第9章 9 月

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▼中 扉

9月(ながつき) (この章の目次)
  ・長月(ながつき)
  ・防災の日
  ・二学期始め
  ・二百十日(台風)
  ・敬老の日
  ・中秋名月(月見)
  ・動物愛護週間
  ・秋分の日
  ・運動会
  ・9月その他の行事

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・長 月

 旧暦では9月を長月(ながつき)といいました。江戸時代の歳時記・季題の解説書「改正月令博物筌」(鳥飼洞斎著)という本には「長月とは夜がはじめて長さを感じるころ。本当に夜が長いのは冬だけれども、夏が短いので長く思えるからだ」というような趣旨が書かれています。そのほか色どり月、紅葉(もみじ)月、小田刈(おだがり)月などという異名もあるそうです。

 英語のセプテンバーのセプトはセブンの意味だという。ローマ暦では7番目の月でしたが7月にジュライ、8月にオーガストが割りこんだため9月に、9番目のナインの語源であるノーベンバーは11月にずれてしまったということです。

 9月も中旬を過ぎるとさわやかな季節。野山にススキの穂がなびき、あちこちで運動会が開かれにぎやかです。肌にもだんだん冷気が感じられるようになります。

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・防災の日(1日)

 9月1日は防災の日です。1923(大正12)年の関東大震災を教訓に、防災意識の高揚と知識の普及のため、1960(昭和35)年閣議決定されました。この日には全国的に防災訓練などのが行われます。

 また1982(昭和57)年からは新たに防災の日を含む1週間を「防災週間」と定め、災害の未然防止と被害軽減のため国や地方公共団体、防災関係機関などが連携して講習会、防災フェア、住民の避難訓練、負傷者の救出訓練、交通対策などの行事を実施します。

 ちなみに1923(大正12)年に発生した関東大震災は、震源地が相模湾北西隅付近、マグニチュード7.9〜8.2。全壊の家12万8266戸、焼けた家44万7128戸、流された家868戸、亡くなった人9万9331人、ゆくえ不明者4万3476人にも達したそうです。

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・二学期始め(1日)

 夏休みもおわり、いよいよ二学期が始まります。学期とは1年を区分した一定の期間のひとつだという。普通、義務教育や高校では3期に、また大学では2期に分けることになっています。

 小学校のはじまりは1872(明治5)年の法律、「学制」でつくられました。それより前は江戸時代、一般市民は寺子屋で手習いをしました。1886(明治19)年になると尋常小学校(4年)と高等小学校(4年)の2段階になり、1941(昭和16)年になると小学校は国民学と名前を変えられ初等科6年、高等科2年ということになったのだそうです。

 第二次世界大戦後1947(昭和22)年4日1日に施行された教育基本法という法律でいまの6・3・3・4制が敷かれました。しかし近年、小、中一貫教育の公立小学校もできて、8年生、9年生という生徒もいます。

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・二百十日(1日)

 9月1日ごろは二百十日です。これは雑節のひとつで、立春から数えて210日目にあたります。この日は二百二十日とともに台風の一番多いころとしています。雑節とは、二十四節気や五節供のほかに1年の季節の移り変わりをつかむために暦に設けられた暦日のこと。

 徳川時代、幕府の暦編さん係をしていた保井(渋川)春海という人は大の釣り好きでした。きょうも快晴の空をみて品川の海に舟を乗り出そうとしています。それをみた老漁夫が遠い水平線の一点に浮かぶ雲を指さして、「きょうは二百十日。こんな時はやめた方がよい」と止めたという。

 果たして午後から大荒れの天気。春海先生、はたと膝をうって感心。貞享初年(1684)に採用された暦(貞享暦)に「二百十日」と記入したという。これが二百十日が暦に書かれ出した最初だといわれています。

 ちなみに実際に台風が多いのは8月、被害は逆に9月中旬以後が大きいそうです。

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・台 風

 台風とは、東経180度から西の北太平洋で発生した中心付近の最大風速が17.2m/s以上になった熱帯低気圧をいうそうです。

 もとは「颱風」と書いたそうですが1946(昭和21)年に制定された当用漢字にないため「台風」に改められたという。その語源についてははっきりせず、中国語だ、いやアラビア語だ、いやいやギリシャ語が本当だと諸説がフンプンとしています。しかし、「颱風」は中国語の颱と英語のtyphoonの音をとったものという説もあります。

 以前は大風とか嵐、古くは野分(のわき)などと呼ばれ、颱風が一般に通用するようになったのは大正時代からだと百科事典にありました。

 台風の名前は、もとは通過した場所の名をとっていました。その後ABCの順に英語の女性名をつけていましたが、1935(昭和28)年からは毎年1月1日以後、発生順に番号をつけるようになりました。また一度発生した台風が衰えて「熱帯低気圧」になったのち、再び発達して台風になった場合には同じ番号をつけるようになっているそうです。

 台風は年に平均28個くらいが発生、うち4個が日本に上陸しています。また、日本の歴史の中で災害が年号を変えたことが25回、そのうち台風のためでは13回にものぼるそうですから日本がいかに災害国であるかが分かるというものです。

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・敬老の日(第3月曜日)

 9月第3月曜日は「敬老の日」です。国民の祝日のひとつで、長い年月、社会につくしてきた老人を敬愛し長寿を祝います。これは1951(昭和26)年につくられた「としよりの日」がもとになっています。1958(昭和33)年には当時の郵政省から、「としよりの日」の特殊郵便も発行され、復帰前の沖縄でも1968(昭和43)に記念切手が発行されました。

 のち老人福祉法が制定されて「としより」という表現はよくないということもあり、1964(昭和39年)から「老人の日」に改められ、さらに1966年「国民の祝日に関する法律」の改正で、晴れていまのような国民の祝日の「敬老の日」と変わりました。

 また2001年の祝日法改正(ハッピーマンデー制度の適用)によって、2003年からは9月第3月曜日に変更されました。この敬老の日を第3月曜日に移すにあたり、高齢者団体から反発が相次ぎ、老人福祉法第5条を改定して9月15日を「老人の日」、同日から1週間を老人週間としています。このハッピーマンデー制度には、ただ休日を多くして政治家が有権者へのゴマをすっただけだという声もあります。

 きょうはそれぞれの知事や市長が長寿者の家をまわり記念品を贈ります。また各地で老人のための演芸大会などが催されます。

 なぜ9月15日かについては、あの聖徳太子が四天王寺に悲田院を建立した日であるとか、元正天皇が「養老の滝」に御幸した日であるとかという説もありますがどちらもはっきりしません。

 敬老の日は、兵庫県野間谷村(いまは多可町)の門脇政夫村長が1947年に提唱した「としよりの日」からはじまっているという。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期の気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開いたのがきっかけで、1950年から兵庫県全体で行われるようになりました。この運動はのちに全国に広がっていきました。このため敬老の日は、「母の日」や「父の日」のように外国から輸入された記念日ではないのだそうです。

 しかし少子化・高齢化が進むいま、何となく年寄りは肩身が狭くなっています。福祉の削減、高齢者への風当たりなど、なんのために社会のために一生懸命働いてきたのか嘆く声も聞こえます。

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・仲秋の名月

 陰暦8月15日は仲秋の名月で十五夜などともいっています。この月は、陰暦9月13日の十三夜の豆名月(栗名月)に対して芋名月ともいいます。昔は月見だんごは盗まれる方がよいとか、7軒分のだんごを盗んで食べれば長者になれるなどといっていました。

 そもそもこの十五夜さまを見る行事は、中国でいう「仲秋節」で、日本では909(延喜9・平安時代)年8月15日に行ったのがはじめだという。民間での月見が盛んになったのは江戸時代になってからで、いまのように供えものをするようになったのもそのころからだそうです。

 天然の現象を暦としていた昔、旧暦の各月の15日夜の月、とりわけ8月15日の満月はもっともわかりやすい折り目になっていたようです。

 ついでながら月の呼び名について。
 「三日月」:陰暦の毎月3日に出る月。「弓張り月」:月の形が弓形で、新月から満月までを上弦の月、満月の望(もち)から晦日までが下弦の月。「小望月」:旧暦(陰暦)14日に出る月。「望月」:旧暦15日夜の満月。

 「有明月」:夜明けになってもまだ出ている月。「十六夜(いざよい)」:旧暦8月16日に出るの月。「立待月(たちまちづき)」:旧暦8月17日の月。出てくるのが少し遅く立って待つ月。「居待月」:旧暦8月18日の月。さらに出るのが遅くなり座って待つようになる。なのだそうです。

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・月 見

 月々に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月……などといわれます。月見はおもに陰暦8月15日の夜の名月と、陰暦9月13日の夜の「あと名月」を観賞します。

 平安時代からはじまった月見は江戸時代になるとだんご、サトイモ、クリ、カキなどを供え、花びんにススキと秋草をいけるようになります。

 十五夜には、サトイモの茎をワラとナワで巻いた「ワラ鉄砲」で地面を打ったり、南九州地方のように綱引きをするところもあります。鹿児島県川内市の新田神社では100mもある大綱を1000人もの人たちが引っぱりあいます。また、それを大蛇にみたてトグロをまかせる所(熊本県)もあります。

 ついでながら月の呼び名(つづきです)
 「臥待月(ふしまちづき)」:旧暦(陰暦)8月19日の月。なかなか出ないので寝ながら待つ月。寝待月ともいいます。「更待月(ふけまちづき)」:旧暦20日の月。「二十三夜の月」:旧暦8月23日の月。月の出が真夜中になってしまう。

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・動物愛護週間(20日ころから)

 9月20日ごろから1週間は動物愛護週間です。日本動物愛護協会が制定したもの。これはアメリカではじめられた運動で、日本では1927(昭和2)年、日本人道協会の理事長のバーネット夫人が提唱、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の誕生日を記念して5月28日〜6月3日の1週間行われたという。

 戦後になってからは、1949(昭和24)年に「春分の日」を「動物愛護デー」とし、1951(昭和26)年からは春分の日を中心とする1週間を「動物愛護週間」したのだそうです。はじめは春だったのですね。

 しかし5月には愛鳥週間があり、また学校が春休み中で動物愛護の学校行事ができないなどから、1954(昭和29)年に、秋分の日を中心になるように変更されました。

 この日には動物愛護実践者や功労動物の表彰、動物慰霊祭等が行われます。
 動物は、大昔から人間の衣食に、使役に、愛がん用にまた、科学上の実験用などに人間社会と深くかかわっており、人間の生存や生活向上にも大きく貢献してきました。これら動物たちの愛護と適正な飼育について関心と理解を深めようというわけです。

 いまでは「動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護法)」の第4条で「広く国民の間に命あるものである動物の愛護と適正な飼養についての関心と理解を深めるようにするため」として定められています。また犬や猫を捨てたり、いじめたりすると同法13条で罰せられるそうです。

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・秋分の日(23日ころ)

 9月23日ころの秋分の日は、お彼岸の中日であり秋の真ん中の日です。昔は秋季皇霊祭という国の祝日だったそうですが、1948(昭和23)年に施行された「国民の祝日に関する法律」で、「秋分にあたり祖先をうやまい、なくなった人をしのぶ日」の趣旨でいまは国民の祝日になっています。

 秋分は二十四節気のひとつで、太陽の黄経(天球の太陽の位置)が180度の秋分点にきた時をいうのだとか。秋分点とは天の黄道と赤道とが交差し、太陽が北から南に向かって赤道を通過する点。昼と夜の長さが等しくなるのは春分の日と同じです。そういえば分は「ひとし」とも読むそうです。暑さ寒さも彼岸までのことわざどおり、夏の気配はすっかり消え、本格的な秋になります。

 お彼岸は春分の日と秋分の日をはさむそれぞれの前後7日間をいい、なくなった人たちをしのび、お墓まいりをします。

 七十二候では第四十六候〜第四十八候にあたります。第四十六候は新暦の23日から27日ころにあたり「雷声を収(おさむ)」雷がめっきり少なくなるころ、第四十七候は28日から10月3日ころにあたり「蟄虫(むしかくれて)戸をふさぐ」虫が寒さから逃れて土の中に入って穴をふさぐころ、第四十八候は4日から8日ころにあたり「水始めて涸る」水田の水を干し秋の収穫を迎えるころとしています。

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・運動会

 さわやかな季節の秋、学校だけでなく会社、町内会などでも運動会が行われます(いまは春に運動会を行うところが多くなっています)。

 運動会の1番古い記鐘は1817年、イギリスはネクントルギルというところで行われたものだそうです。競技はレスリングや徒歩競争、2人競走、手車競走、呼び子競走などだったとか。

 目本での最初は1874(明治7)年、海軍兵学校の「競闘遊技会」というからすごい。もっと後の1883(明治16)年に東京大学が開いた「帝大運動会」は、東京の名物のひとつになり、夏目漱石の「三四郎」にも書かれているほど有名だったという。これらの運動会がやがて各学校や会社などに広まり、春と秋の2回行われるようになったということです。

 運動会をはじめ、修学旅行などこれらの行事は小、中学は1958(昭和33)年、高校は1960年の教育課程改訂で正式に位置づけられています。

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・9月 その他の行事

▼白露(はくろ)(8日ころ)  9月8日ころは二十四節気のひとつ白露(はくろ)にあたります。太陽の黄経が165度を通ります。草木の葉に露が白く宿り空気も冷たくいよいよ本格的な秋の到来です。江戸時代の歳時記・季題の解説書「改正月令博物筌」(鳥飼洞斎著)江戸時代の歳時記・季題の解説書には「八月の節を白露といふは、陰気ようやく純にして、露凝りて白く、ゆゑに白露といへり」とあります。

 七十二候では第四十三候〜第四十五候にあたります。第四十三候は新暦の9月8日ころから12日ころで「草露白し」のころ、第四十四候は13日ころから17日ころで「鶺鴒(せきれい)鳴く」鳴くころ、第四十五候は18日ころから22日ころで「玄鳥(つばめ)去る」こうとしています。

▼おわら風の盆(1〜3日) 富山県八尾町。有名な民謡おはら節にのって、町中おどりに明け暮れます。

▼重陽の節供」(旧暦9月9日)  陰暦9月9には重陽(ちょうよう)の節供です。中国では気品のある菊の花とそのかおりは悪い外気をはらい、寿命をのばすと考えられていました。9日には登高といい、高い丘などに登り、女性は邪気をはらうため茱萸(しゅゆ・イタチハジカミ)の袋を身につけて、餅を食べたり菊花酒を飲む習慣があったという。

 これが日本に伝来、9月9日は陽の数字とされる奇数の最も大きな数「9」が重なる日というところから「重陽」と名づけられました。この日には栗のごはんを食べる地方では栗節供ともいいます。菊の節供、お九日(おくんち)などと呼ばれています。
 また9日だけでなく19日、29日をみんなおくんちといい、総称して「みくんち」と呼んでいます。長崎おくんち、唐津おくんちなどはもともとこの日のお祭りだったものだそうです。

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▼芝大神宮だらだら祭(11〜21日) 東京都港区。10日間もだらだら続くのでこの名があります。ショウガの市、甘酒小屋、千木笥(ちぎばこ)などを売る店が出てにぎやかです。

▼二百二十日(11日ころ)

▼十三夜(旧暦13日)

▼籾山生子(もみやまいきこ)神社泣きずもう(19日) 栃木県鹿沼市。小さな子どもをだいて、東と西からすもうをさせるまね。先に泣いた方の勝ち。このすもうをすると健康に育つといわれています。

▼証誠寺(しょうじょうじ)たぬきまつり(27日) 千葉県木更津市。十五夜にはらつづみを競争して死んだという伝説で有名。

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(9月終わり)

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