冬 編 2月

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●目次

第1章 銀世界 誰をにらむか 雪だるま
 ・(1)如月(059-01) ・(2)雪だるま(059-02) ・(3)雪ウサギ(060)
 ・(4)セツブンソウ
(061) ・(5)ヒイラギ(062)

第2章 白ギツネ 赤い鳥居がならぶ 大明神
 ・(1)稲荷(063) ・(2)マキ(064) ・(3)ツバキ(065)

第3章 道祖神 半分ずれた 綿帽子
 ・(1)雪合戦(069) ・(2)富士山すべり、雪つり(070)
 ・(3)ナンテン
(071、072) ・(4)ユズの葉(073) ・(5)クスサン(074)

第4章 海に注ぐ 川の元結め 水の神
 ・(1)水神(075) ・(2)ヘクソカズラの実(076)
 ・(3)オツネントンボ
(077) ・(4)ヒヨドリ(078)

第5章 遊休田 田の神様も 出番なし
 ・(1)田の神(079) ・(2)スイカズラ(080) ・(3)キタテハ(081)
 ・(4)俵のお面
(082) ・(5)フクロウ(083) ・(6)カンアオイ(084)
 ・(7)奪衣婆の石像
(085) ・(8)北極星(086) ・(9)冬芽、冬越し(087、088)

第6章 首すぼめ つららをくぐる 山の宿
 ・(1)つらら(089) ・(2)ハワサイのお面(090) ・(3)スイセン(090)

 

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第1章 銀世界 誰をにらむか 雪だるま

冬編(2月)・第1章「銀世界 誰をにらむか 雪だるま」

(1)如月

 「きさらぎ」は旧暦の2月の呼び方ですが、太陽暦のいまでも通
用しています。きさらぎという言葉は、「日本書紀」にもあって、
奈良時代には使われていたようです。

 きさらぎは、2月が木や草が芽を張り出すころ(月)というので、
「木久佐波利舞伎」(きくさはりつき)だと、江戸中期の「語意考」
という本に出ています。

 また、まだかなり寒いのでさらに重ねて着る意味の「衣更着」だ
という説や、旧暦2月はいまの3月ごろで、陽気が盛んになる季節
なので、「気、更に来る」意味だなどの説もあります。
(059-01)

 

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冬編(2月)・第1章「銀世界 誰をにらむか 雪だるま」

(2)雪だるま

 雪の朝、外へとび出します。すると、もう雪だるまの一つや二つ
は出来ています。よほど早く起きて作ったのでしょう。遠くをにら
んでいます。

 雪遊びは、大昔の子どもたちの間でも人気があったらしく、日本
書紀や万葉集にも載っており、雪でいろいろな造形遊びをしたよう
です。

 雪だるまという言葉があらわれたのは江戸時代、だるまの玩具が
ブームになってから。元禄年間(江戸中期)北村季吟が書いた「季
吟独吟」にあるのが最初の記録です。
(059-02)

 

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冬編(2月)・第1章「銀世界 誰をにらむか 雪だるま」

(3)雪ウサギ

 雪の造形遊びといえば“雪だるま”についで「雪ウサギ」です。
おぼんの上に雪をかためてウサギの胴体を作ります。赤いナンテン
の実は、目のかわりにし、ナンテンの葉は耳にします。

 できた雪ウサギを床の間などに飾ります。この頃のように暖房完
備の時代、だんだん雪が溶け出し、気がついたらおぼんから水がこ
ぼれて大騒ぎ。でも私のせいではありませんからね。

 雪ウサギ、雪だるま、雪合戦、かまくらと、たくさんお雪遊びが
ありませが、記録として最初に出てくるのが日本書紀。どんな遊び
かわかりませんが“童が雪の上で遊んでいる”とあります。

 次は万葉集、枕草子、源氏物語など。雪山を作って遊んだといい
ます。南北朝時代になると、遊びも次第に仏教色をおび「新拾遺集」
には雪で仏像を作ってまつったと出ています。
(060)

 

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冬編(2月)・第1章「銀世界 誰をにらむか 雪だるま」

(4)セツブンソウ

 「福は内、鬼は外ォー」。あちこちの家から豆まきの声が聞こえ
てきます。明日は立春といっても本当の春はまだまだです。

そんな時期に花を咲かせるというのでその名も「セツブンソウ」。
キンポウゲ科の多年草。地下に球状の塊茎があります。普通、古い
イモの上に新しいイモができ、古いイモの貯蔵物質を吸収して大き
くなっていきます。ところがセツブンソウは同じ塊茎が年々大きく
育ちます。

 その塊茎の下からひげ根を出し、上からは茎葉を伸ばします。茎
はまっすぐなものや傾いたものなどいろいろ。根から出る根生葉は
ヒョロヒョロな長い柄があり、葉は深く三裂、側片はまた深く二つ
に裂けています。

花のつく茎は高さ10センチ。茎の上の方に茎を包むように柄のな
い総苞葉がふぞろいについています。その真ん中から1センチばかり
の花柄を出し、先端に直系2センチ位の白い花が上向きに傾いて咲き
ます。

 ところが、この五枚の白いヒラヒラは花弁ではなく、がく片だと
きたもんだ。花弁はというとがく片の内側にある黄色いY字形のも
の、ふたまたに分かれた蜜線に変化したんだと。

 おしべ多数、めしべは2〜5個で、成熟すると袋果になります。
袋果は短い柄があり、先がくちばしのようになっています。

 雪がまだ消えないころ、枯れ葉の間から茎を出し、花を咲かせる
セツブンソウ。早春植物とはよくいったもの、他の草木が活気づく
初夏にはもう、種子と地下茎を残して地上部はサッサと枯れてしま
います。

 セツブンソウは双子葉植物。そのくせ葉は一枚しかなく、また発
芽の年は本葉は出さないというユニークというか、なまけものとい
うか。

 関東地方以西の本州の山すそや、落葉広葉樹林の下に生え、庭に
植えられたり、鉢植えにして観賞されます。
・キンポウゲ科セツブンソウ属の小形多年草
(061)

 

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冬編(2月)・第1章「銀世界 誰をにらむか 雪だるま」

(5)ヒイラギ

 節分にヒイラギの小枝にイワシの頭をそえて、戸口などにさしま
す。「鬼の目突き」といい、邪鬼(じゃき)の侵入を防ぎ、悪魔を
豆まきといっしよに払おうとする昔からの風習です。

 ヒイラギは、葉のとげが手にささるとヒリリッと疼ぎ(ヒリヒリ
痛む)ます。ですから漢字で「木偏に疼」や柊と書くのだそうです。
植物の名前なんて誰にでもつけられそうだなァ。

 葉にとげがあるので、生け垣に植え、ドロボーよけにします。し
かし、老木になると、だんだんとげがなくなるといいます。大きい
ものでは、10mにもなるという。

 材は辺材と心材の区別がなく、木目も堅く密なので、そろばん玉、
串、印鑑、楽器、将棋の駒などに使うそうです。園芸品種に葉のか
わったツカミヒイラギ、キッコウヒイラギ、フクリンヒイラギなど
があります。

 葉のトゲを軽く指ではさみ、息を吹きかけると葉がまわりはじめ
ます。私などいなかの子供は風車だといって遊びました。モクセイ
科モクセイ属の常緑小高木。山地に生えています。
(062)

 

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第2章 白ギツネ 赤い鳥居がならぶ 大明神

冬編(2月)・第2章「白ギツネ 赤い鳥居がならぶ 大明神」

(1)稲荷

 村のこんもりした森に、赤い鳥居が並んでいます。お稲荷さんの
社(やしろ)です。「伊勢屋稲荷に犬の糞」という言葉があるほど、
お稲荷さんの社はどこへ行ってもあります。

 2月の最初の午の日は、初午(はつうま)です。お稲荷さんに油
揚げをあげたり、笛や太鼓でお祭りします。私も小学生の頃、御幣
(ごへい)を持ったキツネ、ヒョットコのお面をつけた上級生のあ
とを、オカメの面をつけて「悪魔っ払い、悪魔っ払い」と踊りなが
ら村中をまわり、小遣いやお菓子をもらって歩いたことがあります。

 そもそも、イナリは、稲成(いねなり)が語源とされ、稲の神様
です。その後、仏教の荼吉尼天(だきにてん)とと習合し、お使い
はキツネだと考え、江戸中期から全国に広まり、今では全国に3万
750社あまり。ビルの屋上にまで祭られています。
・長野県飯縄山頂にある荼吉尼天の石像、キツネに乗っている。
(063)

 

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冬編(2月)・第2章「白ギツネ 赤い鳥居がならぶ 大明神」

(2)マキ

 生け垣のマキの葉を4枚(4本?)用意、はさんでは折り、はさん
では折りし、手裏剣を作ります。ヤッと投げると、クルクル回転し
ながら雪につきささります。

 人にはささらないので、安心して忍者遊びが楽しめます。また、
3枚の葉で変わった形の手裏剣もできます。

 マキとはイヌマキのこと。実の形が人形に似ているので「ニンギ
ョウノキ」、「和尚小僧」などと呼んでいるそうです。またいろいろ
な園芸品種もあります。

 いつだったか、山歩きの帰り、山道が農家の庭先につながってい
ました。犬に吠えられながらマキの実(果托)を失敬します。

 ふとみると、農家の人がニコニコしながら見ています。地元の人
は、こんなものは食べないでしょう。あわてて挨拶し、ついでに5、
6個ほおばりました。ホントにいやしいんだから……。
(064)

 

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冬編(2月)・第2章「白ギツネ 赤い鳥居がならぶ 大明神」

(3)ツバキ
 
 ツバキは、葉が広く、厚くつやがあります。大昔からそうだった
らしく(アッタリマエ)、「古事記」(712年)にも出てきます。そ
んなことからツバキというのは「厚葉木」とか「艶葉」「津葉木」
が語源だといわれています。

 一□にツばバキといっても……。そこで図鑑を調べます。ヤブツ
バキ、ユキツバキ、サザンカ、ヒメサザンカ、ワビスケなどがあり、
リンゴツバキがどうで、ユキバタツバキがこうのと書いてあります。
なにがなんだか、ただ唾(つばき)を飲み込むばかり。

 そこで、ツバキはツバキ、ヤブツバキでまいります。ツバキは所
によっては12月ごろから咲き始め、北の方へ行くにしたがい遅く
なり、4月ごろまで咲いています。

 木へんに春と書いて椿(つばき)です。春に花をよくみかける木
だとして日本の人が作った字。漢字とは、中国の漢の国の文字のこ
と。ですから椿は日本の字、国字と呼ぷそうです。

 ツバキは、大昔から親しまれた木で「古事記」のほか「日本書紀」
(720年)には、景行天皇が九州豊後(ぶんご)の国で、ツパキ(海
石・木偏に留)で椎(つち)という武器を作り、土喰蛛を退治した
記述があります。

 また「出雲風土記」(733年)には、ツバキが税金の対象になっ
ていたらしく、産物の中にツバキが何回も出てきます。「万葉集」
にも「紫は灰指すものぞ温石・木偏に留・市(つばきち)の八十(や
そ)のちまたに逢へる児や誰(たれ)」の歌があり、ツバキの市が
たって盛況だったようです。その他「う⊃ほ物語」や「源氏物語」
にも出ています。

 ツバキはまた、神聖な木だと考えられ、神社などの森に茂ってい
ます。暖かい所から、東北の雪国にも分布しています。これは昔、
八百歳まで生きたといわれる、若狭(わかさ・福井県)の八百比丘
尼(はっぴゃくびくに)が、ツバキの枝を持って全国各地をまわり、
それを植えてつくかどうかで、そこに神意のあるなしを占ったため
だという話もあります。

 うそ八百ではありません。ツバキは、どういうわけか、昔は家の
庭に植えるのを嫌われました。

 ツバキの花は散らずに、まるで人の首が落ちるように、ポトリと
落下するから不吉なのだそうです。ほかに病院へお見舞いにツバキ
の花を持っていくことや、身のまわりの道具をこの木でつくること
もいけないのだそうです。

 ツバキの木は化けるのだとか、花の咲き具合いで農作物がどうの、
こうのとか、ま、いろいろあるようです。

 こんなことをいう一方で、ツバキの材は淡褐色で、ち密で堅く、
みがくと光沢がでて細工物、器具材にもってこいともいうから人間
は勝手なもの。そんなこと気にしない、気にしない。

 ツバキといえば椿油です。種子からとった椿油は、昔から、灯用、
薬用、化粧用として重要で、平安初期の「続日本紀」(しょくにほ
んぎ)にはぼっ(さんずいに勃)海国(中国東北部)に椿油一缶を
贈ったと記されているほど椿油は毛切れ、抜け毛によく、ふけやか
ゆみに効き目あり、頭髪油に、また食用油、オリーブ油の代用にも
されます。

 薬用として、軟膏基剤(なんこうきざい)に吐血、便血に、葉は
あぶってはれ物をなおすのに使うのだそうです。

 花木として、庭園や公園に植えられるツパキは、また、鉢植え、
盆栽、生け花にも利用され、園芸品種もたくさんあり、1000種以
上が栽培され、アメリカなど海外でも盛んなのだそうです。

 ツバキの葉やつぼみで遊びます。ツバキ坊主やはがき、笛、かん
ざし、草履、ネックレスなどができますよ。花をもいで尻の部分か
ら甘い蜜を吸うこともできます。
・ツバキ科ツバキ屬の常緑高木
(065)

 

 

 

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第3章 道祖神 半分ずれた 綿帽子

冬編(2月)・第3章「道祖神 半分ずれた 綿帽子」

(1)雪合戦

 夕べの雪で、外はまっ白。道路わきの道祖神が綿帽子をかぶって
います。公園に行ってみると、もう子供たちが、雪合戦をして遊ん
でいます。

 雪合戦は、雪遊びの中でも一番の人気です。大昔から行われてい
たはずなのに、記録にはなかなかありません。やっと出てきたのは、
江戸時代初期のこと。

 「犬子集」という本に「雪打ちやさながら春の花いくさ」とか「佐
夜中山集」には「雪つぶて打つ子や五つ六つの花」と書かれていて、
昔は雪合戦を雪打ちと呼んでいたようです。

 雪合戦には、2組に分かれ、雪玉を投げ合い、当たった人は失格
になる雪玉合戦と、2組が陣地をつくり、あらかじめつくった雪玉
を持って敵陣に攻撃、当たった者は捕虜になる陣取り型があります。
(069)

 

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冬編(2月)・第3章「道祖神 半分ずれた 綿帽子」

(2)富士山すべり、雪つり

 雪の朝、ゴム長靴をはいて、雪を踏みます。固まったらまたその
上に雪をのせ、山の形に踏み固めます。その上にのり、両またを開
いてツルッとすべります。ただそれだけの遊びですが、開脚の運動
にもなり、次の日、足のももが筋肉痛。

 雪つりは、炭や木片などをひもに結んで雪の上にトントンと上下
させます。すると雪が炭や木片にくっついて、核になりだんだん大
きなかたまりに…。がんばりすぎると、かたまりが途中で落ちるの
で注意。

 富士山すべりの雪山づくりは、昔から行われた遊びで、その上に
木の枝、造花をさして楽しんでいたらしく、奈良時代の「万葉集」
に「なでしこは秋咲くものを君が家の雪の巌(いわお)に咲けりけ
るかも」などとあり、平安時代の清少納言の「枕草子」にも出てき
ます。
(070)

 

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冬編(2月)・第3章「道祖神 半分ずれた 綿帽子」

(3)ナンテン

 ナンテンが赤い実をつけています。美しいので庭に植えたり、切
り花に使われ、江戸時代には園芸品種もたくさん作られたそうです。

 ナンテンは、常緑低木ですが、木ではないといいます。木質化し
た茎をもつ草でみせかけの木本ですと。普通の木のように、形成層
の活動でつくられる材ではないとかで、維管束(いかんそく)とい
うものの間にある、普通の組織の壁が厚膜化して、木化しているの
だと、難しいことが図鑑に書いてありました。

 ナンテンは難転と語呂があいます。そこで「難を転じて福を招く」
というのでおめでたい木として、正月の飾りにもします。不浄を払
う植物ともされ、トイレの近くに植えたりもします。

 昔は、赤飯やお祝いの肴を人にあげる時、ナンテンの葉を添えま
した。食あたりの難を転ずるおまじないです。

大きなものは高さ3m、太さ直径10センチにもなり、材が黄色で
床材として大切にされます。

 ナンテンが学界に初めて知られたのは長崎から。江戸時代の元禄
の頃、出島のオランダ商館に勤めていたドイツ人医師ケンプェルが、
露にあたったナンテンの実を見て「オーキレイ、キレイ」とべたぼ
め。後にここに来たツュンベリーが学名を日本の名からとってナン
ジナとして紹介したといいます。

 ナンテンはアルカロイドを含み、有毒。毒は使い方で薬になり、
まさに難転です。果実を乾燥させ、咳止め薬として、喘息、百日咳
に使います。とくに白い実がよいといいますが、実験の結果は、赤
い実も同じだそうです。

 すり傷、舌のはれ、歯痛に生葉がよく、これをかむと、乗り物酔
いに効くともいいます。

 松葉でかんざしやネックレス、ツバメなどをつくって遊びます。
また、ほうそう遊びもできますよ。
・メギ科の常緑低木。
(071、072)

 

 

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冬編(2月)・第3章「道祖神 半分ずれた 綿帽子」

(4)ユズの葉

 「ユズは日本の香り、レモンは西洋の香り」というのだそうです。
まさに日本食にピッタシのユズ。ユズとは、ゆのす、柚酸のこと。
柚は木の名前、酸は酸っぱい「す」です。はオニタチバナと呼んだ
という。

  昔原産は中国・揚子江(長江)上流。 中国は揚子江の上流の
原産、朝鮮経由で日本に伝わったのは「現地時間」で、唐代以前、
日本時間では奈良、平安時代に朝鮮半島を経て渡来したといわれま
す。

 ところが日本にも野生していたのだから事はめんどう。山口県川
上村や高知県、熊本県に群生地がありました。

 調査の結果、これは栽培していたものが野生化したのではなく、
初めっから野生(日本原産)していたのだといいます。

昭和16年天然記念物に指定。原産は日本なりと一歩もゆずらぬ学
者もいるとか。

 日本では東北地方の海辺にまで分布しており、庭などにも植えら
れています。「柚橙十三年」といわれるほど実生からではなかなか
実りません。実生の苗はミカンの台木に利用します。

ユズは大きく分けて、種子のあるものとないものとに分けられる
という。果実はタネのあるもののほうが大きく庭木にされているの
はたいがいこの品種。

 たねなしで果実の大きいタダニシキ(多田錦)のような品種もあ
ります。1957年(昭和32)ごろ、種子なしのユズのなかにわずか
にあった種子をまき、それを選抜して作出。

 1977年(昭和52)に品種として正式に認められたそうです。初
夏、葉腋に紫色を帯びた白い花をつけます。

 ちっぽけなあが家の庭のユズ。何年たってもならないので、「来
年ならないなら切ってしまうぞ!」と脅かしました。それがきいた
か、ことしは小さな実が5つ。大事にしています。

 ユズの葉で風車をつくって遊びます。葉の葉脈を境にして先の方
と元の方を対照的に、イラストの通り点線の部分を手でちぎります。
ユズの枝を鉈で切り、生えているとげにナンテンの実をさします。

 さらにナンテンの実から出たとげに、ちぎった葉をさし、またそ
の上にもう一つナンテンの実を止めてできあがり。さあ、風上に向
かって走ってみよう。回る、回らないは腕次第だぞッ。

昔から冬至の日にユズ湯に入ると風邪をひかないといわれます。
精油がお湯に溶けだして、血液の循環をよくし、肌がなめらかにな
り、引きしまるという。肩こりや神経痛、腰痛、リウマチ、冷え性、
ひび、あかぎれなどに効果があるのだそうです。またユズ湯と融通
が利くようにとの、語呂合わせからユズ湯に入る習慣ができたとも
いわれています。

◎【効能】 果実にはビタミンCが豊富で、またクエン酸、酒石酸
などが含まれ、調味料として利用。中国の昔の研究書「本草綱目(ほ
んそうこうもく)」には「悪心を止め、意中の浮風、悪気を去り、
風気をつかさどり、魚、蟹の毒を殺す」としています。

果実の皮には、ビタミンA(カロチン)、ビタミンC、カルシウ
ムを含むそうで、その芳香成分は、精油グルマクレンなどで、胃を
丈夫にし、発汗作用、咳をしずめる作用、たんをとる作用などある
という。
・ミカン科ミカン属の常緑樹
(073)

 

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冬編(2月)・第3章「道祖神 半分ずれた 綿帽子」

(5)クスサン

 クスサンといっても、人の名前ではありません。あのクリケムシ、
クリの木によくはっている白い長い毛が生えたケムシのこと。毛が
シラガのようなので「シラガタロウ」とよばれます。

 冬、木の幹や枝などに、100近くもの卵がかたまって行儀よく並
んでいるのを見たことありませんか。あれが「クスさま」の卵です。
そのまま越冬し、4月下旬から5月上旬にふ化、シラガタロウさん
になります。

 7月上旬頃、枝の間やつづり合わせた葉の間にまゆをつくり、さ
なぎになります。そのまゆったら、洗い網目で、中が透けてみえる
俵のような形。今度はスカシダワラと名を変えます。

 子供のころ、固いまゆをとり、中でさなぎをカタカタさせて、手
でもて遊んだっけ。昔は、まゆから紡績の原料や幼虫から糸をとっ
たりしました。
(074)

 

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第4章 海に注ぐ 川の元締め 水の神

冬編(2月)・第4章「海に注ぐ 川の元締め 水の神」

(1)水神

 キャンプ場の水場や川のほとり、水のしぼれ出る所などに水神が
祭られています。文字通り、水を司る神のことです。

 人間は、水がなければ生きていけません。日照りの年は、飲み水
はもちろん、農作物の収穫に影響します。昔の人は、この世に水神
様がいると考え雨乞いなどをして祈りました。

 水神にはいくつかの形があります。古い農家などに行くと井戸や
洗い場に祭られている水神。石碑や石ぼこらに水神、雲南ときざみ、
堤防などにまつってあるもの。水天宮、水神社として祭ってあるも
のがあります。

 奥秩父、笠取山直下にも水神社のほこらがあります。ここに降っ
た一滴の雨が、ミズヒ沢に落ち、丹波川から奥多摩湖、多摩川を通
り、えんえん138キロの旅をし、東京湾に流れ込みます。

・山梨県塩山市と埼玉県大滝村との境にある笠取山(1941m)直
下の水神社、夏、登山して訪ねてみてはいかがでしょう。
(075)

 

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冬編(2月)・第4章「海に注ぐ 川の元締め 水の神」

(2)ヘクソカズラの実

 ヘクソカズラ。漢字で屁糞蔓、一名ヘクサ(屁臭)カズラとくる
からスゴイ名前です。草やぶなどで茎が左巻きに長くからまってい
て、夏も白い筒のような花を咲かせています。

 葉やつるをつぶして臭いをかぐと、なるほどと納得するような「ヘ
クソ」のくささ。晩秋につける黄色で光沢のあある実も相当なもの
で、あくまでもの臭いです。

 しかし、よくみるとかわいい花です。ヘクソではあまりにかわい
そうというので、昔の人はサオトメバナという名もつけました。サ
オトメバナは早乙女花。この花にふさわしい名前です。

 また、花の真ん中の色がお灸をすえた跡にのも似ています。そこ
でヤイトバナ(灸花)の名前もあります。昔、子どもたちはこの花
を水の上に逆さに浮かべ、花相撲をして遊びました。

 花のあとになる臭い実。霜にうたれ雪にうたれた実は、いつの間
にか臭いがとれて、野鳥のエサになるといいます。そういえば真冬
に実がひとつもないヘクソカズラのつるが木にからまっているのを
みかけます。

 ヘクソカズラはそのくささが逆に薬になるのか、薬草としても利
用されます。果実をつぶして「ひび」や「化粧水」、「凍傷」使用。
また生葉のもみ汁は「毒虫」「さされ傷」に。同じく生葉を火にあぶ
り、丸めてはれ物に使えるという。林のふち、やぶなどに生えてい
ます。日本全土に分布。
アカネ科ヘクソカズラ属の多年生つる植物。
(076)

 

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冬編(2月)・第4章「海に注ぐ 川の元締め 水の神」

(3)オツネントンボ

 この寒い時期、なぜトンボか。トンボはトンボでも、これはオツ
ネントンボ。漢字で「越年蜻蛉」年越しトンボなのです。年越しと
は、年を越して新年を迎える大みそかの夜のこと。年越しそばなど
といいます。

 ところがこのトンボは、年越しどころか、成虫のままで年を越す、
越冬トンボなのです。夏の間羽化した成虫は、草むらや木々の間で
冬を過ごします。

 この寒さに耐えるなんて、どんなトンボかというと、ひ弱そうな
ちっぽけイトトンボ。トンボも見かけによらないものであります。

 春になると、池などの水辺にやってきて、水面付近のやわらかい
植物に卵を産みます。アオイイトトンボ科。

 仲間のホソミオツネントンボは、真冬、雪をかぶった枝先にとま
っている観察記録があるという。ツヨイ!・越冬すると、体の色が
美しい水色になるそうです。
(077)

 

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冬編(2月)・第4章「海に注ぐ 川の元締め 水の神」

(4)ヒヨドリ

 ツバキの林の下を歩いていると、突然顔を黄色にした鳥が飛び立
ちます。ヒヨドリがツバキの蜜を食べにきて、花粉をくっつけたの
でしょう。

 ピィーヨ、ピィーヨとけたたましく鳴いて、うるさいくらい日本
中にいる鳥ですが、世界ではものすごく珍しく日本独特の鳥。

 ナンテン、ヤツデ、ヒサカキ、アオキなどの実や、花の蜜ではツ
バキ、サクラ、サザンカ、また、昆虫なども食べるという。

 しかし勢いあまってビワやミカンにまでくらいつき、害鳥などと
いわれたりします。本州のものは漂鳥ですが、北海道では冬に群れ
をなして、南へ渡りをします。

 わが家の玄関わきのヤツデにもよく実を食べに来てくれます。朝
ドアを開けたとたん、バサバサッ、ピィーヨで、驚かされます。ハ
ナスイとあだ名されるほど花の蜜が好きだそうです。
(078)

 

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第5章 遊休田 田の神様も 出番なし

冬編(2月)・第5章「遊休田 田の神様も 出番なし」

(1)田の神

 いまのように農業技術が発達していなかった昔、農作物の出来、
不出来は生活にかかわる問題でした。とりわけ、米の不作は、村々
の存亡にも影響します。

 人々は作物の収穫を司る神として大昔から農神、田の神を祭り、
豊作を祈るのでした。

 田の神は地方によって、農神、さく神、さんばい、亥の神などと
呼ばれ、昔の人は春、山の上から田の神になって里に降り、稲を守
り、秋、収穫が終わると山に帰ると考えました。

 神が里に降りることを「さおり」、山に登ることを「さのぼり、
さなぶり」といって、お祭りをします。この「さ」は神のことで、
早苗や神聖な田植えをする早乙女の「さ」と同じ意味です。

 しかし米が余って減反、転作の時代、遊休田を見て、田の神も、
さぞ目をシロクロ小さくなっていることでしょう。

・千葉県八千代市でも以前はそおり(さおり)の日、田のすみに七
株ぐらい苗を植えて田の神に捧げる行事がありました。
(079)

 

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冬編(2月)・第5章「遊休田 田の神様も 出番なし」

(2)スイカズラ

 寒い冬なのに、スイカズラのつるの枝先に、紫っぽい葉が残って
います。越冬しているのだそうで、裏側へ丸く巻き込んでいるのは
寒さを防いでいるのだとのこと。ご苦労様であります。昔の人もそ
う思ったのか、冬を忍ぶという「忍冬(にんどう)」の名をつけま
した。

 5,6月頃、2個ずつ対になって咲く花は、咲きみだれると、辺
り一面甘い香りがします。この花冠をとり、筒を吸うと、蜜が口に
広がります。スイカズラのスイは「吸い」であったのです。

 果実は初め緑色をしていますが、秋に熟すと、まっ黒になり、つ
やがあって美しくなります。それを小鳥が食べ、種子は糞にまじっ
てあちらこちらにまき散らされます。

 この日本や中国の原産のスイカズラが海を渡り、アメリカやヨー
ロッパで増えて困っているとか。向こうへ帰化している植物もある
んだなァ。

 薬用:タンニンを含んでいるので葉やつぼみを止血、殺菌、湿疹、
口内炎、扁桃腺炎に利用する。茎や葉を刻んでお湯に入れると腰痛
や痔、美容によいという。
・スイカズラ科スイカズラ属の多年生つる植物
(080)

 

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冬編(2月)・第5章「遊休田 田の神様も 出番なし」

(3)キタテハ

 まだまだ寒さが続きます。でも、時には、春を思わせる暖かい日。
そんな時、キタテハが飛びまわっています。

 キタテハは成虫で越冬するチョウの一つ。温度が低くなると触覚
を羽根の間に入れ、あしを縮めて横になり、死んだようになります。
気温が下がると、体温も下がってしまい、動けなくなるのです。

 ところが気温が上がると、キタテハの体温も上がり、何事もなか
ったように元気になります。

 こうして越冬したキタテハは、春になると幼虫の食べるカナムグ
ラやアサの葉に卵を産みつけます。1週間から10日ぐらいでかえ
った幼虫は葉をつづり合わせ巣をつくります。

 大きくなったした幼虫は、さなぎからチョウへ。そして卵を産み、
年内にさらに新しい成虫が誕生します。越冬するのはこの秋型です。

・温度が2度以下になると動けなくなるという実験がある。あしを
縮め、触覚を羽根の間に入れてしまう。12度ぐらいになると「オ
ッ、温度があがったゾ」。昆虫は体温が決まっていなく、まわりの
気温で高くなったり低くなったりする。
(081)

 

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冬編(2月)・第5章「遊休田 田の神様も 出番なし」

(4)俵のお面

 最近は、お米を入れるのに麻袋が多いようですが、以前は、みん
なワラで編んだ俵に入れました。しかし、今でも農村に行くと米俵
を時々見かけます。

 俵の中に米を入れ、俵のゆがみや口からのもれを防ぐのが「さん
だわら」。俵の両端に当てる丸いわらぶたのこと。これを顔に見立
て牛乳びんのふたやボタンを目に、洗濯ばさみを鼻、口にし、毛糸
を髪の毛で、お面のできあがり。薄す暗い所に下げてあるとギョッ
とします。

 子供のころ、父親が石臼の上に乗ってさんだわらを作っているの
をよくみました。ふちのわらを折り重ね、形がそろっていくのには
感心しました。

 さんだわらは、サと俵がくっついたのが語源。このサも、サナエ、
サオトメなどのサと同じ神のこと。稲作の神聖な作業をあらわした
ものです。
(082)

 

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冬編(2月)・第5章「遊休田 田の神様も 出番なし」

(5)フクロウ

 東京都の奥座敷奥多摩。月夜見山と御前山の中間にある小河内峠(河 内峠)は、奥多摩町小河内地区と檜原村とつなぐ峠。小河内地区は 1957(昭和32)年奥多摩湖の出現で945世帯が移転。その跡地は奥 多摩湖の底に水没しました。

この峠はかつて奥多摩町と檜原村との物資や文化交流のただ一つの 通行路だったといいます。1992年、ある社会人山岳会の70周年記念 出版「東京の山100山50コース」(山と渓谷社)というガイドブック のとりまとめを担当。

同年4月、現地再調査に訪れました。JR武蔵五日市駅から入り三 頭山に近づくころはどしゃ降りの雨。仕方なく三頭山避難小屋に1 泊。翌日三頭山の東峰、中央峰、西峰の呼び方の乱れを地図上で整 理します。

また東峰の三頭御前の祠の再調査などですっかり時間をとられ、雪 の月夜見山から車道を横切り、御前山へ向かいました。が、途中の 小河内峠で暗くなってしまいビバーク。ゆったり広めの峠道は落ち 葉がじゅうたんになり気持ちがいい。

夕食もすませ、ラジオを聞きながら寝袋に潜り込みます。そのうち そばの木でフクロウが鳴きました。フクロウが木の枝で鳴いている のです。ゴロッ、ゴロッ、ボーコといううす気味悪い鳴き声です。

昔の人は、これを「ぼろ着て奉公」とか「糊つけて干ーせ」などと 聞きなししました。絵本などにも、夜の場面になると必ずフクロウ が描かれています。丸い平べったい顔、時々片目をつむったりして、 ジッと見つめる2つの目。

首が短いくせに顔をうしろに回したり、上下を逆さにしたりの芸当 ができます。この愛嬌のあるフクロウは昔から人々に親しまれてき たようです。すると少しは離れたところから別のフクロウが答えま す。どうやら仲のよいフクロウ夫婦のようです。

フクロウは夜行性。夜でも目が見え、少しの音でも聞き逃さないの だそうです。獲物を見つけると、羽音をたてないやわらかい羽で飛 びたちます。そして前向き2本、後ろ向き2本の指でがっしりと捕 まえて食べます。

獲物はネズミ、モグラ、兎、小鳥などだそうです。夜が更けた静か な山の中、テントのそばで2羽のフクロウの呼び交わしがいつまで も聞こえてきました。
(083)

 

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冬編(2月)・第5章「遊休田 田の神様も 出番なし」

(6)カンアオイ

 寒い冬でも枯れないで、葉の形がアオイの葉に似ているというの
で「カンアオイ」。漢字で「寒葵」。

 カンアオイは晩秋から冬にかけて花を咲かせる「元気もの」。地
面からハート形の葉までをつなぐ長い葉柄。その根元を掘って見る
と、土の中から紫色か緑黄色の鐘の形をした花が出てきて、ほんの
りかんばしい香りがします。

 木かげでひっそりと生え、地面に埋もれて咲く花……。なんとも
奥ゆかしく、日本人好みであります。(いまはこんなのハヤラない
か)。

 カンアオイはウマノスグクサ科の多年草。この仲間は日本だけで
30種類もあるそうですが、そのなかで単にカンアオイといえばカ
ンアオイ属の、そのなかでもこのカントウカンアオイのこと。

 茎は短く地に伏して、葉は卵形だ円形で、長さは6〜10センチ。
基部は深い心形で、ふつう裏面に雲のような白い斑文が入っていま
す。ハート形の葉は毎年1枚ずつ出していき、日本特産のギフチョ
ウはこの葉に産卵するという。

 花は径2センチくらい、短い柄があって花柱が6個輪状に並んで
います。おしべは12個で花柱の外側にあります。

 根茎は土細辛(ドサイシン)や杜こうといい、利尿、せき止め、ぜ
んそくなどの薬用になるといいます。
・ウマノスズクサ科カンアオイ属の多年生草本
(084)

 

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冬編(2月)・第5章「遊休田 田の神様も 出番なし」

(7)奪衣婆の石像

 山寺のえん魔堂や、本堂の隅にものすごい形相をしたおばあさん
の像を見かけます。これは奪衣婆とも葬頭河婆さんとも、なまって
ショウヅカ婆さんともいう鬼ババァです。

 この鬼ババァはあの世との境にある葬頭の河のそばにいて、その
河を渡ろうとする死人を脅かし、着ている衣類を奪うのが仕事です。

 たかが婆さんと思うなかれ、身の丈16丈というから約50メート
ル、目は車輪のごとく見開き、口をあけて怒るさまは、まさに地獄。

 奪った衣類は木の枝にかけ、そのたわみ具合で生きていた時の罪
の重さをはかるのだとか。もし重罪なら体の皮をはがすという乱暴
さ。「そのくるしみしのぶべからず」と「浄土見聞集」という本に
に書かれています。地獄の亡者はみんな裸なのは奪衣婆にやられた
んだな。
(085)

 

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冬編(2月)・第5章「遊休田 田の神様も 出番なし」

(8)北極星

 天の北極近くにある星なのでつけられた名。でも実際には天の北
極より一度ほど離れているので、北極を中心に小さな半径で日周運
動をしている。歳差運動で天の北極は移動するので、あと千年たつ
と北極星ではなくなってしまうという。

 北極星の見つけ方:ますの形になっているはしの二つの星を結ん
でその五倍先にある星が北極星。両がわの星を結んでのばした線が
交叉した点と真ん中の星を結び五倍のばすと北極星。
(086)

 

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冬編(2月)・第5章「遊休田 田の神様も 出番なし」

(9)冬芽、冬越し

 寒い北風、積もる雪。野山はすっかり冬枯れています。動物はも
ちろん、昆虫も地中の穴、枯れ葉の下で、春のくるのを待っていま
す。植物にとっても待ち遠しい春。冬芽で、ロゼット葉で、地下茎
で春の準備をしています。

 固い皮で覆われているのはサクラの仲間、ツバキ、モモ、カキ、
ヤマブキやツツジ類、カエデ類の冬芽。ウロコのような鱗片にびっ
しりと覆われ、中はぬくぬく、花を咲かせる準備に万端おこたりあ
りません。

 びっしり覆われた冬芽を外側から一枚一枚はがしてみてところ、
なんとソメイヨシノでは、32枚もの鱗片が重なっていたと、植物
の先生が雑誌に書いていました。

 冬芽をミンクの毛皮を着たように、やわらかい毛で守っているの
はモクレン、アオギリ、コブシの仲間。幼い芽は暖かい毛で守られ、
雪や風など、どんとこいです。

 ねばねばしたヤニのような粘着液を芽の表面や鱗片のすき間につ
けて雨水、虫をよせつけないのがトチノキの冬芽。古い葉で芽を摘
んで寒さに耐えているのがアジサイです。

 また、地面に根生葉でへばりつき、冬の日光をもらさず吸収し、
地熱をのがさず、北風も頭上をやり過ごそうとするのがロゼット葉。

 タンポポ、ハルジオン、ナズナなどで、葉は中心部ほど幅がせま
く先へ行くほど広いのは、重なって、冬のうすい日光を吸収するの
にロスがないようにだといいます。

 このように冬芽をつくったり、地面にへばりついたり、葉をたた
んだり、それぞれみんな一生懸命。一年中、うかれて野だ山だとほ
っつき歩く身がはずかしい。
(087、088)

 

 

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第6章 首すぼめ つららをくぐる 山の宿

 冬編(2月)・第6章「首すぼめ つららをくぐる 山の宿」

(1)つらら

 冬の登山道を歩いていると、沢の滝状になった所に、真っ青な色
をした大きなつららをよく見ます。

 つららは氷柱と書き、ときには長さ10m、ひとかかえもある太
さになるそうです。でも、普通に見るつららは屋根に積もった雪が
溶けて、軒先に流れ出し、また凍ったもの。

 これを凶器にして、犯罪をおかし、溶かして証拠隠滅する……。
推理小説でよく使う手口です。

 昔の子供はこんなものでちゃんばらごっこをしました。ヤッ!ト
ゥ!折れた方が負け。

 北アルプス爺ヶ岳に行った時のこと。登山者の世話をしてくれる
ことで有名な、長野県大町市の鹿島のおばばの家に。大きなつらら
に思わず首をすくめて潜り、、ごちそうになった野沢菜漬けとお茶
がオイシカッタ。
(089)

 

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 冬編(2月)・第6章「首すぼめ つららをくぐる 山の宿」

(2)ハクサイのお面

 野菜での遊びもいろいろありますが、これはハクサイのお面です。
お母さんから白菜の葉を一枚もらいます。パセリを眉毛、目はマッ
チの軸、鼻はニンジン、ひげはネギでできあがり。

 小さな目、赤鼻のベローンとしたとぼけた顔。口はない方が味が
あります。次の日にはしおれてクチャクチャ顔。一日のとぼけ顔で
ありました。

 ハクサイは中国では紀元600年くらいから栽培され、日本には
1875年(明治8)に伝来したという。
・アブラナ科アブラナ属の越年草
(090)

 

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 冬編(2月)・第6章「首すぼめ つららをくぐる 山の宿」

(3)スイセン

 あたたかい地方ではそろそろ咲きだすスイセン、福井県越前海岸、
淡路島、南房総には有名な野生地があり、観光地として売り出して
います。

 野生しているニホンスイセンは、地中海沿岸原産のフサザキスイ
センという種類の変種だとか。昔、シルクロードを通り唐の時代に
中国に伝わり、さらにそこから日本に渡来(中国で野生化したもの
が海流に乗って流れ着いたものだといわれます)。

 日本で最初のスイセンの記録は、平安時代に藤原良経が色紙に描
いたもの。室町時代の国語辞書『下学習(かがくしゅう)著者不明』
にもその名が載っているという。

 清楚で美しいニホンスイセンは、日本人に好まれ桃山時代から生
け花によく利用されました。スイセン(水仙)とは、水が欠かせな
い植物で湿地によく育つからだとか、また、水さえあれば仙人のよ
うに枯れ(死)なないという意味だそうです。

 スイセンには、麻酔状態を引き起こすアルカロイドのナルシチン
が含まれるところから、属名・ナルキスス。ギリシャ語のナルケ(麻
酔させる)からきているそうです。

 鱗茎は、卵状の球形でラッキョウ型。葉は細長く平たい線形で4
〜6枚重なっています。1,2月ごろ、葉の間から直立した花茎を
出し、高さ20〜30aの茎の先に膜のような仏焔葉を出して、散形
状の花をかかえています。

 花はよい香りがし、子房の下で曲がって横を向いて咲きます。八
重咲きの品種もあります。
・ヒガンバナ科スイセン属の耐寒性球根草
(090)

 

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2月終わり