『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第10章 中国・四国・九州の山々

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■09:九州・霧島岳と天孫降臨高千穂峰と韓国岳

【略文】
霧島山は、宮崎・鹿児島両県にまたがる火山帯。高千穂峰の山頂に
は天ノ逆鉾が立っており、ここは天孫降臨の神話で有名なところ。
幕末に、坂本龍馬と妻が新婚旅行で、女人禁制を破って高千穂野峰
に登頂。その時、天ノ逆鉾を引き抜いたという逸話もあります。
・宮崎県都城市と高原町の境

■09:九州・霧島岳と天孫降臨高千穂峰と韓国岳


【本文】

霧島山は、宮崎・鹿児島両県にまたがり、長径(北西〜南東)約30

キロ、短径(北東〜南西)約20キロの長円形の地域にある火山群

の総称。23もの火山帯からなり、霧島連山、霧島連峰などとも呼

ばれています。最高峰は韓国岳(からくにだけ)ですが、一般に

霧島山といった時は高千穂峰(たかちほのみね)をいうようです。



霧島山はもともと南九州の地溝性凹地に噴出した火山。ここには

霧が発生しやすく、その上部に高く島のように、山が浮き上がっ

て見えるので霧島の名がついたのだそうです。また、この一帯は

雨が多いためよく雲がかかって、ふもとが霧に隠され、いかにも

島のように見えることも、由来のひとつになっています。そのた

め、昔から都城(みやこのじょう)の地を霧海とか虚海とか呼ん

でいたという。



霧島山とも通称される高千穂峰は、西にいまも噴気活動を続けて

いる御鉢(おはち)、東に二つ石(二子石、二つ岩などともいう)

の側火山を従えています。古くは矛(ほこ・鉾)の峰、東(ひが

し)峰ともいい、御鉢(おはち)を火常(ひけふの)峰(西峰)、

合わせて二上峰(ふたかみのみね)とも呼んでいたという(三国

名勝図会)。その姿はいかにも鳳凰が羽を広げたように、左右に均

衡のとれた秀麗さです。そんなことから本嶽(ほんだけ)とも呼

んだらしい。



山頂には銅質の天ノ逆鉾(あめのさかほこ)が立っており、ここ

は天孫降臨の神話で有名なところ。国ツ神である猿田彦命が天孫

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を途中まで出迎えた話はよく知られ

ていますよね。ちなみに、国ツ神は土着の神(地神)をいい、天

照大神などがいる高天原の神を天ツ神というようです。神さまの時

代から差別はあったのですね。



その天孫降臨の時、天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がこの逆鉾

を立てたというのです(三国名勝図会)。天孫降臨の話は、『古事

記』や『日本書紀』にあり、『古事記』ではアマツヒコヒコホノニ

ニギが高天原から降臨した地が「日向高千穂久士布流多気(くじ

ふるたけ)」だとし、また『日本書紀』に出てくる「日向襲之高千

穂峰」はここの高千穂峰だとしています。



『古事記』(上つ巻・天孫降臨の段)に、「かれしかして、天津日子

番能邇邇芸(あまつひこほのににぎ)の命に詔(の)らして、天(あ

め)の石位(いわくら)離(はな)ち、天の八重たな雲を押し分け

て、いつのちわきちわきて、天の浮橋に、うきじまり、そりたたし

て、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂の久士布流多気(く

じふるたけ)に天降りまさしめたまひき」とあります(新潮社版

『古事記』校注・西宮一民による)。



一方『日本書紀』には「…皇孫(すめみま)、乃ち天磐座(あまの

いわくら)を離(おしはな)ち、旦(また)天八重雲を排分(おし

わ)けて稜威(いつ)の地別(ちわ)に地別(ちわ)きて、日向(ひ

むか)の襲(ち)の高千穂峰に天降ります。既にして皇孫の遊行(い

でま)す状(かたち)は、?日(くしひ)の二上(ふたがみ)の天

浮橋(あまのうきはし)より、浮渚在平処(うきじまりたいら)に

立たして…」(浮島が在って、その平らなところに立って)とあり

ます。



また、同(巻第二)「一書(あるふみ)[第六]には「故、この神を

称(まう)して、天国饒石彦火瓊瓊杵尊(あめくににぎしひこほの

ににぎのみこと)と曰(まう)す。時に、降到(あまくだ)りまし

し処(ところ)をば、呼(い)ひて日向(ひむか・宮崎県)の襲(そ)

の高千穂の添山峰(そほりのやまのたけ)と曰(い)ふ」(岩波文

庫『日本書紀』校注・坂本太郎による)とあり、高千穂峰だとして

います。



しかし、この高千穂の地については昔からここ「霧島山・高千穂峰

説」と、「宮城県西臼杵郡高千穂町」の2説があってはっきりして

いません。高千穂峰山頂に立っている天ノ逆鉾は、霧島東御在所

権現の別当(寺務を治める)錫杖院の所管になっていたそうです

が、いつのころか噴火で逆鉾が焼き折れてしまったという。安土

桃山時代の文禄元年(1592)、折れた鋒(ほこさき)を南東麓の荒

嶽(あらたけ)権現に安置し、その神体としました。



この鋒(ほこさき)の長さは1尺あまり、「鐔(つば)の如き所に、

雲象に似たるもの見えたり、所々土食し、小指頭許に穿てる痕あ

り」と記録(三国名勝図会)にあります。山頂には残る幹の部分

が元の通りに立ち、「其長さ六尺、囲り1釈許(ばかり)、鋒刃に

近き所、長鼻大眼の面像を左右に起し成す(中略)其状古奇にし

て、実に神代の遺宝なり」とあります。



江戸時代の天明(1781〜89)初年になり、鹿児島の商人池田正右

衛門という人が、新しく本物に似せた鉾をつくり、山頂の真鉾わ

きに建てました。するとこの家に不幸がつづいて起こり、いろい

ろと占ったところ、この不幸は山頂の霊鉾を真似して作った罪だ

というのです。そこで慌てて偽の鉾を取りはらったという記録も

あります(三国名勝図会)。



またこんな話もあります。幕末の1866年(慶応2)に、坂本龍馬

と妻の竜女・お龍(おりょう)が、新婚旅行で霧島を訪れました。

その時薩摩の田中吉兵衛と一緒だったのですが、一行は女人禁制

を破って高千穂野峰に登頂したことがあったという。その時のこ

とを書いた、龍馬が姉乙女に送った書簡によると、御鉢から山頂

を描いた図といっしょに「此サカホコハ少シうごかして見たれバ

よくうごくものなり」などと説明、お龍と一緒に逆鉾を引き抜き、

また元通りにしたなどと書いているそうです。



さて、この山の神である霧島神をまつる神社は、山麓に限らず各

地にあります。なかでも名社として知られるのが高千穂峰の東南麓、

鹿児島県姶良郡(あいらぐん)霧島町の霧島神宮だそうです。霧島

神宮は、欽明天皇の時代(539〜571・飛鳥時代)、高千穂山頂に慶

胤(けいいん)という僧が小祠を建てたのにはじまります。霧島神

はもともと、霧島六所大権現として信仰されてきました。この神が

天孫降臨神話に基づいたニニギノミコトに変えられたのは「皇国国

家」となった明治になってからだというからやはりという感じです。



またこの山には「霧島の七不思議」呼ばれる現象があるといわれて

います。すなわち、「(1)蒔かずの種:山中で種を蒔かないのに陸

稲が生えることがある。これは天孫降臨の際に高天原からもたらさ

れた種によるものとされている。(2)文字岩:霧島神宮の西方に

体積10立方mの大岩があり、10センチ程度の隙間がある。手も入

らない狭い隙間なのに内側に梵字が彫られている(でもこれどうや

って見たのでしょう?)。(3)亀石:霧島神宮の旧参道に亀に似た

石がある。



(4)風穴:霧島神宮の旧参道に風が吹き出す岩穴がある。(5)

御手洗川(みたらしがわ):冬には水が涸れ、5月ごろから大量の

水がわき出す川。天孫降臨の際に高天原からもたらされた真名井の

水が含まれているといわれている。(6)両度川:6月ころから9

月ころまでの間だけ流れる川。数日の間隔を置き、2度流れること

から両度川と呼ばれる。(7)夜中の神楽:霧島神宮が現在の場所

に移された時、深夜に聞こえるはずのない神楽の音を多くの人が聞

いたといわれる」と、以上の7つです。



この中の(1)に関連して、霧島山登山中、雲や霧に覆われて迷

ったとき、稲穂を周辺にまくとたちまち雲霧は消えるという。実

際、山中には稲や霧島糯(もち)という陸稲が自生していたとい

います(三国名勝図会)。このような「播かずの田」の伝承は、臼

杵郡高千穂地方にもあるそうです。そんなことにも関係があるの

か、「高千穂」の山名は、たくさんの稲穂を高く積み上げること、

あるいは積み上げられた所という意味だそうです。



さて次は、高千穂峰の北西にそびえるこの火山群の最高峰、韓国岳

(からくにだけ・1700m)。かつては筈野岳とか雪岳、西岳と呼ば

れたこともあるそうです。韓国岳の名は『古事記』(上つ巻)「天

孫降臨の段」にある「ここは(この地は)韓国(からくに)に向

かひ(朝鮮に向かい)、笠沙(かささ)の御前(みさき)真来(ま

ぎ)通りて(真っ直ぐ通じていて)、朝日の真刺(たださ)す国、

夕日の日照(ひで)る国ぞ」(新潮社版『古事記』による)に由来

しているようです。



また『日本書紀』の空国(からくに)から虚国(からくに)、さら

に韓国へと変化したものらしい。一説には遠望がきき、韓の国ま

で見渡せることからの山名だともいいます。山頂には直径約900m、

深さ約302mの大火口があり、高千穂峰を東岳、東霧島というのに

対して、西霧島ともいわれています。



山頂直下には大浪池という深い藍色の湖水があり、ミヤマキリシマ

の花の季節になると、赤い色を湖面映す風景は見事です。この池に

はこんな伝説が残っています。昔、麓に住む庄屋夫婦には子供がい

なく、子ができるよう夫婦は山に願をかけました。そしてようやく

女の子を授かり、お浪と名づけました。美しい娘に育ったお浪は次

から次へと持ち込まれる縁談を断りつづけ、その気苦労で、とうと

う病に伏すようになりました。



ある日、娘に「山に連れて行って」と頼まれました。庄屋夫婦はお

浪を連れて大浪池まで来た時のこと、お浪の目がいきなり輝きだし、

サッと池に飛び込んでしまいました。尽くす手もなかった庄屋夫婦

は、ただ嘆き悲しむばかり。しかしその後、娘は池にすむ竜王の化

身と分かったのでした。



それからというもの、その池を「大浪池」と呼ぶようになったとい

うことです。韓国岳は、中腹より上は草木がなく「白石焦土頽(く

ず)れ垂(れ)て」いるので、遠くからは雪が積もっているよう

に見えるという。展望は霧島の全体、鹿児島県側の錦江湾(きん

こうわん)、桜島、開聞岳(かいもんだけ)、熊本県側の阿蘇山に

もおよびます。



▼霧島山(高千穂峰・韓国岳)【データ】
・宮崎、鹿児島両県にまたがる火山群の総称。最高峰は韓国岳だが、
霧島といえばふつう高千穂峰を指す。
【所在地】
・(1)高千穂峰:宮崎県都城市(みやこのじょうし)と西諸県郡
(にしもろかたぐん)高原町(たかはるちょう)の境。JR吉都
(きつと)線(えびの高原線)高原駅(たかはるえき)の西南西
9キロ。JR日豊本線霧島神宮駅からバス、高千穂河原停留所下
車、さらに歩いて2時間20で高千穂峰。2等三角点(1573.55m)
と、天の逆鉾がある。

(2)韓国岳:宮崎県えびの市・小林市と、鹿児島県霧島町・牧
園町の境。JR吉都(きつと)線(えびの高原線)小林駅の南西1
2キロ。JR吉都(きつと)線(えびの高原線)えびの駅からバス、
えびの高原下車、さらに歩いて2時間で韓国岳。1等三角点(169
9.8m)がある。
【名山】霧島山
・「日本百名山」(深田久弥選定):第098番選定(韓国岳・1700m)
(日本二百名山、日本三百名山にも含まれる)
・「新日本百名山」(岩崎元郎氏選定):第97番選定(高千穂峰・
1,574m)
・「花の百名山」(田中澄江選定・1981年):第100 番選定(霧島山
(韓国岳)・1700m)
・「新・花の百名山」(田中澄江選定・1995年):第100番選定(霧
島山(韓国岳)・1700m)
【位置】
・(1)高千穂峰2等三角点:北緯31度53分10秒.5237、東経130
度55分08秒.1803
・(2)韓国岳:1等三角点:北緯31度56分03秒.0137、東経130
度51分41秒.6760
【地図】
・高千穂峰:2万5千分1地形図名:高千穂峰
・韓国岳:2万5千分1地形図名:韓国岳



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典45・宮崎県』(角川書店)1991年(平成3)
・『角川日本地名大辞典46・鹿児島県』(角川書店)1991年(平成
3)
・『古事記』(上つ巻・天孫降臨の段):新潮日本古典集成・27『古
事記』校注・西宮一民(新潮社版)2005年(平成17)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本書紀(一)』(神代下かみのよのしものまき・第九段):『日
本書紀(一)』(岩波文庫)校注・坂本太郎ほか(岩波書店)1995
年(平成7)

 

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