『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第9章 近畿の山々

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■19:京都愛宕山・太郎坊天狗

【略文】
この山には日本一の大天狗「愛宕山栄術太郎坊」がいることになっ
ています。その元の姿は、聖徳太子の学問の師であった日羅(にち
ら)(6世紀朝鮮半島の百済の王に仕えた日本人)だとも、インド
からきた魔王天狗を従伏したときの縁で、泰澄大師(雲遍上人)が
この天狗に変身したなどの説もあります。
・京都府京都市右京区嵯峨愛宕町。

■19:京都愛宕山・太郎坊天狗


【本文】

 京都の愛宕山は924mと標高こそ低いですが、山上に火伏せの神

である愛宕神社があり、一般庶民の信仰が厚い山です。愛宕神社の

祭神は、本社に伊弉冉尊(いざなみ)・天熊人命(あめのくまひと

のみこと)・稚産日命(わくむすびのみこと)など5座。(ちなみに

天熊人命は、天照大神の命で保食神の死体から生えた五穀を刈り取

り、進上した神(『日本書紀』神代上第五段)。稚産日命は、穀物の

生育を司る神とされています)。



 また若宮の祭神は、雷神(いかづちのかみ)・迦具槌命(かぐつ

ちのみこと)・破旡神(はむしん)の3座。この中の迦具槌命は火

の神で、この神を生んだとき母親の伊弉冉尊(いざなみのみこと)

は大事なところを焼かれたために死に、黄泉国(よみのくに)へ下

るという話は有名です。そんなところからこの神は火伏せの神にな

っています。また破旡神とは聞き慣れない神ですが、丹波国の国

史現在社4所のひとつ。破旡神の意味ははっきりしませんが、雷

神や火伏の信仰とのかかわりから鎮圧・予防の意に通じる神とさ

れています。



 愛宕山は、阿多古、愛宕護、阿当護、阿太子とも書かれます。

また白山(はくさん)、朝日(あさひ)峰、白雲(はくうん)山、

などとも呼ぶ(雍州府志)そうです。明治の神仏分離令以前、愛宕

神社は愛宕山白雲寺といいました。愛宕神社の社伝によると、愛宕

山白雲寺は701年(大宝1)に役小角(えんのおづぬ)と泰澄大師

(雲遍上人)が洛北高(鷹)ヶ峰(たかがみね)に創祀。



 781年(天応1)6月に和気清麻呂が勅命を受け、高(鷹)ヶ峰

から「愛当護大権現」を迎え、堂宇を造営したという。平安京とな

ってからは王城の乾(いぬい・北西)の守護神となり、愛宕権現と

よばれ、崇敬されました。ここは中国の五台山に模して、山中の5

山に5寺があり、神仏習合の修験道場。明治時代の神仏分離や廃仏

棄釈までは愛宕権現と呼ばれ、真言密教の行場として栄えました。



 一方、平安時代に制定された『延喜式』神名帳に、「阿多古神社」

(丹波国桑田郡)というのが載っており、これが愛宕神社を指す

ともいわれていますが、桑田郡は主に亀岡市であり、そこに「元愛

宕」(同市千歳町)と呼ぶ神社があるという。ちなみに天正10年

(1582)、明智光秀が本能寺で、織田信長を討つ前にここ愛宕山で、

連歌の会での百韻「時は今 あめが下知る五月哉」と詠んだという

話もありますよね。



 「あたご山」、どこかで聞き覚えのある名前です。それもそのは

ず、全国に900以上の分社がある神社です。東京でいえば、港区の

NHKの前身の東京放送局(JOAK)のあった愛宕山、また、奥多摩

駅前の愛宕山などが有名です。その総本山の京都愛宕神社は、ま

だ歩く前の幼児を背負ってお参りし、シキビを供えて、祈祷して

もらえば、その子は一生火の災難からまぬがれるともいわれてい

ます。こんな山ですから不思議な話の1つや2つ、ないわけがあ

りません。



 この山には日本一の大天狗「愛宕山栄術太郎坊」がいることに

なっています。「白雲寺縁起」(『山城名勝志』所収)には、「九億四

万余天狗有」と記されたり、インドの魔王天狗が、日本に渡ってき

て愛宕山にすみつき、悪さをして住民を悩ませていたのを、役ノ行

者と泰澄に従伏させられて、心を入れかえて、愛宕山を守る天狗太

郎坊になったとされる話もあります。



 このほか、文徳天皇の女御である藤原明子(染殿后)に一目惚れ、

焦がれ死んだ真斉上人という人の怨念が、凝って太郎坊になったの

だとか、また、聖徳太子の学問の師であったとも伝えられる日羅(に

ちら)(6世紀朝鮮半島の百済の王に仕えた日本人)だとも、イン

ドからきた魔王天狗を従伏したときの縁で、泰澄がこの天狗に変身

したという説もあり、諸説が交雑しています。しかし、日羅や泰澄

のような賢人が魔界に入り込んでいるとは考えられず、太郎坊の元

の姿はやはり愛宕の山神か、あるいは地主神と見るのが穏当だろう

と専門家はいっています。



 また『太平記』巻二十七(雲景(うんけい)未来記事)に、こん

な話が載っています。出羽国の雲景という山伏が諸国行脚の途中、

京都で、ひとりの老山伏と知り合い、白雲寺本堂の僧坊へ案内され

ました。中ではなにやら会合が行われています。部屋の上座には敷

物を二畳敷き重ねた上に大きな金色の鳶(とび)が、そしてその右

脇には、大弓、大太刀を携えた大男が、左の席には天皇の礼服の上

に日月や星々を織り出した上着を着て、金の笏を手にした方々が何

人も座っています。



 雲景は「この方たちは?」と尋ねると老山伏は、「上座の金色の

鳶が崇徳上皇(すとくじょうこう)であられる。右脇の大男が筑紫

八郎為朝、左の席の上から、淳仁天皇、井上皇后、後醍醐院、右の

席は諸宗のすぐれた徳のある高僧たち、玄ム(げんぼう)、真斉(し

んぜい)、寛朝(かんちょう)、慈慧(じえ)、頼豪(らいごう)、仁

海(じんかい)、尊雲(そんうん)などの方々が、悪魔王の棟梁と

なられて、今ここに集まり、天下を乱そうとご相談なされておる」

とのこと。魔の世界に入った身分高き人々が一堂に集まり、天下を

乱れさせようとの陰謀を相談をする「愛宕山天狗評定」の話も残っ

ています。



 そのほか、愛宕山にまつわる伝説には、『今昔物語集』巻二十 第

十三 愛宕護の山の聖人野猪に謀らるる語第十三(あたごのやまの

しやうにんくさゐなぎにたばかるることだいじふさむ)もあります。

愛宕の持経者(お経の読誦をする者)が毎夜、イノシシが化けた普

賢菩薩を伏し拝んでいた話で、あるとき、猟師がしばらく聖人の所

にご無沙汰したので、食糧袋にしかるべき果物などを入れて持って

いった。すると聖人が普賢菩薩があらわれるのを今か今かと待って

います。急に部屋の中が月の光がさし込んだように明るくなりまし

た。見れば、白い色の菩薩が白象に乗ってしずしずと降りておいで

になります。



 聖人は感激で涙を流しうやうやしく礼拝。猟師に「どうだ、そな

たも拝みなされたか」という。猟師は首をかしげ、「しかしわしら

など、お経も読めないような者の目にも見えるとはどうも怪しい」。

猟師は矢を弓につがえ普賢菩薩めがけて放つと、見事命中しました。

聖人は驚き大騒ぎ。夜が明けて菩薩立っていた所に行ってみると、

たくさんの血が流れています。それをたどっていくと、谷底に大き

なイノシシが死んでいました…。



 たとえ聖人であっても、知恵のない者はたぶらかされ、動物を殺

して罪ばかり作っている猟師でも、思慮があればイノシシの化けの

皮を剥ぐことができるのだ。…ということです。



▼京都愛宕山【データ】
【所在地】
・京都府京都市右京区嵯峨愛宕町。JR山陰本線保津峡駅からバ
ス、水尾停留所下車、さらに歩いて3時間で愛宕山。標高点(924
m)。
【位置】
・京都愛宕山:北緯35度03分37秒、東経135度38分03秒
【地図】
・旧2万5千分1地形図名:京都西北部



▼【参考文献】
・「愛宕山の山岳信仰」アンヌ・マリ ブッシイ:『山岳宗教史研究
叢書11・近畿霊山と修験道』五木重編 (名著出版)1978年(昭和53
年)
・『角川日本地名大辞典26・京都府・上』(角川書店)1991年(平
成3)
・『国史大辭典11』国史大辞典編集委員会(吉川弘文館)
・『今昔物語集』:日本古典文学全集24『今昔物語・3』馬淵和夫
ほか校注・訳(小学館)1995年(平成7)
・『神社辞典』白井永治ほか編(東京堂出版)1986年(昭和61)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『仙人の研究』知切光歳著(大陸書房)1989年(昭和64・平成1)
・『太平記』:新潮社版『太平記4』(山下宏明校注)(新潮社)1991
年(平成3)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・岩波文庫『日本書紀(一)』校注・坂本太郎ほか(岩波書店)1995
年(平成7)
・『日本伝説大系8・北近畿』(滋賀・京都・兵庫)福田晃ほか(み
ずうみ書房)1988年(昭和63)
・『日本歴史地名大系27・京都市の地名』林家辰三郎ほか(平凡社)
1987年(昭和62)
・『本朝神仙伝』大江匡房著(日本古典全書・古本説話集 川口久
雄・校注)(朝日新聞社)1971年(昭和46)

 

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