『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第10章 中国・四国・九州の山々

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■08:九州・祖母山と神武天皇の祖母

【略文】
祖母山は古くは「ウバガタケ」と呼んでいた。明治維新が近くなり
尊皇思想が高まった幕末、『日本書紀』に出てくる天孫降臨の山や、
神武天皇の祖母など日本神話の山になったもの。もとは霜などによ
る害を防ぐ自然神がまつられていた。蛇と人間の娘の神婚譚の伝説
もある。
・宮崎県高千穂町と大分県豊後大野市(旧緒方町)、竹田市にまた
がる。

■08:九州・祖母山と神武天皇の祖母


【本文】

 宮崎県高千穂町と大分県豊後大野市(旧緒方町)、竹田市にまた

がる祖母山は、標高1756m。別名は、姥ヶ岳(うばがだけ)、嫗ヶ

岳(嫗嶽・うばがだけ)、鵜羽ヶ岳(うばがだけ)、添利山(そほり

やま)などというそうです。古くは「ウバガタケ」「オバガタケ」

とも呼ばれており、祖母山と呼ばれるようになったのは比較的新し

いらしい。この山が「ウバガタケ」から「祖母山」と、『古事記』

や『日本書紀』などにでてくる「神話の山」になったのは、国学の

隆盛とともに各地に尊皇思想が広がった、江戸後期から幕末にかけ

てのことだという。



 江戸時代後期の医者、橘南谿(たちばななんけい)がこの山に登

ろうとしたのは、天明2年(1782)の夏のこと。まだこのころは「ウ

バガタケ」といっていたらしく、その紀行『西遊記』に、「姥が嶽

は豊後の国竹田の城下南四里にあり。山の色黒く、雑樹生い茂り、

抜群に秀でて大なる山なり」と書いています。しかし南谿は祖母山

には登れなかったという。天明2年は九州地方が大凶荒の年で、山

は荒れておりおまけに山賊などが出るといい、案内人が見つからず

断念したそうです。



 明治維新が近づいて尊皇思想が高まった江戸末期あたりから「ウ

バガタケ」は、「祖母山」の名で呼ばれるようになります。幕末の

探検家松浦武四郎は、天保8年(1837)に登頂。西国地方旅行記の

『西海雑誌』で、「……漸(ようやく)にして絶頂にたどり付(つ

く)に……いさゝかひらきたる木の間に板葺社壇あり。日向(宮崎

県)国祖母嶽三僧坊と誌せる額をかけたる神前に礼拝して、其他の

様子を考るに実に神寂たる霊山にて、数千年斧斤を入れざる神山な

れバ幾抱へともしれざる大木枝を交て葉をかさね」とあり、「祖母

嶽」の文字が見えます。



 その時「……(登ろうとして)祖母嶽の様子、道の善悪など尋問

ふに主人驚きたる面色にて、祖母嶽は是より頂上まで五十里ありて、

掌を立てる如く道甚だ険しく、冬は雲封じ夏は毒虫多く魔所なりと

恐れて、土人といへども春秋の祭日の外は絶えて登山いたす者なし

……」といわれたのに、無理に案内を乞い、「峻(けわし)き山を

直立に上り行なれば出張たる岩の角は胸をさゝへて登りがたきを、

木の根に取つき足を運び千辛万苦して千辛万苦して頂上を極め」と

書いています。



 祖母山の山名は、(1:山頂にある祠の祭神の豊玉姫命(とよた

まひめのみこと)が、神武天皇の祖母に当たることからきていると

いう説と、(2:『日本書紀』に出てくる添山(そほり)説の2つが

があります。(1:の神武天皇の祖母説について、江戸時代後期の

1803年(享和3)の『豊後国志』(いまの大分県の地誌)は、「嫗

岳(祖母山)」の項で、「又名祖母、蓋(けだし)山配祀豊玉姫(と

よたまひめ)命、以神武帝為皇祖母故也」と記しています。



 神武天皇は、第1代天皇とされている天皇で、天皇で、『日本書

紀』では127歳、『古事記』では137歳まで生きたという長生きさ。

ほんとかいな。父は鵜葺草葺不合神(うがやふきあえずのみこと)で

祖父・祖母は、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト・山幸彦)と、

海神の娘である豊玉姫命ということになるようです。もう神世の話

ですが。



 もうひとつ(2:添山(そほり)の説は、『日向国志』という古

書の「祖母は蓋(けだ)し添(そほり)の古名を伝へ」との記述か

らきているらしい。これは『日本書紀』(神代下(かみのよのしも

のまき)・第九段)(巻第二)天孫降臨の項に、瓊瓊杵尊(ににぎの

みこと)が「稜威(いつ)の道別(ちわき)に道別(ちわ)きて、

日向(ひむか)の襲(そ)の高千穂峰(たかちほのたけ)に天降(あ

まくだ)ります」とあります。さらにその「一書」(5番目)には

「降到(あまくだ)りましし処(ところ)をば、呼(い)ひて日向

(ひむか・宮崎県)の襲(そ)の高千穂の添山峰(そほりのやまの

たけ)と曰(い)ふ」とあります。



 この高千穂の添山峰が、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原か

ら降臨した高千穂峰だというのです。こんな伝承もあります。神武

天皇東征の時、豊後水道で海戦となり、さらに台風が来て、神武の

船が転覆しそうになりました。この時、神武天皇が、添利山(そふ

りやま)に向かって「彼の山は日向の国、吾が祖母(豊玉姫)は海

神、この難を救いたまえ」と祈ったところ、荒海は鎮まり、無事に

目的を果たすことができたという。このため添利山を祖母山という

ようになったとしています。また一説には添利が韓国語の「京」を

意味する「ソプル」によるともいわれてもいます。



 さらにこんな不可思議な話もあります。『平家物語』やその異本

だという『源平盛衰記』に、蛇と人間の娘の神婚譚が記載されてい

るのです。「日向国(宮崎県)塩田と云(う)所」の有徳の人の娘

花御本に、夜な夜なひとりの若者が通ってきます。、やがてふたり

は結ばれます。しかし、その若者は「嫗岳明神の垂迹(すいじゃく

・仏や菩薩が神の姿で現れること)」、すなわち、祖母山の岩屋にす

む大蛇の化身だったのです。



 さらに「件(くだん)の大蛇は日向国(宮崎県)にあがめられ給

へる高知尾(たかちお)の明神の神体」で、その蛇身と花御本の間

に生まれたのが、平安時代中期〜後期の豊後国(現在の大分県)の

武将、大神惟基(おおがこれもと)(祖母岳大明神の神裔という大

三輪伝説がある)で、その5代目が源平合戦の時代に九州で活躍し

た武将、緒方三郎惟義(これよし)なのだそうです。



 橘南谿(たちばななんけい)もその紀行『西遊記』に、「(姥が嶽

(祖母山)に登ろうとして)此上には昔大蛇ありて人と交わり、子

を生じ、其子成長して後緒方三郎惟義と名のり、九州にて威を振る

いし事世のしる所なり」。さらに「むかし物語にて只うわのそらに

聞き居りし事なりしが、此あたりにて聞けば、近年の大洪水に大蛇

の住みたりしという穴崩れて、其中より大なる蛇の頭の枯骨出でた

りしを、人々恐れて、本社の神体とあがめたりとぞ。むかし物語も

跡かたなき事にもあらずや」と記しています。天明年間には岡藩主

が、穴森神社の洞窟から発見されたという大蛇の鱗(うろこ)のよ

うなものを、洞窟内に厚くまつったとの記録もあるのです。



 さて、いま祖母山の山頂には古い石祠が2つまつられていますが、

1つは宮崎県高千穂町五ヶ所に鎮座する祖母嶽神社の上宮。もう1

つは大分県竹田市の健男霜凝日子神社(たけおしもこりひこじんじ

ゃ)と、緒方町(大分県豊後大野市)の健男霜凝日子麓社の上宮で

す。日向側(宮崎県高千穂町)の「祖母嶽神社」は神武の父である

ヒコホホデミとその母の豊玉姫(とよたまひめ)などをまつってい

ます。



 一方、豊後側(大分県竹田市)の健男霜凝日子神社(たけおしも

こりひこじんじゃ)は、姥岳神である豊玉姫(とよたまひめ)命ほ

かをまつっていますが、古くは健男霜凝日子神をまつっていたので

あろうという。この神はその名のように、昔は、霜などによる害を

防ぐ自然神であったらしい。緒方町(豊後側・大分県豊後大野市)

の健男霜凝日子麓社は、同神社の分霊なのだそうです。この2つの

石祠は、山上の支配をめぐって日向側(宮崎県)と豊後側(大分県)

で争ったこともあったそうですから、「神さままつり」も人間がか

らむとなんともおぞましいことになってしまいます。



 明治になると、英国人宣教師ウォルター・ウェストンが来日して、

富士山の次ぎにこの山に登ります(1890年11月)。その記念碑が、

五ヶ所高原の小高い展望台「三秀台」に建つ鐘の塔として残ってい

ます。祖母山は深い原生林に覆われ、1965年(昭和40)に祖母傾

国定公園に指定され、特別天然記念物のカモシカも生息。鉱物も銅、

錫、亜鉛などを産し、古くから周辺に土呂久、尾平(おぴら)、見

立、九折(つづら)などの採鉱所が栄えましたが、いまは廃墟とな

っています。



 植物も豊かでウバガダケニンジン、キレンゲショウマ、初夏には

ツクシアケボノツツジ、ツクシシャクナゲなどが咲きます。眺望は

抜群で360度。北東には由布岳、九重連峰、西には阿蘇の山々、そ

の遙か後方には雲仙岳、南には日向の山々が重なり合い、その果て

に霧島連山も手に取るようです。



▼祖母山【データ】
【所在地】
・宮崎県高千穂町と大分県豊後大野市(旧緒方町)、竹田市にまた
がる。JR本線豊肥本線豊後竹田駅の南南東17キロ。JR緒方駅
から豊後大野市営バスで尾平高山、さらに歩いて5時間で祖母山山
頂。1等三角点(1756.39m)、健男霜凝日子社(たけおしもこりひ
こしゃ)と祖母嶽神社(そぼたけじんじゃ)上宮の石祠がある。山
頂直下9合目にあけぼの山荘がある。
【位置】
・三角点:北緯32度49分41秒.2728、東経131度20分49秒.3647
【地図】
・2万5千分1地形図名:「祖母山」大分12-3。



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典44・大分県』(角川書店)1991年(平成3)
・『角川日本地名大辞典45・宮崎県』(角川書店)1991年(平成3)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本書紀(一)』(岩波文庫)校注・坂本太郎ほか(岩波書店)1995
年(平成7)
・『日本歴史地名大系45・大分県の地名』(平凡社)1995年(平成
7)
・『日本歴史地名大系46・宮崎県』(平凡社)1997年(平成9)
・『名山の文化史』高橋千劔破(河出書房新社)2007年(平成19)

 

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