『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第1章「大山と大山三ッ峰周辺」(243)

…………………………………

▼06:大山阿夫利神社下社豆腐の碑

【略文】

昔から大山参りには手の上にのせた豆腐をすすりながら登ったもの

だという。江戸時代、押し寄せる参詣者へ供給する大量の食料が必

要になってきました。大量の食料を保存するには、冷たい井戸水に

つけておける豆腐が最適。豆腐は絹ごしと木綿ごしのちょうど中間

だそうです。下社わきには豆腐の碑も建っています。

・神奈川県伊勢原市。

▼06:大山阿夫利神社下社豆腐の碑

【本文】
 神奈川県の丹沢大山は、なぜか豆腐が名物です。昔から大山まい

りには、手の上にのせた豆腐をすすりながら登ったものだそうです。

いまも大山の参道わきには、豆腐料理屋がたくさんならんでいます。

大山は都心からも近く気軽に登れる山。大山登山のついでに豆腐料

理を食べる人も多い。



 平安時代から石尊信仰で朝廷の庇護を受けていた大山(相模地方

にあるので相模大山とも呼ばれています)。大山信仰は、武士の世

になっていよいよ盛んになりました。しかし全国的に知られるよう

になるのは庶民に大山信仰が広まった江戸時代。隆盛を極めたのが

宝暦年間(1751〜64)。一シーズンに20万人もの参詣客でにぎわっ

たという。



 そんな大山ですから、宿泊施設も木賃宿から旅籠(はたご)」と

変わり、先導師たちが食べていた精進料理の豆腐料理も、もてなし

の賄いになっていきます。これほどの参詣者への大量の食料保存す

るには、冷たい井戸水につけておける豆腐が最適です。



 また、豆腐を作るための良質の水が大山にはあります。その上、

豆腐料理の作り方を行者や僧が知っているなど、名物の豆腐ができ

あがるには、条件もそろっていたようです。豆腐は絹ごしと、木綿

ごしのちょうど中間だったそうです。下社わきには豆腐の碑が建っ

ています。



 この豆腐をすすりながらお参りするのが有名な「大山まいり」。

山頂の女人禁制(にょにんきんぜい)である奥の院「石尊大権現」

にお参りするため、各地に「大山講」がありました。



 講の誕生したのは、江戸時代の元禄時代の初期といわれています。

江戸の末期編集の『開導記』という本には、関東もちろんのこと、

静岡、愛知、山梨、長野、新潟、福島にまで及んでいて、その信者

数は91万9690戸にも達していたと出ています。



 講中の大山参拝の時期は、旧暦6月27日から7月17日までの20

日間で、この間を(1)初山、(2)七日山、(3)間(あい)の山、

(4)盆山の四つに分けていたそうです。



 (1)は6月27日〜月末までの時期、(2)は7月1日〜7日ま

でを、(3)は7月8日〜12日まで、(4)は7月13日〜17日ま

での参拝だったという。この期間だけ山頂の石尊社まで参拝が許さ

れ、それ以外は中腹の不動堂までと限られていたそうです。



 寛政9年(1797)の『東海道名所図会』に、「石尊大権現社、本
}
堂奧不動より峻路二十八丁あり。女人結界なり。勿論常に諸人の参

拝を禁ず。毎歳六月二十七日より、七月十七日まで参詣を免(ゆる)

す。江戸近郊群参すること夥し。道中筋大(い)に賑ふ。常は本堂

の傍なる中門を閉じて登山なし」と見えます。



 この20日の間に、参詣人が殺到するのですから、ものすごい混

雑です。この「大山まいり」は落語にも出てくるほどのブームを呼

びました。俳諧では、「大山まいり」が夏の季題になっているくら
}
いです。ちなみに、旧暦では6月までは夏で、7月から秋になりま

す。



▼【データ】

【所在地】

・神奈川県伊勢原市。小田急小田原線伊勢原駅の北6キロ。小田急

伊勢原駅からバス、大山ケーブル駅からケーブル利用下社駅下車で

阿夫利神社下社。地形図に神社の文字と建物記号のみ記載。

【ご利益】

・【大山阿夫利神社】:開運招福・商売繁盛・交通安全・厄除け

【位置】

・阿夫利神社下社:北緯35度25分56.07秒、東経139度14分16.24秒

【地図】

・2万5千分の1地形図「大山(東京)」



▼【参考】

・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)

1984年(昭和59)

・『古代山岳信仰遺跡の研究』大和久震平著(名著出版)1990年(平

成2)

・『新編相模風土記稿』(巻之五十一 村里部 大住郡巻之十 糟屋

庄):『新編相模国風土記3』(大日本地誌大系21)編集校訂・蘆田

伊人(雄山閣)1980年(昭和55)

・『日本歴史地名大系14・神奈川県の地名』(平凡社)1984年(昭

和59)

・『日本歴史地名大系14・神奈川県の地名』(平凡社)1984年(昭

和59)

 

 

目次へ戻る
………………………………………………………………………………………………………