『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第10章 中国・四国・九州の山々

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■04:四国・石鎚山の天狗

【略文】
石鎚山も役ノ行者の開山。行者は江戸時代天皇から神変大菩薩とい
うおくり名を貰う前は、法起菩薩と呼ばれていたという。ところで
石鎚山の天狗岳にすむという天狗も石鎚山法起坊という。同じ法起
で、ここの天狗は役小角の化身だともいわれています。
・愛媛県西条市と面河村と久方高原町との境

■04:四国・石鎚山の天狗


【本文】

四国の石鎚山(いしづちさん)にも天狗伝説があるといいます。天

狗の名前は法起坊(ほうきぼう)。石鎚山は、石土山、石槌(木偏)

山、石鉄山とも書き、石鎚神社のある弥山、その南東にある天狗岳

(最高峰・1982m)、またその先の南尖峰があります。



法起坊(ほうきぼう)天狗はもちろん最高峰の天狗岳にすんでいる

ことになっています。



石鎚山は『古事記』(上つ巻)「…かれ、生みたまへる神の名は、大

事忍男(おほことおしを)の神。次ぎに石土毘古(いはつちびこ)

の神を生み…」とある石土毘古(いわづちびこ)の神をまつった山。

この神は岩や土をあらわす男神だという。



この山も役ノ行者が開山したといいます。大昔、役ノ行者がこの山

に蔵王権現をまつってから修験の山と仰がれましたが、ふつう人に

は登れる山ではなかったといいます。



その後、役ノ行者の亜流とされる石仙道人が苦労して登山道を開き、

登山者のため中腹に成就社(じょうじゅしゃ・もとは常住舎といい、

山に籠もるための宿坊だったらしいという)を建立したといいます。



中世以後は、神仏習合修験の山として本尊を石鎚蔵王権現といった

そうです。ただ『伊予温故録』という本に「……役ノ行者の開きた

るは瓶ヶ森(かめがもり・1896m)の方なり」とあり、古くは石

鎚山の東北東にある瓶ヶ森(かめがもり)を石土山(石鎚山)と呼

び、石土神社もここにあったものを、中世現在の場所に遷座したも

のといいます。



しかし、いずれにしても石鎚山は役ノ行者に関わる山に違いありま

せん。『梁塵秘抄』という本にも「聖の住所は何処何処ぞ、大峰葛

城石の槌」と詠われているほどです。成就社を創立した石仙のあと

に上仙、光正などの大行者が次々とあらわれ、山中に横峰寺、前神

寺などを創建していきました。



この山には不思議な話がいくつか残っています。石鎚山の北麓・愛

媛県西条市中野甲というところに伊曽乃(いその)神社があります。

この神社の神は女神で石鎚の神の妻だったそうです。



ある時、石鎚の神が山に登ろうとしましたが、この山は女人禁制で

した。妻の伊曽乃の神は登ることができません。ウロウロしていた

時、すでに山頂の登っていた石鎚神が大石を投げ、転がった石が止

まったところに住むようにといいました。そこで伊曽乃の神は、そ

こに神社を建てて暮らすようになったといいます。



伊曽乃神社からは石鎚山がよく望め、社前には夫の石鎚の神が投げ

たという大石があるそうです。しかし随分と離れた場所ですねえ。



また、平安初期822年(弘仁13)ごろ成立した薬師寺の僧景戒著

『日本霊異記・にほんりょういき』という本の「下巻・第三十九」

に「……又、伊与国神野郡(いよのくにかみののこほり)の郷(さ

と)に山有り。名をば石槌山(いはづちやま)と号(い)ふ。是(こ)

れ即(すなは)ち、彼(そ)の山に有(いま)す石槌(いはづち・

槌は木偏)の神のみ名なり。



其(そ)の山高く?(さが)しくして、凡夫(ただびと)は登り至

ること得ず。但(ただ)し浄行の人のみ、登り至りて、居住(とど

ま)れり。……。彼(そ)の山に浄行の禅師有りて修行しき。其の

名は寂仙(じゃくせん)菩薩と為(い)へり。



……。帝姫(ていき)の天皇(すめらみこと・孝謙天皇)の御世の

九年(758年)の宝字の二年の歳(ほし)の戊戌(つちのえいぬ)

に次(やど)れる年に、寂仙禅師、命終の日に臨みて、録文(ろく

もん)を留(とど)め、弟子に授け告げて言(いは)はく、「我が

命終より以後(のち)、二十八年の間を歴(へ)て、国王のみ子に

生まれて、名を神野と為(い)はむ。是(ここ)を以(も)て当に

知れ。我寂仙なることを云々(しかしか)」といふ。然して二十八

年歴て、……則(すなは)ち山部の天皇の皇子(みこ)に生まれ、

其のみ名を神野の親王と為(な)す。……。」とあります。



要するに、伊予の国神野郡に石槌山(木偏)という山があった。こ

れはその山におわす石槌の神の名である。その山は高く険しく、心

身を清めて修行するものだけが登り住めた。孝謙天皇の時代、この

山に寂仙という僧が籠もって修行し、菩薩とあがめられていた。



ところで天平宝字2年(758)に寂仙は臨終に及んで、文書を書き

記し、弟子に与えて「わたしは28年後、国王の子に生まれ変わり、

名前を神野と名づけられるだろう」と告げた。



それから28年後、延暦5年(786年)に、桓武(かんむ)天皇の

皇子に生まれ、その名を神野親王(のちの嵯峨天皇)と名づけられ

たというのです。さらに元慶(がんぎょう)3年(879年・平安前

期)の民間の巷談、俗説、訛言、古老の伝誦(しょう)、怪異など

を採録した「文徳実録(もんとくじつろく)」(菅原是善・都良香

ら)にも同じような話が載っています。



「伊予国神野郡。昔有高僧名灼然。称為聖人。有弟子名上仙。住止

山頂。精進練行。過於灼然。諸鬼神等(くさかんむりの外字を使用)。

皆随(したがう)?指(いし)。上仙甞(嘗の異体字)従容語所親

檀越云。我本在人間。有同天子之尊。多受快楽。尓(じ・爾の俗字)

時作是一念。我当来生得作天子。我今出家。常治禅病。雖遣餘習。

気分猶残。我如為天子。



必以郡名。為名字。其年上仙命終。先是。郡下橘里有孤独姥。号橘

嫗。傾尽家産。供養上仙。上仙化去之後。嫗得審問。泣涕(てい)

横流云。吾與和尚久為檀越。願在来世。倶會一處。?(とく)相親

近。俄而嫗亦命終。其後未幾。



天皇誕生。有乳母姓神野。先朝之制。毎皇子生。以乳母姓。為之名

焉。故以神野為天皇諱(き・いなむ)。後以郡名同天皇諱(き・い

なむ)。改名新居(にいはり)。后時夫人。号橘夫人。所謂天皇之前

身上仙是也。橘嫗之後身夫人是也。……」とあります。



つまり「昔、伊予国の神野郡に灼然(しゃくねん)という偉い坊さ

んがいた。弟子に上仙(日本霊異記の寂仙のことか?)という弟子

がいて石鎚の山上に住み、精進練行の結果、灼然を超え、山のもろ

もろの鬼神たちを自由に使役できた。



(中略)その上仙が亡くなる際、自分が天皇に生まれ変わるであろ

うと予言した。また、この上仙に深く帰依していた橘姫が、来世は

上仙とともに過ごしたいといいながら亡くなった。神野天皇とその

后橘夫人は、ふたりの生まれ変わりである。


親王の名は、乳母が伊予国神野郡の出身で「神野」と呼ばれた女性

であったことに由来しているといい、以後、郡名を親王名をはばか

って、新居(にい)郡と改めた」というのです。両方とも天皇の子

に生まれ変わることを予言したというのです。



不思議な話というか、不思議な本が残っているものです。さて石鎚

山の天狗について「石鎚山勤行法則」というものには「南無眷属(け

んぞく)宝(法)起坊、大天狗、小天狗、十二八天狗、有摩那(う

まな)天狗、数万騎天狗にに至るまでうんぬん」とあるように、天

狗岳には大天狗法起坊と眷属の小天狗たちがウジャウジャいること

になっています。それをとりまとめるのが法起坊大天狗だという。



ところでここを開山した役ノ行者は、江戸時代後期の寛政11年

(1799年)に、天皇から神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)とい

うおくり名を貰うまでは、法起菩薩とか法起大菩薩と呼ばれていま

した。法起とは役ノ行者の法号だったのです。

そんなことから石鎚山法起坊は、役ノ行者の化身ではないかとか、

先の石仙聖人、光定道人だという説もあります。



しかし、天狗研究家は石仙、上仙が生きた時代が嘉祥3年〜天安2

年(850〜858年)であることや、『伊予温故録』や「前神寺縁起」、

その他文献を考察下結果、いくら法起坊天狗が法名を継いでいるか

らといって、役ノ行者などこの山の開拓者の化身とは考えられず、

結局は大昔から天狗岳に生まれていた地主神を後の世に祭り上げた

ものだろうとしています。石鎚山はいまは、お山開きの7月1日の

み女人禁制になっているそうです。



▼石鎚山【データ】
【所在地】
・愛媛県西条市と面河村と久方高原町との境。予讃線伊予小松駅
の南15キロ。JR予讃線伊予西条駅からバス、1時間10分石鎚ロ
ープウエイ前停留所下車、ロープウエイで山頂成就下車。さらに歩
いて3時間20分で弥山(1972m)。石鎚神社と石鎚神社頂上山荘が
ある。さらに20分で天狗岳(1982m)。

【ご利益】
・石鎚神社奥宮:家内安全、五穀豊穣、海上安全、病気平癒、厄除
け、開運招福、交通安全など
【名山】
・「日本百名山」(深田久弥選定):第94番選定(日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる)
・「新日本百名山」(岩崎元郎氏選定):第88 番選定
・「花の百名山」(田中澄江選定・1981年):第96選定
・「新・花の百名山」(田中澄江選定・1995年):第96選定前
【位置】
・弥山:北緯33度46分8.63秒  東経133度6分49.05秒
・天狗岳:北緯33度46分3.96秒  東経133度6分54.3秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「石鎚山(高知)」



▼【参考文献】
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本登山史・新稿』山崎安治著(白水社)1986年(昭和61)
・『日本霊異記』(下巻)第三十九:日本古典文学全集・第6巻「日
本霊異記」中田祝夫校注・訳(小学館)1993年(平成5)
・『文徳実録』巻一の嘉祥3年:「国史大系・3」(日本後紀・続日
本後紀・日本文徳天皇実録をを収録)国史大系編修会(吉川弘文館)
1966年
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年
(平成16)

 

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