺山」、「河
村山」などを、それぞれ中心として発展していきました。


 なかでも大山は、相模国の中心道場の「国御岳」として、全国
各地に知られるようになりました。修験の山として、山頂の石尊
社に「神」をまつり、中腹の不動堂は「仏」をまつり、僧侶・神
官・修験者がこの運営にあたっていました。文明18年(1486)(室
町時代後半・戦国時代)、全国山伏の総元締め聖護院藤原准后道興
というエライ人が、100人あまりの山伏を引き連れて大山に礼拝す
るためにやってきて、大山寺に泊っています。


 また天台宗寺門派の僧で歌人、大僧正・大阿闍梨隆弁(りゅう
べん)という人が、『夫木和歌抄』に「相模国御岳山」奉納の歌と
して、大山について次のような歌を詠んでいます。「古の吉野を移
す御岳山 黄金の花もさこそ咲くらめ」。このように大山は、相模
国の山岳修行の中心道場として、大いに栄えたことを物語っていま
す。


 大山を行場とした修験は、上記のような大山修験(当山派)のほ
かに、大山東方山中の日向修験(本山派)と、東北東山ろくの八
菅修験(本山派)があります(『古代山岳信仰遺跡の研究』。大山
はもともと華厳、真言、天台と三宗の兼学道場とされていましたが、
近世に入ると幕府の政策により、強制的にこのように、本山派、
当山派の2派に配分されたという。


 日向修験(本山派)は、日向薬師とよばれる日向山霊山寺を本
拠とした修験です。霊山寺は「縁起」に行基開山と伝える古刹。
大山と同様、源頼朝の尊崇を受けたという。室町(戦国時代)の
文明18年(1486)に、聖護院の道興准后(どうこうじゅごう)(※
室町時代の僧侶で聖護院門跡・皇族貴族が出家して住んだ格式の高
い寺院僧)が、大山と霊山寺に立ち寄っています。


 その『廻国雑記』には「宿(二)相州大山寺(一)。寒夜無(レ)眠
(※大山寺での夜は寒くて眠れなかった)。而閑寂之余。和漢両篇
口号」、「北山を立出て霊山という寺(※日向山霊山寺)にいたる。
本尊は薬師如来にてまします」と出ているように格式が高い。


 1962年(昭和37)に発見された『峯中記略扣(控)』(ぶちゅう
きりゃくひかえ)という古文書に日向修験の峰入りのコースが書か
れています。3月25日から入り、門戸口で里人の見送りを受けた
修行者の一行は、辺りの小屋に一泊。雨具以外は一切なく、むしろ
一枚だけの修行行脚。表尾根にとりついて途中一泊します。


 そして烏尾山、行者岳、新大日、塔ノ岳から丹沢山から主脈を
たどって一泊。さらに蛭ヶ岳を経て青根から日向薬師に帰院とあり
ます。修行者たちは、一人一升の焼米を持ち、5日は野宿という尾
根伝いの筆舌尽くしがたい難所コースであったと記されています。


 一方、八菅修験(本山派)は、愛川町の八菅山を拠点に活動す
る修験。八菅神社の境内から発掘された遺物から、八菅山成立の年
代上の上限は平安末期と考えられているようです。かつては「春の
峰」と「秋の峰」の入峰があったそうですが、「秋の峰」は永禄3
年(1560)に途絶えてしまいました。しかし「春の峰」は、明治5
(1872)年に修験道が廃止されるまで続けられています。春の峰は、
2月20日から4月8日までの49日間。八菅から大山までの30ヶ
所の行所(修行の場)を拝しながら、修行行脚を行います。


 30の行所というのは、(1八菅山禅定宿、(2幣山(へいやま)
荼吉尼天岩屋、(3屋形山、(4平山、多和宿、(5滝本、平持宿、(6
宝珠岳、(7山神、(8経石岳、(9華厳岳、(10寺宿、(11仏生谷、
(12腰宿、(13不動岩屋、(14五大尊岳、(15児ヶ墓(※いまの辺
宝山)、(16金剛童子岳、(17釈迦岳、(18阿弥陀岳(※いまの三峰
の北峰)、(19妙法岳(※いまの三峰の中央峰)、(20大日岳(※い
まの三峰の南峰)、(21不動岳、(22聖天岳、(23涅槃(ねはん)岳、
(24金色岳、(25十一面岳、(26千手岳、(27空鉢岳、(28明星岳、
(29大山寺本宮、雨降山(大山山頂)、(30大山寺白山不動(大山
不動堂)の30ヶ所。


 行者たちは最後の大山寺で行を終えると、平地を通って八菅山に
帰り幣山に弊を納めました。八菅山では男子は13歳になると、峰
入りすることが義務づけられていたという。また峰入りの時は水盃
(みずさかずき)をして別れ入山。家族や親類に死者が出たような
時以外は下山できなかったという。こうして修験者たちは庶民のた
めに、治病・除災のまじないなどの儀礼を行いました。


 このような大山の修験道も、明治元年(1868年)の神仏分離令
と、つづいて起きた廃仏棄釈の嵐で、大山寺は取り壊しにされ、そ
のあとに阿夫利神社の下社が建てられました。明治18年(1885年)、

大山寺はいまのところ(来迎院の跡地)に、明王院として再建され、
さらに大正4年(1915年)に観音寺と合併ということで、再び「大
山寺」を呼ばれるようになりました。



▼大山【データ】
【所在地】
・神奈川県伊勢原市と厚木市・秦野市との境。小田急小田原線伊
勢原駅の北6キロ。小田急伊勢原駅からバス、大山ケーブル駅か
らケーブル利用下社駅下車、さらに歩いて1時間30分で丹沢大山。
三等三角点(1251.7m、現地確認)と写真測量による標高点(1252
m・標石はない)と阿夫利神社奥社と電波塔がある。地形図に山名
と三角点の標高、標高点の標高、阿夫利神社の建物の記号と電波塔
の記号の記載あり。
※「地図閲覧サービス」と「電子国土ポータルWebシステム」地形
図には三角点と標高点があるが、「基準点成果等閲覧サービス」地
形図には両方とも記入がない。
【ご利益】
・阿夫利神社:御利益:豊作祈願・無病息災・家内安全・防災招
福・商売繁盛などの祈願。とくに水に関係のある火消し・酒屋、
またご神体の刀に関係のある大工・石工・板前などの商売繁盛の
祈願)。
【位置】
・大山標高点:北緯35度26分27.09秒、東経139度13分52.22秒
・大山三角点:北緯35度26分26秒.9251、東経139度13分53秒.1146
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」



▼【参考文献】
・『役行者本記』:『役行者伝記集成』銭谷武平(東方出版)1994年
(平成6)に収録。
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『古代山岳信仰遺跡の研究』大和久震平著(名著出版)1990年(平
成2)
・『山岳宗教史研究叢書・8』(日光山と関東の修験道)宮田登・
宮本袈裟雄編(名著出版)1979年(昭和54)
・『山岳宗教史研究叢書・17』(修験道史料集・T)五木重編(名
著出版)1983年(昭和58)
・『日本歴史地名大系14』(神奈川県の地名)(平凡社)1984年(昭
和59)

 

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【とよだ 時】 山の画文著作
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【ゆ-もぁ-と】制作処
山のはがき画の会

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