続・山の神々いらすと紀行』
第4章 甲信越の山々

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▼08:美ヶ原・巨人の鼻と頭・美ヶ原王ヶ鼻、王ヶ頭

【略文】
美ヶ原高原は標高1800〜2000mのゆるやかな溶岩地。そのほぼ中
央に美しの塔が建っており、最高地点は王ヶ頭。西へ尾根の断崖
の頂が王ヶ鼻。松本平から望むとまるで巨人の鼻のように見える
ため王(巨人)ヶ鼻の名前があるそうです。その上にあるのが巨人
の頭。王ヶ鼻には石仏がたくさん建っていて、その中の祠は王ヶ鼻
神社。かつて地元の御嶽山信仰の人々はここまで登ってきて、はる
かにそびえる御嶽に手を合わせながら、厳しい修行に励んだといい
ます。
・長野県松本市と武石(たけし)村、長和町(旧和田村)。

▼08:美ヶ原・巨人の鼻と頭・美ヶ原王ヶ鼻、王ヶ頭


【本文】

 美ヶ原は長野県松本市と武石村、長和町にまたがる高原。最高地

点は王ヶ頭。高原のほぼ中央に建っている美しの塔には、ここを開

発した山本俊一翁の顔のレリーフと、また詩人・尾崎喜八の「美ヶ

原溶岩台地」の銅板詩碑が埋め込まれています。



 山頂は360度の展望で、浅間山から八ヶ岳、富士山。そして中央

アルプス、南アルプス、北アルプスそして御嶽山。北には志賀高原、

飯縄山、戸隠山までが目を楽しませてくれます。



 王ヶ頭から西に張り出す尾根の断崖の頂が王ヶ鼻です。西麓の松

本平から王ヶ鼻を望むとまるで巨人の鼻か、またはビーナスが伏せ

っているように見えます。そのため王(巨人)ヶ鼻の名前があるそ

うです。その上にあるのが巨人の頭になるわけです。



 美ヶ原という名前が初めて文献に出てくるのは江戸時代中期、

1724年(享保9)の松本藩の官撰地誌『信府統記』という文書。

美ヶ原の名が一般的に知られるようになったのは昭和の初期ごろ。

美ヶ原での牛馬の放牧は、平安時代からですが、本格的に牧場が開

かれたのは明治になってから。さて王ヶ鼻の西麓(松本市側)に美

ヶ原温泉郷があります。



 この温泉は飛鳥時代からあったというから古い。当時は筑摩の御

湯と呼ばれていたという。その温泉に不思議な話が伝わっています。

13世紀前半の『宇治拾遺物語』に、あるとき、近くに住む者が「明

日、観音さまが湯浴みにお越しになる」とお告げを受けた。「観音

さまは30歳くらいで口髭を生やし、編み笠をかぶりっている。葦

毛の馬に乗っている」というのです。



 この話を聞いた人々が大勢集ってきました。昼過ぎにお告げ通り

の人がやって来ました。全員が一斉に立ち上がり、男の足もとへ額

をこすりつけました。驚いたのはその人。「狩りの途中、落馬して

腕を折ったので治そうと思って来ただけなのに」といってオロオロ

するばかり。



 しかし、人々は後にゾロゾロとついて来て拝み続けます。困り果

てた男はついに「さてはわしは観音だったのか、ならば法師になる

ほかあるまい」と、弓矢や刀を捨てて法師になりました。その姿を

見て人々はさらに感動するしまつ。



 その時、その人と知り合いという人が出てきて「やあ、上野の国

の馬頭主さんじゃないか」と声をかけました。それを聞いた人々は、

今度は馬頭観音さまと呼ぶしまつ。どうしようもなくなった男は、

比叡山にのぼり覚超僧都という偉いお坊さんの弟子になったとい

う。その後は土佐国へ向ったということです。ちなみに馬頭主とは

昔の役職馬寮のことでしょうか。



▼美ヶ原【データ】
【所在地】
・長野県松本市と武石(たけし)村、長和町(旧和田村)にまた
がる。北陸新幹線上田駅からバス、山本小屋。歩いて1時間でで王
ヶ頭。三等三角点がある。さらに30分で王ヶ鼻。

【位置】
・王ヶ頭三角点:北緯36度13分33.42秒、東経138度6分26.71秒
・王ヶ鼻標高点:北緯36度13分38.59秒、東経138度5分51.06秒

【地図】
・2万5千分の1地形図:「山辺」「和田」


▼【参考文献】
・『宇治拾遺物語』(うじしゅういものがたり): 鎌倉時代前期に成
立した、中世日本の説話物語集である。『今昔物語集』と並んで説
話文学の傑作とされる。編著者は未詳。
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『信州山岳百科・1』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』(平凡社)1979年(昭和54)

 

▼09:美ヶ原おわり
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