『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第1章「大山と大山三ッ峰周辺」

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▼09:大山にもいた雷獣

【略文】
丹沢の大山は雨降山といわれるくらい雨が多い山です。その昔、雷と一
緒に雷獣が落ちてきたという伝説があるのも納得です。江戸時代の1765
年(明和2)、猫よりは少し大きく、イタチによく似ていて爪が5つあったと、
当時の『震雷記』という書物に記されています。
・神奈川県伊勢原市と厚木市・秦野市との境。

▼09:大山にもいた雷獣

【本文】

 奈良時代の霊亀2(716)年、行基菩薩が関東に来た時、国分寺や日
向薬師を造立しました。その後、大山も開山しようとしましたが果たせな
かったといいます。奈良時代も後期になり天平勝宝7年(755)、奈良東
大寺別当の良弁(ろうべん)というお坊さんが開山したといわれていま
す。


 大山とは山頂にまつられている大山祇神(おおやまづみのかみ)・山ノ
神の名からついた名前だそうです。相模地方にあるので相模大山とも呼
ばれています。また雨降山、阿倍利山、阿夫利山などと書き、「あふり、
あぶり」と読んだりもします。


 その山名の由来についてはいくつかの説があります。まず、頂上にい
つも雲がかかっていて、雨がよく降るからという説。次にアイヌ語のアスプ
リ(偉大なる山という意味)が、なまってあぶりやあふりになったとの説。ま
た、古代には「しかばね」を山に葬る(はふる=ほうむる)習慣があったと
いい、「はふり山」に転じたという説もあります。大山はまた相模の国御(く
にみ)岳で、昔から農神、海神とされ、信仰された山です。「国のみたま
が、吾路山命(おおやまのみこと・大山祇神)を生んだ」と地元の神話に
あるそうです。


 さて山の昔話を調べていると、時々不思議な動物が発見されたことが
書かれています。江戸時代中期の明和4(1767)に出版された、『震雷
記(雷震記)』(しんらいき)という書物にもこんなことが記されています。


 「明和乙酉(※きのととり)秋七月下旬。雷震(二)於相州雨降山(一)。雲
雨晴散忽見(二)一獣(ヲ)(一)。其貌似(レ)(ニ)而甚大色少黒。長自頭至(レ)
尾二尺五六寸許。相傳此物。天晴明(ナレバ)則温柔而可(二)馴豢(一)。天
(レバ)則躁動而不(レ)(レ)近。土人捕(二)之籠(一)(二)於東都両国橋
(一)。人(二)(一)(レ)(二)觀之(一)。余(モ)亦就而視(レ)(ヲ)」……。漢文
で読むのも難儀ですが、だいたいこんなことが書いてあるようです。


 「明和乙酉(※明和2年、1765年)の秋七月下旬、相州の雨降山で雷
があって、雨雲が晴れたあとに見てみると獣が一匹いた。その形は鼬(※
いたち)に似ていてはなはだ大きく、色が少し黒かった。頭から尾っぽに
までの長さは二尺五、六寸(※75センチくらい)。伝え聞けば、これは空
が晴れている時は飼い馴らすこともできるが、空が陰ると騒ぎはじめ、近
づくことができないという。土地の者が捕まえて籠に入れ、東京の両国橋
で見せ物にしたという。自分もこれを見た……。」。


 また、『日本未確認生物事典』は「雷獣」の項に、『和訓栞』の文として
「一とせ暴風の後、山より流れ出る獣二あり。大(き)さ小犬の如く灰色に
て長き頭、嘴(くちばし)半ば黒く、尾は狐より太く利爪(りそう)鷲のごと
し」。また「明和乙酉(※きのととり)(二年、一七六五)の七月に相州雨降
山(大山)に落ちたるも猫よりは大きく、ほぼ鼬に似て色鼬より黒し、爪五
つありて甚だたくまし。


 先年岩附に落ちたるもほぼ似て胴短く色灰白色也といひ、又尾州知
多郡の寺に落ちて塔にうたれ死にたるも、鼠色にて犬の大きさ也といへ
り」とあります。さらに1927年(昭和2)には、神奈川県丹沢大山で雷が落
ちた時、奇妙な動物が発見されました。


 アライグマに似てはいますがはっきりせず、雷鳴がおこるごとに奇妙な
行動をするので、「雷獣」ではないかとうわさされたという話もあります。こ
のような雷獣は雷が鳴っている時、または雷が落ちた時にあらわれる異
獣のことで、とくに江戸時代の本に多く記載されています。


 江戸時代の寛政10年(1798)刊の『遠山奇談』(とおやまきだん)とい
う本にも、「たてしな山(蓼科山・長野県)雷獣雷鳥の事」という話で載って
います。『遠山奇談』は天明8年(江戸後期・1788)に炎上した京都東本
願寺再建のため、遠州浜松の齢松寺の僧・浄林坊辨惠(筆名華誘)らが
長野県遠山地方に材木を探し求めに行った時に出会った、不思議なで
きごとを記したものです。


 その後編「巻之四」第二十一章に、「さて又、此山に異獣あり。夏雷雨
の起る時、小獣嚴に、あらはれ雲を望み、飛で雲に入。其勢ひ、絲を引
ごとく火を顕し、數十疋須臾(しばらく)の間に、雲に飛入やいなや、夕立
して雷鳴する。あるとし、何としたりけん、此小獣夕立のゝち、山より死して
流れいづるを、人こぞりて取あげ、みるに、かの獣なり。


 しかも二疋あり。大きさ小犬のごとくにて、灰色。毛松葉の針のごとく、
手をさへるに、いらつきて手掌痛し。頭長く鳥のごとく成口ばしあり。嘴は
半Kし。尾は狐のごとく、ふつさりとしたり。利爪(つめ)は鷲よりもたけく、
深山大木などに、爪の痕あるものは、決して是也」とあります。


 その爪の形から深山の大木などに、爪の痕があるのはまさしくこの獣の
ものに違いないとしています。また同書は土佐の国ではこの動物を捕ま
えて雷汁といい、料理して酒のさかなにして喰ったこともあったという。ま
た江州(滋賀県)鏡の宿でもその獣を捕まえたときは見物人が市をなした
と書いてあります。


 それより50余年前の宝暦年間(1751〜64年)の江戸時代の百科全
書『越後名寄』(※えちごなよせ)にも次のようなことが出ています。「安永
(1772〜80)のころ、松城(松代のことでしょうか?)の武家の屋敷に落
雷があった。


 その時一緒に獣が落ちてきた。捕まえてみると大きさも形も猫に似てい
た。天気のよい日は頭を下げて眠っているが薄暗い風雨の日には元気
になる。天から落ちた時足を痛めたため天に帰れず捕まってしまった。傷
を治してやってから放してやった」という。


 こちらは同じく江戸後期の百科事典『類聚名物考』(※るいじゅめいぶ
つこう)(山岡 浚明)によれば、1771年(明和8)年に、江戸で雷獣を飼
っている者がいて「其の形を見るに土龍(もぐら)の蠢(うごめ)くが如く狢
(むじな)に似て胸より腹の体ムササビの如し。額通毛白く鼻のさき野猪に
ひとし。


 甚だ眼光利し、目際黒く眉なし。歯は細にして牙はなし。鼻先より尾筒
まで二尺五寸余、尾の長さ七寸五分と書かれています。また四足爪鷹の
如く長さ九分、餌蛇螻蟇蜘を食ふよし、されど飯を飼うによく食ふとなり。
など細かく観察しています。


 江戸中期の歌人・文章家・伴蒿蹊(ばんこうけい・1733〜1806)の随
筆「閑田次筆」には顔は獅子?の如く背中に長い毛が生え手足にうろこ
があり、それぞれ黒い2本の爪が生えた図が載っています。その他『玄同
放言』(滝沢馬琴)や『甲子夜話』(靜山松浦清)、『駿国雑志』(阿部
正信)などにも記載されています。


 山中ばかりでなく町中でも、落雷があるたびに落ちているので、この雷
獣を駆雷(かみなりかり)とか、けりそり・千年鼬(いたち)・雷牝(らいひん)
などと呼ぶという。さらに岡山県で雷の祈祷をしたところ松の木に落雷し、
怪獣がうろついていたという。それを僧が捕まえて、以後害をしないとの
誓約させて放させました。そのお陰でこの村は落雷の被害がないと伝え
ています。


 またまた、『房総雑記』に、「安房の国二山(ふたつやま)に於いて、毎
年雷獸を蒐(か)りしこと三才図絵(『和漢三才図会』)に見えたり。二山の
名分明ならねども、恐らくは富(※富山・南房総市)、御殿(※御殿山・南
房総市)の二山を指すならん、如何となれば今に正月六日領主酒井候よ
り富山に上がる例を存す。又安房旧跡考に御殿山にて古昔雷獸を捕
へ、これを食ひしと見えたり。


 雷獸の形五雑俎(ござっそ・五雜組)及び捜神記(そうじんき)等に據
(よ)るに数種あり、且(かつ)此(この)獸を食せしこと、土佐の風土を記し
たるものに、海邊にて雷雨起こらんとするとき岩上に小獸ありて走る、土
人鳥銃を以て打ち獲て食ふと、又漢土にても雷州に雷獸多し、人捕へて
食すと云へること、李肇か国史補に見えたり」とあります。


 これらは、イタチやムササビリスなどの動物が落雷に驚いて木や屋根
の上から落ちたものでしょうか、それとも当時はいまは絶えてしまった異
獣がいたのでしょうか。



▼大山【データ】
【所在地】
・神奈川県伊勢原市と厚木市・秦野市との境。小田急小田原線伊
勢原駅の北6キロ。小田急伊勢原駅からバス、大山ケーブル駅か
らケーブル利用下社駅下車、さらに歩いて1時間30分で丹沢大山。
三等三角点(1251.7m、現地確認)と写真測量による標高点(1252
m・標石はない)と阿夫利神社奥社と電波塔がある。地形図に山名
と三角点の標高、標高点の標高、阿夫利神社の建物の記号と電波塔
の記号の記載あり。
※「地図閲覧サービス」と「電子国土ポータルWebシステム」地形
図には三角点と標高点があるが、「基準点成果等閲覧サービス」地
形図には両方とも記入がない。
【位置】
・大山標高点:北緯35度26分27.09秒、東経139度13分52.22秒
・大山三角点:北緯35度26分26秒.9251、東経139度13分53秒.1146
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」



▼【参考文献】
・『越後名寄』(えちごなよせ)丸山元純:江戸時代の中頃、1756年(宝暦
6)に著わされた越後にかかわる百科全書
・『甲子夜話1』松浦靜山(東洋文庫)校訂中村幸彦ほか(平凡社)
1989年(昭和64)
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『閑田次筆』(かんでんじひつ)伴蒿蹊(ばんこうけい)(出版:野田次兵
衛ほか)1806年(文化3)
・『玄同放言』(げんどうほうげん)滝沢馬琴:(前編1817年(文化14)発
行・後編1820年(文政3)発行)
・『山岳宗教史研究叢書・8」(日光山と関東の修験道)宮田登・宮本袈裟
雄編(名著出版)1979年(昭和54)
・『駿国雑志」全49巻(阿部正信)1843年(天保14):江戸時代の駿河
国の地誌。
・『遠山奇談』華誘居士:『日本庶民生活史料集成』第16巻(奇談・紀聞)
(山一書房)1989年(平成元)に所収
・『日本未確認生物事典』笠間良彦(柏美術出版)1994年(平成6)
・『房総雑記』(楓江(ふうこう)・嶺田雋(せん)士徳著)明治16(1883)年
・『類聚名物考』(第6冊)山岡浚明(近藤活版所)明治36(1903)年
・『和訓栞』(一)谷川士清(ことすが)著(岐阜成美堂蔵版)明治31
(1898)年
・『震雷記(雷震記)』(しんらいき)後藤光生(東都須原屋茂兵衛)明和4
(1767)

 

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【とよだ 時】 山の画文著作
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【ゆ-もぁ-と】制作処
山のはがき画の会

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