第11章 11 月

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▼中 扉

11月(しもつき) (この章の目次)
  ・霜月(しもつき)
  ・文化の日
  ・立冬
  ・七五三
  ・酉の市
  ・勤労感謝の日
  ・小雪
  ・11月その他の行事

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・霜 月

 霜月(しもつき)は旧暦(陰暦)での11月の呼び方です。そろそろ霜が降りるころなのでつけられた名前だそうです。平安末期の歌学書「奥義抄」(藤原清輔)という本には「霜がたくさん降るので霜降り月といっていたのがこの名になった」というようなことが出ています。また「滑稽雑談」(こっけいぞうだん)其諺著(江戸時代中期の歳時記)には「露こもりの葉月、雪待月、神帰月」の名が出てきます。

 英語ではノーベンバーです。ノーベンはナイン(9)の意味だそうです。ローマ暦では9番目の月でしたが、ジュリアス・シーザーの生まれた月にちなんで7月をジュライに、またローマ初代皇帝オクタビアヌスの尊号アウグスツスからとって8月をオーガストと名づけたため、ノーベンバーは2ヶ月ずれこみ、11月になってしまったという。
 全国的な秋晴れはこの月に多い。しだいに寒さが厳しくなるが、小春日和もつづきます。しかし立冬を過ぎればもうすぐ冬です。

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・文化の日(3日)

 11月3日は文化の日。これは国民祝日のひとつで「自由を愛し文化をすすめる」という趣旨でつくられました。この日にしたのは1946(昭和21)年11月3日に、公布された主権在民・戦争放棄をうたった憲法を記念して制定されました。平和への思想を基礎にする「文化」をすすめようとするものです。

 1948(昭和23)年7月20日、皇室儀礼中心のそれまでの祝祭日をやめて、自由と平和を求める国民みんなが祝う日として「国民の祝日に関する法律」で、元日、成人の日、春分の日、天皇誕生日、憲法記念日、こどもの日、秋分の日、勤労感謝の日の8祝日とともに制定されました。

 この日には、文化勲章の授賞式があるほか文化功労者が発表されたり、芸術祭、国民体育大会などいろいろな行事が、この日を中心にくりひろげられます。

 戦前には、1927(昭和2)年制定された明治天皇の徳をたたえるための「明治節」という祝日だったということです。

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・立 冬(8日ころ)

 立冬(11月8日ころ)も二十四節気のひとつです。暦のうえではきょうから冬に入ります。朝の冷気にたき火の煙がのぼり、冬立つといわれる日です。太陽の黄経が225度のところに達します。陽光もめっきり弱まり冬枯れがすすみます。

 一年を72にわけ、それぞれのその時期にふさわしく呼んだ七十二候では第五十五候〜第五十七候にあたります。第五十五候は11月8日ころから12日ころで「山茶(つばき)始めて開く」山茶はツバキとありますがサザンカのことだそうです。

 第五十六候は13日ころから17日ころで「地始めて凍る」ころ、第五十七候は18日ころから22日ころで「金盞(きんせんか)香(さく)」ころということになっています。

 二十四節気とは小寒、 大寒、立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至の24をいいます。

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・七五三(15日)

 11月15日は「七五三」。近くの氏神さまにお参りして無事成長したことを感謝し、これからの幸福と長寿をお祈りします。男の子は数え年3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の祝いです。いまのようには華やかさを競って宮まいりする七五三は、デパートなどの商人の販売作戦にのせられたものだそうで、そう昔からの風習ではないという。

 そもそも七五三の由来は、古くからあった髪置(かみお)き、袴着(はかまぎ)、帯解(おびとき)の行事をひとまとめにした行事だという。

 かつて旧暦(陰暦)の15日は暦の「二十八宿」の「鬼宿日」というものにあたり、何事をするにも吉であるとされていました。

 一方、旧暦の11月は収獲をすませ、神に実りを感謝する月でもあり、その月の満月である15日に、氏神へ子どもの成長をと加護を祈る風習があったという。さらにまた江戸時代、徳川綱吉の子、徳松の祝いが11月15日だったといい、そんなこんなでこの祝いが11月15日になったとの説があります。

 1872(明治5)年陰暦から太陽暦に変わってからは、七五三の祝いは新暦の11月15日に行われるようになりました。

 なぜ753の数字かというと、中国の思想では祝い事に用いる数は奇数(陽の数)としており、1・3・5・7・9はめでたい数字とされ、この中から753の3文字をとったものといいます。

 このように753の数字は、本膳七菜、二の膳五菜、三の膳三菜を供えた宴(うたげ)の「七五三の善」などにも用いられています。

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・酉の市

 酉の市は普通「とりのいち」と呼んでいますが、昔、東京では「とりのまち」といっていたという。酉の祭り(マチ)のことで、11月の酉の日の鷲(おおとり・大鳥)神社の祭礼です。

 初酉を一の酉、次を二の酉、三番目を三の酉といっています。鷲神社は大阪府堺町の鳳(おおとり)町の大鳥神社が本社ですが、東京などでは大鳥神社とは別にこの信仰が発展したのだそうです。

 大鳥神社は、土師連(はじのむらじ)の祖先の天穂日命(あめのほひのみこと)をまつっています。その昔土師(ハシ)を間違って「ワシ」と読み、鷲の字を当ててしまい「鷲神社」と書くようになったとのいいます。ちなみに土師(はにしともいう)は古代埴輪をつくったり、陵墓の造営に携わった人だとっか。

 東京では足立区の鷲神社がはじまりだという。以前はこの神社ではニワトリをたくさん飼っていて、境内に年のとったニワトリを放し飼いにしたのが酉の市のはじまりだという説もあります。酉の市は、いまは台東区千束3丁目にある浅草鷲神社の酉の市が有名になっています。

 11月に3回酉の日のある年は火事の多い年ともいわれ、大熊手、おかめの面、入り船など豪華な縁起物を景気のよい売り声とともに売られます。熊手は福をかきこむという意味で、商売をする人たちでにぎわいます。しかし江戸時代末期はいまとちがって酉の市の熊手は水商売の人たち用のもので、かつては実用品としてこの市で売っていたそうです。

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・勤労感謝の日(23日)

 11月23日は勤労感謝の日。1948(昭和23)年に「勤労をたっとび生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」という趣旨で制定された国民の祝日のひとつ。

 それまでは、天皇が収穫された新穀を食べてことしの収穫を感謝する儀式である「新嘗祭」という祭日でした。今回はその皇室儀礼中心の祝祭日を改め、平和憲法にのっとり自由と平和を求める国民がみんなで祝える日として「国民の祝日に関する法律」によって9つの祝日が定めらたものといいます。

 1966(昭和41)年になり、建国記念日、敬老の日、体育の日の3祝日が追加。いまは、元日、成人の日、建国記念の日、春分の日、みどりの日、憲法記念日、こどもの日、海の日、敬老の日、秋分の日、体育の日、文化の日、勤労感謝の日、天皇誕生日、それに国民の休日や昭和の日というのまであります。

 このような祝祭日は奈良時代にはすでにあったのだそうです。718(養老2)年、元正天皇の「雑令」に「正月の1日、7日、16日、3月3日、5月5日、7月の7日、11月の大嘗(おおにえ)の日はみんな節の日である」とあるのがそれだそうです。

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・小 雪(23日ころ)

 小雪(しょうせつ)は二十四節気のひとつ。立冬のあと15日目で新暦の11月23日ころにあたり、太陽の黄経が240度に達します。冬とはいっても、まだ雪はそれほど多くはないので小雪というのだそうです。

 二十四節気をさらに三つに分けた七十二候では第五十八候〜第六十候にあたります。第五十八候は11月23日ころから27日ころで「虹かくれて見えず」のころ、第五十九候は28日ころから12月2日ころで「北風葉を払う」ころ、第六十候は3日から6日ころで「橘(たちばな)始めて黄ばむ」ころだとしています。いよいよ冬将軍到来はは間近です。

 1782(天明2)年の「年浪草」(三餘斎兼文著)には「小とは寒いまだ深からずして、雪いまだ大ならざるなり」とあります。

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・11月 その他の行事

▼太陽暦採用記念日(9日) 陰暦だった古いこよみを明治5(1872)年のこの日廃止し、新しく地球が太陽のまわりを1公転する時間を1年とする太陽暦を採用することを決定しました。そして同年12月3日を明治6年1月1日として正式にいまのこよみが動き出しました。

▼唐津おくんち(3,4日) 佐賀県唐津市。14台の曳山(ひきやま)がみこしに従って、町をねり歩きます。

▼弥五郎どん祭(3〜5日) 鹿児島県大隅町。八幡神社の例祭で、身長5mもある人形弥五郎を起こす神事があり、農具市もたちます。

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 夷講は恵美須講とも書き、エビス髪のお祭り。同じ商売をしている人とか、同じ地域の人たちがエビス神をまつる団体をつくり、講の宿に集まり商売繁盛を祈りながら飲んだり食べたりします。

 にこやかに笑い、魚をかかえ釣りざおをかついだエビス様は七福神の一つです。しかし、もとは辺境者の神または武士の神だったという。それが13〜14世紀ころ市場の守護神になり、次第に福神として商人たちの信仰を集めたいったということです。

▼八代妙見祭(18日) 熊本県八代市。5mもあるカメの像が首を振りながら歩き、それに獅子舞いや奴(やっこ)がつづきます。

▼神農(しんのう)祭(22、23日) 大阪市東区道修町少彦名(すくなひこな)神社。道修町の薬業者たちの祭り。神農氏は漢方薬の創製神。少彦名神も薬の神さまです。
くなりました。

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(11月終わり)

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