『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第1章「大山と大山三ッ峰周辺」

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▼08:大山の天狗道昭坊

 丹沢大山といえば、古くから石尊信仰で有名な山。その信仰の歴
史は、縄文時代後期からはじまったというからすごい。ふもとに住
んでいた人々は、人が死ぬとこの山に飛んでいくと信じていたとい
う。大山は人の世と神々の世界をつなぐ山であり、お盆には山から
降りてくると考えていたという。

 奈良時代の天平勝宝7年(755)、奈良県の東大寺別当の良弁僧正
が、山頂を開いてからは、修験道場として多くの山伏たちが修行に
励みました。それはふつうの人には考えられない厳しい修行で、人
々は天狗が化けて行をしていると「山伏天狗」などと呼んだという。

 丹沢大山の頂上奧社には、石尊大権現がまつられており、末社と
して徳一権現祠や、風雷雨祠、大天狗、小天狗祠などもあります。
大山は昔これらを神としていたらしいのです。いま大山は、大天狗
社はちょっとむずかしい高?神(たかおかみがみ)という神と、小
天狗社は大雷神(おおいかづちのかみ)としていますが、天狗研究
者の知切光歳氏は、少しコジツケているといっています。


 その理由として、高?神は竜神で雨を司る神であり、大雷神は雷
除けの神。天狗的性格はありません。光歳氏は、「ほかにも風雨雷
神がまつられているところから見れば、思うに石尊大権現は、その
天然の妙理を以て、地上に突きだした石を神格化して、ふもとの農
民たちが、五穀豊穣と天地(あめつち)の恵みを祈ってまつった神
が起こりであろう」といています。

 さらに「徳川初期のころまでは、高?、大雷の二神の祠も現存し
ていたのが、その後朽ちてしまったのではないか。残った大天狗、
小天狗の祠は慶長13年(1680)、家康の命を受けて、代官伊那備前
守が再建した記録があるから、そのころにタカオカミ、大雷神を天
狗社に因縁づけたのではあるまいか」と推理しています。

 さて、大山の天狗のはなしに戻します。丹沢大山には大天狗小天
狗のほか、天狗になりかけのものなどウジャウジャといることにな
っています。その中で、名前を持っているほどの大物天狗・伯耆坊
(ほうきぼう)が有名です。下社わきにはこの天狗の姿が刻んだレ
リーフが建っており、不動前の大山寺には伯耆坊の祠もあります。


 またこの山には、伯耆坊の前に相模坊という超大物天狗がいまし
たが、いつのころか四国の白峰山に山移りしてしまったという。そ
のあとに鳥取県の伯耆大山からきたのがこの伯耆坊天狗です。

 ところがあまり話には出てきませんが、もう一狗、道昭坊(どう
しょうぼう・常昭坊ともいう)天狗がいることになっています。道
昭坊は、江戸時代後期の国学者・神道家の平田篤胤が著した『仙境
異聞』という本に出てくる天狗。これは平田篤胤が門人の下総国葛
飾郡柏井村(いまの千葉県市川市柏井)に住む中尾玄仲から聞いた
話を取り入れたものらしい。

 それによると、下総國東葛飾郡新宿(いまの東京都葛飾区)の旅
館の主人で藤屋荘兵衛という人がいました。荘兵衛は、熱心な大山
信者で、毎月お参りを欠かさない程でした。ある日の午後、急に大
山参りにいくと言い出しました。家人がきょうは遅いからと止めま
したが、「信心は思い立ったが吉日」と、振りきって出発しました。


 家を出てから2キロも行かないうちに、向こうから、「柿色の衣
(きぬ)着て髪長く、山伏の如き人の、凡人より眼大きく、すさま
じげなる」男がやってきて、荘兵衛に声をかけました。「大山参り
か。お前は金子二分持っているだろ。そのうち一分はニセ金だゾ。
気をつけろ。オレが小銭と両替してきてやる」と不思議なことをい
いました。

 荘兵衛は一分金を渡すと山伏の姿が目の前からパッと消えまし
た。荘兵衛は気味が悪くなって行きかかると、山伏が急にあらわれ
て、確かに小銭に替えた銭を渡してくれました。そして「いまから
出かけるとすぐ日が暮れる。オレが大山まで連れて行ってやる。目
をつぶって背中につかまれ」。

 荘兵衛が背中に乗ると、山伏は空に舞い上がり、空を飛びアッと
いう間に大山のふもとに着いたのです。「ここで待っているからお
参りしてこい」という。荘兵衛が山頂に登り、お参りして下りてく
ると、山伏が待っていて、また背中に乗せて、来るとき出会ったと
ころまで送ってくれました。


 こうして下りてきたのはわずか2時間あまりの出来事でした。そ
して「近いうちに一度訪ねるから、家を清めて待っているがよい」
と言い残し姿を消しました。それから4、5日たった夕方、あの山
伏が、約束通りやってきました。

 「荘兵衛はいるか」と声がしたかと思うと、山伏はもう奧に通っ
ていて、上座に座っているのでした。こうして荘兵衛と酒ばかり酌
み交わし、泊まり込みました。5、6日もすると近所でもウワサに
なり、果報にあやかろうと次々にやってきます。近所の人とも懇意
になりましたが、心のねじけた者は見もしないうちに見抜き、玄関
払いを食らわせました。

 荘兵衛は、折角お付き合い願った記念に、なにか書き残してくだ
さいと料紙を渡しました。すると山伏は、ただ筆をかき回している
ように、なにか書いていましたが、見ると格調正しく、「鹿島」、「香
取」、「息栖・いきす」の神号と、その下に天狗文字らしい字で託宣
のようなものを書き足しました。


茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市
の息栖神社は「東国三社」と呼ばれ、古くから信仰を集めてきた神
社です。最後に「田村氏、日向国坂野上常昭上人」と書き、それを
2枚渡して、「となりの藤屋次郎兵衛は、貴公と同様我を信ずる心
が篤いもの故、その一枚をやってくれ」。

 見ると2枚はいまでいうコピーしたように全く同じものだったと
いう。それで山伏は、常昭という法号で、出身地、田村という苗字
までは分かりました。また話の中で大山にすんでいると聞いたとい
う。

 そのほか、火事があったときは、富士山の方に向かって常昭の名
を呼んだら災害から逃れられるとか、「神隠し」にあった男が富士
山で、常昭という修験者が藤屋荘兵衛のことをいろいろ話していた
などと、不思議なはなしがありました。


 これらの話は前にも書いてあるように、江戸時代後期の国学者で
神道家の平田篤胤が、門人の柏井村(いまの市川市)の中尾玄仲に
聞いたことを、自分の著書『仙境異聞』に取り入れたものです。

 『仙境異聞』は、天狗にさらわれ、天狗と一緒に生活したとされ
る寅吉少年のいうことを著した本。寅吉というのは、文政3(1820)
年というから江戸時代も後期、江戸下谷のビンボウ長屋から寅吉と
いう少年が天狗にさらわれ、あちこちの山々を巡り、天狗と一緒に
生活したという少年。天狗小僧寅吉と呼ばれました。

 これに興味を持った篤胤は、寅吉を自分の家に住まわせ、天狗の
世界を聞き取り取材したという。さて、常昭坊について、篤胤の著
書が出てから、篤胤一派の島田幸安や宮地堅磐という人たちなどが、
実際に常昭坊を見たとか、うわさを耳にしたとか書いています。


 しかし篤胤一派の神道家以外に、常昭のことに触れた人はいない
という。篤胤一派は師匠に取り入られようと嘘の話を本に著したの
でしょうか。現に大山阿夫利神社の神職一同も、常昭坊の話など聞
いたことがないというのではそれこそ話になりません。

 天狗研究家の知切光歳氏も、「常昭坊が大山にいるというのは確
かだと思う。が、この天狗は大山生え抜きの天狗ではなく、客分で
あろう。それは常昭坊の生国が日向(宮崎県)であり、大山の山神
系である大天狗小天狗の歴史の古さから見て、中天狗級に該当する
からである」としています。

 またこの天狗常昭坊は「道昭坊」ともいうらしく、文書の中にも
混在して紛らわしい。これも天狗小僧寅吉が持って生まれた「頭が
少しボーっとしたところがある少年」だったということから、仕方
のないことなのでしょうか。


▼大山【データ】
【所在地】
・神奈川県伊勢原市と厚木市・秦野市との境。小田急小田原線伊
勢原駅の北6キロ。小田急伊勢原駅からバス、大山ケーブル駅か
らケーブル利用下社駅下車、さらに歩いて1時間30分で丹沢大山。
三等三角点(1251.7m、現地確認)と写真測量による標高点(1252
m・標石はない)と阿夫利神社奥社と電波塔がある。地形図に山名
と三角点の標高、標高点の標高、阿夫利神社の建物の記号と電波塔
の記号の記載あり。
【ご利益】
・阿夫利神社:御利益:豊作祈願・無病息災・家内安全・防災招福・商売
繁盛などの祈願。とくに水に関係のある火消し・酒屋、またご神体の刀に
関係のある大工・石工・板前などの商売繁盛の祈願)。
【名山】
・「日本三百名山」(日本山岳会選定):第235番選定:日本百名山
以外に200山を加えたもの。
・「新日本百名山」(岩崎元郎選定):ラ選定外
・「花の百名山」(田中澄江選定・1981年):第47番選定
【位置】
・大山標高点:北緯35度26分27.09秒、東経139度13分52.22秒
・大山三角点:北緯35度26分26秒.9251、東経139度13分53秒.1146
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」



▼【参考文献】
・『あしなか・復刻版』第4冊(名著出版)1981年(昭和56)
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『山岳宗教史研究叢書・8』(日光山と関東の修験道)宮田登・宮本袈裟
雄編(名著出版)1979年(昭和54)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚 天狗列伝・(※どういうわけか)西日本編』知切光歳著(三樹書
房)1977年(昭和52)
・『仙境異聞・勝五郎再生記聞』平田篤胤著・子安宣邦校注(岩波書店)
2018年(平成30)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本歴史地名大系14』(神奈川県の地名)(平凡社)1984年(昭和
59)

▼08:大山の天狗道昭坊(終わり)

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