冬 編 1月

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●目次

第1章 なんとなく 野山の草木も 正月気分
 ・(1)睦月(033) ・(2)門松(033) ・(3)マツ(034・035・036-1)
 ・(4)ミヤマフユイチゴ(036-2)

第2章 枯れ野原 凍てつく道に お地蔵さん
 ・(1)地蔵さま(037) ・(2)だるま(038) ・(3)サギ(039)
 ・(4)ヤナギ(040) ・(5)ミズキ(041) ・(6)ビワの花(042)

第3章 セリ ナズナ 七草の粥 子は残し
 ・(1)七草(043) ・(2)ナズナ(044) ・(3)ダイコン(045)
 ・(4)カラス(046) ・(5)スハマソウ(047) ・(6)ツグミ(048)

第4章 小春日和 道ばたで迎える 庚申塔
 ・(1)庚申塔(049) ・(2)ナンキンハゼ(050) ・(3)イラガのまゆ(051)
 ・(4)シモバシラ
(052)

第5章 霜焼けに かかって赤い? 天狗の面
 ・(1)天狗(053) ・(2)アオキ(054) ・(3)竹馬(055)
 ・(4)シャボン玉(056) ・(5)オナガ(057) ・(6)野菜のこま(058)

 

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第1章 なんとなく 野山の草木も 正月気分

 冬編(1月)・第1章「なんとなく 野山の草木も 正月気分」

(1)睦月

 1月を睦月(むつき)とも呼んでいます。これは本当は明治5年
まで使っていた旧暦(太陰暦)の呼び方ですがいまの暦で見通用し
ています。むつきは「実月」のことで稲の実をはじめて水に浸す月
(旧暦1月)の意味だという。

如月、弥生、卯月など1年12ヶ月の異名はすべて「稲禾生熟の次第
を逐いて名づけしなり」と「大言海」の国語学者・大槻文彦は説い
ています。
 
そういえば、万葉集にも「むつき」という言葉が出てきます。「牟
都奇(むつき)立つ 春の初めにかくしつつ 相(あい)し笑みて
ば時しけめやも」(大伴家持)とか、「武都紀(むつき)立ち春の来
らばかくしこそ梅を招(を)きつつ楽しき終へめ(大弐紀の郷)な
どの歌がそれ。

 そのほか、正月はみんなが一緒になって祝い、仲良くする「睦び
月」が語源だとする説。これに対して、一年のはじめの「もと(元)
つ月」が略されて、むつきになったとの説があります。元ははじめ
の意味だそうです。
 さらに、春陽が発生しはじめるという意味の「生む月」がなまっ
たという説などもあります。
(033-1)

 

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 冬編(1月)・第1章「なんとなく 野山の草木も 正月気分」

(2)門松

 いまはあまり見られませんが、かつて門松は正月とは切っても切
れないものでした。それは正月さまの神まつりの祭場であることを
示すために、家の門口にたてます。また、山の上からおりてくる年
神さまの目じるしになるとも考えられていました。

 門松のルーツについてはいろいろな説があります。中国の唐の時
代のやり方が日本に伝わったのだという人、昔から、宮中にそのし
きたりがないところから、貧しい家がきたない所を隠すためにたて
たのだという人もいます。

 また、もと皇居の門前に鉾(ほこ)をたてていたのが変化したの
だという説、スサノオノミコトが巨旦将来(こたんしょうらい)と
いう人を殺した時、お墓にたてたのが門松のもとになったのだ、と
の説もあります。

 門松のかわりに、家の中にクリスマスツリーのような大きな松を
たてる所や、神棚に小さな松を飾る所もあります。

 昔は、松のかわりにサカキをたてていました。ところによっては、
シキミという木をたてたりしましたが、平安時代の延久・承保年間
(1069〜1077)ころからだんだん松に変わってきたそうです。

 門松をたてない所もあります。群馬県の六合むらでは先祖が、落
人として住み着いたのが元旦のため、門松をたてません。でもどう
いうわけか、門松という地名があったり、松の木が生えています。

 しかしいまでは一般家庭では、印刷した門松や略式の門松で代用
するようになってきました。
(033-2)

 

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 冬編(1月)・第1章「なんとなく 野山の草木も 正月気分」

(3)マツ

 前のページの門松にちなんで、松についてひとくさり。一口に松
といっても、種類は多く、日本だけでも二葉松類のクロマツ、アカ
マツ、リュウキュウマツ。五葉松類のヒメコマツ、ハイマツ、チョ
ウセンゴヨウ、ヤクタネゴヨウがあります。

 昔中国に丁固(ていこ)という人がいたそうです。ある日、お腹
に松が生える夢を見て「これはわが身の出世を教示する夢だ。松は
「十八公」なり。18年たったら必ずや「公」となるであろう」と
いっていましたが、本当になってしまったという。そこで十八扁に
公と書いた「松」の字ができたという話があります。

 さてマツとはどういう意味か。これにはいろいろな説があり、マ
ツは待つ、霜や雪の降るっのを待ってなお、葉の色が変わらないの
をほめているのが一つ。マツはモツ(持つ)のことというのが第二
の説。昔から葉の色も不変なので“久しきを持つ”という意味。ま
た、松は葉が木のまわりにまつわりつくように生えるので、“マツ
葉木”なのだという説もあります。

 普通松といえば、クロマツとアカマツのこと。まずクロマツつい
て。文字通り、黒っぽい幹をしています。大きな物は高さ35m、
直径2mにもなります。雄松といい、潮風にも強いので、海岸の砂
防林、防風林として植えられます。枝のたれるもの、葉に白い斑の
入ったものなど、園芸品種もあります。

 アカマツ。赤褐色の幹をしており、雌松(めまつ)とも呼ばれま
す。やはり、高さ30m、直径1,5mにもなる大木。低山帯に多く
生え、土地に適用しやすいので、乾燥してやせた土地の造林や、土
砂坊止林、防風林、風致林として、また、マツタケをとるために造
林されたりします。タギョウショウ、シダレマツなどの園芸品種も
あります。

 クロマツ、アカマツからとれる松脂(まつやに)は、テレビン油
などの原料に、また材は建築、土木、船舶、合板、パルプ、器具、
包装など幅広く利用されます。木は庭園、公園、並木、盆栽といい
ことずくめ。球果はおなじみのマツカサです。

 松の葉を使って草花遊び?をします。
 とがった松葉を束ね、木の葉の頭に顔をかいてお相撲さんを作り、
丸い土俵の中ではっけよい。ゲンコツで土俵をたたいて相撲をとら
せます。

 二本くっついた葉を組み合わせてカメもできます。広葉樹の葉に
松葉をさして虫かごのできあがり。ただし、虫を入れても、すぐに
逃げてしまうけれど…。そのほか、かんざしや馬、弓矢なども作っ
てみよう。
(034・035・036-1)

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 冬編(1月)・第1章「なんとなく 野山の草木も 正月気分」

(4)深山の苺・ミヤマフユイチゴ

山歩きで食べられる木の実を探すのも楽しみなひとつです。とくに
キイチゴ・クサイチゴは種類も多く、冬でも実が熟して、日だまり
ハイクでもよく見つけます。

冬のイチゴで代表的なのがフユイチゴですが、その仲間にミヤマフ
ユイチゴという種類があります。

このイチゴの実も甘くて食べられます。名前は深山(みやま)に生
えるフユイチゴの意味だとか。

本州(埼玉県・神奈川県以西)から四国・九州の山地にはえるつる
性の常緑小低木です。茎はほそく長く、高さ30〜40センチぐらい。

直立または斜め上にのびて毛はなく、小さいとげがあります。葉は
互生(茎に互い違いにつく)して卵形。先端は鋭頭形で、基部は心
臓形、多くは3〜5、浅く裂けています。

葉のふちには細かい歯牙状のきょ歯があって、両面に生える毛は少
い。葉柄にも毛が少ないですが、とげがあります。

夏に葉のわきから出る短い花枝に穂をつくって小さい白い花をつけ
ます。がく片は卵形で鋭く尾っぽのようにとがり,がくの両面には
柔らかい短かい毛が多く生えています。

花弁は5枚つき、その形は倒卵状楕円形で、がく片より短い。核果
は集まって球形になり、冬に赤く熟します。

フユイチゴによく似ていますが、茎葉に毛がほとんど生えていなく、
葉が鋭くとがり、小さなとげがあって、花弁はがく片より短いとこ
ろが違うそうです。

そのあたりでフユイチゴと区別できるのだそうです。しかしいたる
ところでフユイチゴと雑種をつくるというし難しそうですね。

でもそんなことより、山道を歩きながらちょっとつまんで食べる、
そんないたずらが山歩きの楽しみを倍増させてくれます。
・バラ科キイチゴ属の常緑小低木
(036-2)

 

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第2章 枯れ野原 凍てつく道に お地蔵さん

 冬編(1月)・第2章「枯れ野原 凍てつく道に お地蔵さん」

(1)地蔵さま

 今日は、家族でハイキング。寒い中、お地蔵様が迎えてくれます。
 お地蔵様の本名は、地蔵菩薩。お釈迦様の死後、弥勒菩薩が出現
するまでの56億7千万年の間、人々に法を説くため、この世にあ
らわれた菩薩だとする仏教の考えです。

 仏教では、人間は死んだ後、この世での行いの報いとして地獄、
餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界に生まれかわると考え
ます。地獄や餓鬼、畜生の世界に生まれればたいへんな責め苦にあ
わねばなりません。

 しかし、そんなところでもちゃんとその世界担当のお地蔵様がい
て、救ってくれるのだそうです。六つの世界の担当のお地蔵様、そ
れが六地蔵です。その後、地蔵様はいろいろな願いをかけられる対
象ともなり、子安地蔵、、とげ抜き地蔵などができていきます。
(037)

 

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 冬編(1月)・第2章「枯れ野原 凍てつく道に お地蔵さん」

(2)だるま

 初もうでの時、お父さんがだるまを買ってきました。白目のまま
の目無しだるまに願いをかけ、飾り、願いがかなったら、黒目を入
れるのだそうです。これは関東のやり方。西日本では、黒目のはち
巻きだるまが多いそうです。

 そもそもだるまは、禅宗の始祖、達磨大師が、坐禅を組んだ姿を
写した縁起物の玩具です。面壁九年(壁に向かって九年間も坐り、
悟りを開いたという故事)にちなんだもので、倒れてもすぐ起きあ
がるようになっています。

 室町時代、上方に起き上がり小法師というものがありました。小
法師が江戸に伝わったのが江戸時代中期。後、だるまのデザインの
小法師ががあらわれ大好評。江戸末期には起き上がり玩具の代表格
に。子どもの疱瘡よけに養蚕農家、大漁、商売繁盛などの縁起物と
して今でも市が立っています。
(038)

 

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 冬編(1月)・第2章「枯れ野原 凍てつく道に お地蔵さん」

(3)サギ

 農村へ行くと、田んぼで時々シラサギが忙しく餌を探している姿
を見ます。私の子どもの頃は、よく見たのに、最近はすっかり少な
くなってしましました。

 日本には18種類ものサギがいますが、普通シラサギと呼ばれる
ものは、ダイサギ、チュウサギ、コサギの3種類。

 田んぼや湖、海岸などに住んでいて、カエル、魚、こん虫、貝な
どの餌を探して食べています。

 夏の繁殖期にはえる背の飾り羽は「みの羽」と呼ばれ、非常に美
しく、以前は女性の帽子の飾り物として高く取り引きされました。
 そのため、羽毛採集業者の乱獲で激変。多くの国の法律で、禁止
され、増えだしましたが、工業化の波で餌場や繁殖場所が荒らされ
減ってきています。昔は、サギ山という集団営巣地があちこちにあ
りました。

 シラサギは、昔から神秘的な言い伝えが多く、京都・石座(いわ
くら)神社の神の使いはシラサギだとか、「鷺の湯」などというシ
ラサギが発見したという温泉などがあります。
(039)

 

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 冬編(1月)・第2章「枯れ野原 凍てつく道に お地蔵さん」

(4)ヤナギ

 春早く花を咲かせる木々の冬芽もだいぶ膨らんできたようです。ヤ
ナギ類もその仲間。固い芽の中は、春の準備に大忙しなのかも知れ
ません。

 ヤナギ、ヤナギと申しましても、その種類は多く、ネコヤナギか
らシバヤナギ、アカメヤナギ、イヌコリヤナギなど、いろいろです
が。単にヤナギといえば、シダレヤナギをいうようです。

 ヤナギの名は、この木で矢を作るので矢木(やのき)、梁(やな)
をつくる梁木(やなのき)、また、弥長木(やなぎ)あたりが語源
だとされていますが、イマイチはっきりしません。

 ヤナギは花の頃、葉が出ないものが多く、時期により葉の形が変
わっていたり、自然雑種が多く、季節によって別種に見えたり、専
門家でも分類が難しいといいます。

 ヤナギの枝で語源でもある弓矢を作ります。弾力のある枝に糸を
張るだけ。絶対に人に向けたりしないこと。
(040)

 

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 冬編(1月)・第2章「枯れ野原 凍てつく道に お地蔵さん」

(5)ミズキ

 冬になって赤くなったミズキの枝にまゆ玉や団子をさして、1月
15日の小正月の飾りものにします。

 ミズキは、春、小枝の頂の密集した白い4弁花を咲かせる落葉高
木。ミズキとは水木。春、葉が開く頃は、水を吸い上げる力が強く、
その頃、枝を折ると、水がしたたり落ちるといいます。ミズノキ、
ミズシの名があるのはそのためです。果実は秋、黒く熟します。

 やわらかな材は印材、細工物、げたやこうもりがさの柄(え)、
くしなどにも利用されたことがあります。昔の子どもたちは、ミズ
キの枝分かれしたところをひっかけて引っぱりあって遊んだので、
カギッコ、カギッピキ、スモウトリノキなどの方言があります。

 赤いミズキの枝を使っておもちゃの家を作ります。大黒柱2本、
柱が4本、、棟木(むなぎ)、桁(けた)など工夫してみましょう。
ミズキ科ミズキ屬の落葉高木
(041)

 

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 冬編(1月)・第2章「枯れ野原 凍てつく道に お地蔵さん」

(6)ビワの花

 小春日和の午後、ビワの花にミツバチが集まっています。あまり
きれいというほどの花ではありませんが、11月から1月ぐらい咲
く花として、昔の小学唱歌に歌われています。

 ビワは、果実が楽器の琵琶に似ているからとも、葉がその形をし
ているからともいわれています。原産は日本および中国。初夏に熟
した果実は、生食に、缶詰に、ジャムに…。材は強いので杖に、木
刀に、装飾用に利用。種子は杏仁の代用に。葉を呼吸器や消化器に
薬効あるそうです。

 江戸時代、枇杷葉湯(びわようとう)という薬が流行。食中毒、
大腸カタルによいと屋台をひいて売り歩いたそうです。また、ビワ
は種子が大きいのが難点です。

 大正初期、三井家が数千円を投じて、種なしビワを研究しました
が、成功しなかったという話もあります。

 平安前期の本「本草和名」に「枇杷(ひわ)」和名は「比波(に
わ)」と書いてあります。昔の小学唱歌には「ビワの花咲く年の暮
れ…」というのもあります。
・バラ科ビワ属の常緑小高木
(042)

 

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第3章 セリ ナズナ 七草の粥 子は残し

 冬編(1月)・第3章「セリ ナズナ 七草の粥 子は残し」

(1)七草

 1月7日は七草で、七草粥を食べます。七種(ななくさ)の節供
のことで、七種類の若菜を入れたお粥を食べると、病気にならない
などと昔の人はいいました。

 中国の漢の時代(唐代だとも)に七種類の菜を羮(あつもの)に
して病気にかからないおまじないをする行事があり、日本に伝わり
ます。

 この伝わってきた七種粥(ななくさがゆ)とは別に、日本にも独
特の七種粥がありました。材料は、コメ、アワ、キビなどの穀物で
す。それが中国伝来の若菜の七種粥の行事と習合し、平安時代頃か
ら若菜粥に変わっていきました。

 七草、ナズナ、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に…と七草ば
やしを唱えます。唐土の鳥というのは、鬼車鳥(きしゃちょう)と
いう空飛ぶ鳥。

 この鳥は子どもを疳(かん)にするという悪鳥で、人の爪が好物
といいます。ですから夜、爪を切ってはいけないというのはここか
らきています。

 七草とはセリ、ナズナ(ペンペングサ)、ゴギョウ(ハハコグサ)、
ハコベラ(ハコベ)、ホトケノザ(タラビコ)、スズナ(カブ)、ス
ズシロ(ダイコン)の7種だそうです。悪鳥が飛ぶ前に七草粥を食
べると寿命がのびるという言い伝えもあります。
(043)

 

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 冬編(1月)・第3章「セリ ナズナ 七草の粥 子は残し」

(2)ナズナ

 「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコゲラ・ホトケノザ…」おなじみ
春の七草にも登場するナズナですが、早い話がペンペングサです。

 中国・清の時代本『植物名実考』には、これを食べると胃や腸が
洗われるので「浄腸草」というと出ています。たしかに民間薬とし
て、毒消し、利尿、止血薬に使われていますので、やはり春の七草
として食べるのは体に「グー」なのであります。

 また、どんな成分からか、この花を床下に入れておくとノミが出
なくなると薬草の本に書いてあります。

 ナズナとは、撫菜(なでな)のなまったもの。愛らしい菜だという
わけです。まだこれは古代朝鮮語をつかった「ナジの菜」だとする
人もいます。

 ペンペングサは、ナズナの実の形がシャミセンのバチに似ている
ためについた名だということはご存知のとおりです。

 ロゼット葉になって地面にへばりついている若苗をおひたしに、
からし和え、ナズナ飯、汁の実などにして食べます。また、花のお
わったあとの種子は熟すと、もんで水でかきまわし、底にたまった
実を似て食べたりするそうです。

 シャミセン形の種子をひっぱり、茎に皮をすこし残して振ると「カ
ラカラ」と音をさせるのもなつかしい遊びです。そんなところから
 「ガラガラ」、「チロリン」という方言もあります。根や葉を黒焼
きにして下痢や腹痛の薬に利用します。
・アブラナ科ナズナ属の越年草
(044)

 

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 冬編(1月)・第3章「セリ ナズナ 七草の粥 子は残し」

(3)ダイコン

 七草ついでにスズシロ(ダイコン)のお話です。農家の軒先にズ
ラリとダイコンが干してあります。たくあん漬けにするためです。
また、切り干しダイコンとして、むしろの上に広げて干してある家
もあります。

 ダイコンの原産地は地中海沿岸あたりとか、コーカサス南部から
パレスチナ方面といろいろな説。ま、そこらへんから西アジアに伝
わり中国に入ります。

 そして、日本へ渡来します。あの『日本書紀』(720年)にも書
かれています。そのころ、ダイコン1本が米1升と同じ値段だった
という記録もあります。

 日本のダイコンは、形や大きさともに世界一。その話をしても外
国では信じてくれないそうです。

 大根役者という言葉もあります。ダイコンは、いくら食べても食
中毒に当たらないところから、いくら演技しても当たらない役者を
いいます。伝来以来、民衆に親しまれたダイコンは、ことわざや行
事にもとりこまれ、今ではなくてはならない野菜です。
(045)

 

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 冬編(1月)・第3章「セリ ナズナ 七草の粥 子は残し」

(4)カラス

 一年中見られるカラス。特に冬は群れをつくり、にぎやかです。
大勢で集まっているもの、おじぎをしながらカアカア鳴いているの
もいます。

 カラスは、スズメと同じように人間になじみが深い鳥。くちばし
のぶっといハシブトガラス、くちばしの元のところからだいたい直
角にひたいが立ち上がっています。くちばしが細いのがハシボソガ
ラス。身近にいるカラスです。一夫一婦のつがいで縄張りをもつと
いう。

 このごろの観光開発で、結構山奥まで入りこみ、ハイキングの時
に、山頂のごみ箱をあさり、散らかすのをよく見かけます。また群
れで子犬を突き殺し、食べたりもするそうです。

 何年か前、南アルプスの昔の登山道の大日峠から静岡市口坂本、
上落合へ歩いていた時のこと。まわりのお茶畑のすぐ上の電線を飛
び移りながら大きなハシブトガラスが、追いかけてきます。一時は
身構えたほど。脅かしやがって…。アッホー。
(046)

 

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 冬編(1月)・第3章「セリ ナズナ 七草の粥 子は残し」

(5)スハマソウ

 スハマソウとは変わった名前です。スハマとは洲浜で、海上に浮
かぶ小島が干潮で砂洲を三方に現した姿のこと。その様子を飾り台
にして木石・花鳥で飾り宴席におくのが洲浜台。

 なんかまわりくどくなりましたが、この草の三つに分かれた葉の
形が、その洲浜に似ているので洲浜草なのですと。

スハマソウはミスミソウの品種。春早く花が咲くため、雪割草など
とおだてられ、(サクラソウの中間にも同じ名前のものがある)鉢
植えとして正月の飾りに用いられます。

 さて、スハマソウはキンポウゲ科ミスミソウ属の多年草。3月ご
ろ、古い葉の間から長い柄のある白または淡紫色の、径1、5センチく
らいの花を咲かせます。花弁はなく、花弁に似た長だ円形のがく片
が6〜8枚。たくさんの雄しべと花心にほぼ球形に集まる雌しべが
多数あります。

 葉は根生で長い柄があり、冬でも枯れずハート形で三つに裂け、
その一つ一つが広卵形で先が鈍形になっています。葉の先がこれよ
りとがっているのがミスミソウです。

 このスハマソウの根生用に薬効がああるといいます。タンニンを
含んでいて消炎、鎮痒(よう)作用に利用。また民間療法として根生
葉を刻み、アルコールに浸して、水を加えたものをヒビやアカギレ
に塗布するという。濃く煎じ、扁桃炎、口内炎にも効ありといいま
す。本州から四国に分布しています。
・キンポウゲ科ミスミソウ属の多年草。
(047)

 

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 冬編(1月)・第3章「セリ ナズナ 七草の粥 子は残し」

(6)ツグミ

 河原や畑、草原などの開けた所でツグミがキィキィと鳴きながら
餌を探しています。食べるものは昆虫や植物の実。ピョンピヨンと
歩いては立ち止まり、落ち葉をひっかきまわしたりしては、ミミズ、
カタツムリなどを食べます。

 ツグミは冬鳥です。秋、シベリヤあたりから数百羽という群れを
なして日本に渡来。冬は単独で生活します。そして、4月頃になる
と、また、北へ帰っていきます。

 ツグミの肉はおいしいというので、肉など、ろくに食べられなか
った昔は、かすみ網などで毎年数百万羽も乱獲、人間様の胃袋に。
すっかり数が減ってしまいました。

 昭和22年から、かすみ網猟は禁止され、ツグミもとってはいけ
ない鳥に。しかし、山歩きをしていると、今でもこっそり猟をして
いるらしく、かすみ網を張ったあとをよく見つけます。

 ツグミはスズメより大きい鳥で、歩いては2,3歩で立ち止まる
のが特徴です。
(048)

 

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第4章 小春日和 道ばたで迎える 庚申塔

 冬編(1月)・第4章「小春日和 道ばたで迎える 庚申塔」

(1)庚申塔

 テントを張りながらの山歩き。久しぶりに人家のある所へおりて
きました。道端の庚申塔がなつかしい。

 庚申の文字を刻んだもの、見ざる聞かざる言わざるの三猿像のあ
るもの、青面金剛像だったり、たなびく雲に日や月を刻んだものな
ど、いろいろです。

 庚申とは、カレンダーなどにある、きのえさる、ひのえたつなど
の一つ、かのえさる(庚申)の日の信仰。

 そもそも人間の体の中には「三尸(さんし)」という虫がおり「か
のえさる」の夜、眠っている間にこっそりぬけ出し、その人の悪事
罪科を天帝に報告。それをもとに天帝は人の寿命を決める…。中国
の道教の思想です。

 そこで、この夜、三尸の虫がぬけ出せないよう一晩中みんなで集
まり飲み食いして起きていたのが庚申待ち。娯楽の少ない昔の人の
楽しみで一つでもあったのでしょう。この庚申待ちの供養塔を建て
ることがはやりだしたのは室町時代末からだそうです。
(049)

 

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 冬編(1月)・第4章「小春日和 道ばたで迎える 庚申塔」

(2)ナンキンハゼ

 小鳥の餌にもなるナンキンハゼ。白いろう質の油脂に包まれた3
個の種子が風に揺れています。

 ナンキンハゼは、秋の紅葉も美しく、血をみるような暗赤色。3
室からできている果実は扁球形、溝があり、秋に熟すと割れて開き、
3個の種子がまる出しになります。

 種子の表面は、白いろう質で、高さ10mもの木に一面になった
さまは、まるで銀の花が満開になったようだといいます。

 種子の表面のろうは、沃素価(ようそか)が低く、高温でないと
溶けませんが、種子の中の油は乾きやすく、毒があるといいます。

 その二つの油を混ぜたものは「木油(ムーユー)」と呼ばれ、中
国ではろうそくの原料や、石けんに利用したりするそうです。名前
は南京(中国)産のハゼの意。ろうがとれるハゼノキに見立てたも
のだという。
トウダイグサ科シラキ屬の落葉高木
(050)

 

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 冬編(1月)・第4章「小春日和 道ばたで迎える 庚申塔」

(3)イラガのまゆ

 木枯らしが吹き荒れ木の葉もすっかり落ちてしまいました。そん
なカキの木の枝のまたに1センチくらいで、白地に太い黒い帯があ
る小さな卵のようなものがついています。

 イラガのまゆです。まるでスズメの卵のようなので「スズメノタ
マゴ」の異名もあります。またスズメノマクラ、スズメノショウベ
ンタゴ、スズメノショウベンダマなどの方言もあります。

 まゆは固く指で押してもなかなかつぶれません。中にはイラガの
前踊(ぜんよう・さなぎになる前に食べることをやめて体が太く短
くなった幼虫)が体を縮めて入っていて春の来るのを待っています。
これは釣りの餌として利用され、タマムシという名で売られていま
す。

 イラガといえば春から夏にカキの木などの葉の裏にビッシリと行
儀よくならんで卵を産めつけられ、幼虫(イラムシ)になると別々
に行動し葉を食べまくります。

 漢字で刺蛾(いらが)と書くようにとげがあり猛毒があり、触っ
たりするとビビーッとしびれ飛び上がるほど痛みが走ります。

 幼虫は秋になると糸をはいてまゆをつくり越冬します。やがて春
になるとまゆの中でさなぎになり、穴をあけて外に出て羽化します。
上部に穴のあいたまゆの形が桶のようなのでスズメノショウベンタ
ゴというのだそうです。

 このイラガのまゆを利用して子育てをする昆虫がいるというので
す。イラガイツツバセイボウという蜂でイラガがまゆをつくるとこ
の蜂が産卵。幼虫はイラガのさなぎに寄生して成長し羽化します。
自然は厳しいものです。

 この穴のあいたところを吹くと音が出て笛にして遊べます。イラ
ガのまゆはカキ、ナシ、ウメ、サクラ、ヤナギなどにもつきます。
(051)

 

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 冬編(1月)・第4章「小春日和 道ばたで迎える 庚申塔」

(4)シモバシラ

 冬の山道を歩きます。日陰は大きな霜柱ができています。靴で踏
むとザクッとつぶれます。そばに枯れた草の茎に氷がくっつき、ま
るで霜柱のようになっている植物があります。シモバシラという野
草です。

 この草は、冬、冷え込んだ時に土の中の水分が、枯れた茎の導管
を伝わって凍り、茎をやぶって外に立て氷結が霜柱のようになりま
す。この形からユキヨセソウ(雪寄草)の名もあります。

 シモバシラは、関東から西の太平洋側の山地と、四国、九州、沖
縄にも分布しているといいます。沖縄でも凍って霜柱になるのかし
ら?シモバシラ属のシモバシラという種は、日本特産の草。

 シモバシラ属のほかの種は中国にもう1種あるだけだそうです。
何とも貴重な草ではありませんか。みごとに発達した氷結は根元か
ら高さ60センチ、横は10センチにも伸びることがあるといいます
からスゴイものです。

 シモバシラの草は山の木かげに生え、茎が堅くて4角形、高さは
40センチ〜60センチ。葉っぱは対生(茎に向き合ってつく)で、
短い柄があり長さ6〜20センチ、うすい洋紙質でうちに腺点があ
ります。

 9月から10月ごろ、枝の上の方の葉のつけねから6センチ〜9
センチの総状花序(ヤナギランやフジなどのように、軸の下の方か
ら順に枝が出て、それぞれの先に花がついた形)を出し、小さい白
い花が2個ずつ対になってつき、一方向に向かってたくさん咲きま
す。みんな同じ方を向いているのですからそのお行儀は見事です。

 花には短い柄があり唇形をしています。小さな唇が、同じ方向を
向いてズラーッとならぶのですからすごい。がくは長さ9ミリ、花
冠も長さ7ミリ上。唇は浅く2つに、下唇は3つに裂けています。
雄しべは4本。長く、花の外に突きだしていて、下の2本がすこし
長くなっています。

 シモバシラのようなシソ科のものは他にも同じように冬、氷結が
つき、これらをひっくるめて「霜柱草」と呼んでいるそうです。

 ちなみにシモバシラ属は、英語ではケイスケア属といいます。ケ
イスケアは江戸末期から明治時代にかけて知られた、日本で初めて
の理学博士で植物学者の伊藤圭介の名前にちなんでつけられたのだ
というからすごい!ですよね。

 もう20年も前のある年の冬、家族で丹沢の雨山峠から鍋割山へ
歩いていました。こんな所に?と思うほどのくさり場があります。
そこを越えて、もう1度の登りに入るきわにシモバシラ(枯れた茎
だったのでもしかしたらシソ科の他のものかも知れません)があり
ました。結構見事なものでした。

 図鑑をみて、名前は知ってはいましたが、実際に見たのはその時
が初めて。さっそく子どもたちを呼び、いっぱしに受けうりの説明
をしました。自慢げに話すオヤジに、息子はつまらなそうな顔をし
ていました。関東地方から西・四国・九州に分布
・シソ科シモバシラ属の多年草
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第5章 霜焼けにかかって赤い? 天狗の面

 冬編(1月)・第5章「霜焼けにかかって赤い? 天狗の面」

(1)天狗

 山の中で天狗の相撲場、天狗松(スギ)という所がよくあります。
相撲場は、山の茂みの中で、10坪以上もの砂地やコケの生えた所。
いかにも天狗が相撲をとって遊ぶような場所です。

 天狗松(スギ)は、マツやスギの枝が二また分かれたり、こぶが
あったりして、腰掛ける具合いのよさそうなマツやスギのこと。天
狗が休んだり、遊んだりするのに都合がよいというわけです。また、
天狗のすみかだともいいます。

 鼻の高い赤ら顔の天狗は、日本だけの想像の妖怪。中国の昔の本
に「流星は下りて地に止まるや狗(いぬ)に類す」とあり、天を走
る狗・天狗とは流星のことでありました。

 それが日本に入り、日本書紀には天狗(あまつきつね)と出てき
ます。天狗が今のような形になったのは、鎌倉時代以降、修験道が
発展してからだといわれています。
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 冬編(1月)・第5章「霜焼けにかかって赤い? 天狗の面」

(2)アオキ

 薄す暗い林の中で、赤いアオキの果実が色づいています。赤だの、
青だの、黄だのと、信号のようですが、れっきとした植物の話です。

 アオキは青木、葉から幹、枝までも青く、そこから名前がきてい
ます。属の名の「アウクバ」はもともと青木葉の意味。さすが日本
特産、外国でもアオキの名前で通ります。

 アオキは北海道から沖縄まで分布しており、葉に白や黄色の斑
(ふ)の入ったものなど園芸品種がたくさんあり、欧米にも輸出し
ています。

 アオキの葉は薬用にも使われ、生の葉をもんだり、火にあぶった
りして、ドロドロにしてはれものに貼ったり、やけどにも貼るなど、
消炎や鎮痛の効果があるといわれています。これはたぶん青葉アル
デヒドのような抗菌成分があるせいではないかといわれていますが
はっきりしません。
・ミズキ科アオキ属の常緑低木
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 冬編(1月)・第5章「霜焼けにかかって赤い? 天狗の面」

(3)竹馬

 よく「竹馬の友」といいます。竹馬に乗って遊んだ頃からの友、
幼な友だちのこと。それほど子供の代表的な遊びです。昔からどう
いうわけか、冬になると竹馬に乗って遊びました。

 初めはペシャ馬に乗り、うまくなるにつれ、足掛けを高くし、駆
け足、並み足と、歩き方にも変化をつけます。さらには、ちり取り、
鉄砲かつぎ、かつお節けずり、ひっかけ、鬼ごっこ、石けり、陣取
りなどもします。

 そもそも竹馬のルーツは、室町時代、田楽で用いた高足。高足は、
十字形の棒の横木に乗って飛びはねるもの。それが江戸時代になっ
てから今の形に。

 それとは別に、葉のついた竹に手綱をつけ、馬に見立てまたがっ
て走りまわるのも竹馬です。平安時代からあった遊びで、江戸時代
に入るとこれに馬の首と車をつけ、春駒と呼び遊びました。
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 冬編(1月)・第5章「霜焼けにかかって赤い? 天狗の面」

(4)シャボン玉

 これも知らない人はいない遊びの一つです。シャボンとは石けん
のこと。ポルトガル語のサボンが語源で、日本に「シャボン」が最
初に渡来したのは室町時代。シャボン玉が文献に初めて載ったのは
1680年、江戸前半の洛陽集という本。

 当時、石けんは貴重品。シャボン玉遊びなど、そう簡単にできる
ものではありません。そこで、どこでどう思いついたのか、ムクロ
ジやイモガラ、タバコの茎などを焼いた粉末の溶液をつくり、水圏
戯(すいけんぎ)という似たような遊び。その液もシャボンといっ
ていました。

 「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」という本に出ています。なぜ
玉ができて、虹色に輝くのか、ホイルやニュートン、イギリスのヤ
ング、フランスのフレネルなどが研究。表面張力がどうの、薄膜が
層状構造でこうのと、とてもたいへんなのです。
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 冬編(1月)・第5章「霜焼けにかかって赤い? 天狗の面」

(5)オナガ

 ゲェーイ、ゲェーイとにぎやかに、オナガが飛んでいます。全長
の半分が尾という、まさに尾長の名にピッタシ。頭は黒、背面は灰
青色、尾は淡青で、中央の二枚は先端が白くきれいです。

 また、飛び方もゆったりとした波形で優美。ところが姿に似合わ
ない乱暴もの。小鳥はいじめるワ、他の鳥の卵やひなを盗んでは食
べるワで、まさに「人の迷惑かえりみず…」なのです。

 小さな群れをつくり、雑木林や人家付近を飛び回り、マツケムシ、
カナブン、クワの実、カキなどを食べる雑食性。勢いあまって、果
樹園を荒らすこともあるといいます。

 庭にパンや牛脂をおくと食べに来ます。最近どういうわけか、西
日本にいなくなり、東日本では逆に分布を広げてきたといいます。
どうりで、さわがしいわけです。
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 冬編(1月)・第5章「霜焼けにかかって赤い? 天狗の面」

(6)野菜のこま

 お母さんが料理に使った野菜の切れはしをもらい、こまを作りま
す。ナスやニンジンのへた、ジャガイモの残りに、楊子やマッチ棒
の心棒をさしてできあがり。そのほか、ピーマン、キュウリなどな
んでもできそうですが、桜島ダイコンとなるとちょっと考えてしま
います。

 これらのこまは、回すとニンジンのへたの輪がなんともいえない
模様になります。ほかのこまにもマジックで輪をかいて風格をつけ
てやります。

 ここで野菜のおせっかい解説。まずナス。名前はよくなるという
ので「為(な)す」。6世紀前半の中国の「斉民要術(せいみんよ
うじゅつ)」という本に詳しく記述。日本では奈良時代から栽培の
記録があり、ナスビともいいます。

ニンジンは、紀元前からヨ−ロッパで食用として栽培。日本には江
戸時代前期に渡来。当時は赤、黄、白、紫などの色のものがあつた
そうです。今のものは明治時代に輸入した∃−ロッパ系の洋種ニン
ジンです。
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1月終わり