『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第9章 近畿の山々

………………………………………………

■18:京都大江山の酒呑童子

【略文】
酒呑童子の大江山には鬼退治伝説が2つあります。ひとつは、用明
天皇第3皇子麻呂子親王伝説で、もうひとつは御伽草子の『酒呑童
子』などで知られる源頼光伝説です。頼光伝説はこの山に砦を造り、
付近の農民を苦しめた酒呑童子を頼光らの6人が討ったという物
語。同じ伝説が京都市の大枝山にもあり、混同されることが多いよ
うです。
・京都府大江町と加悦町との境。

■18:京都大江山の酒呑童子


【本文】

 酒呑童子(しゅてんどうじ)の鬼伝説で有名な京都の大江山は、

仙丈ヶ嶽、大枝山、与謝大山(よさおおやま)。御嶽などとも呼ば

れています。仙丈ヶ嶽の山名は、東側の山腹に千丈ヶ原という広大

な湿原があり、山名はそこからきているようです。大江山には鬼伝

説が2つあり、ひとつは、用明天皇第3皇子麻呂子親王の鬼退治伝

説で、もうひとつは室町時代に書かれた源頼光の鬼退治伝説です。



 先のものは『古事記』や『日本書紀』にあり、第三十一代とも第

三十二代といわれる用明天皇第3皇子麻呂子親王が、仏神の力を借

りて平定したというもの。あとの方のものは室町時代に書かれた『御

伽草子』((おとぎぞうし))の「酒呑童子」、謡曲「羅生門」、「大江

山」などで知られる源頼光鬼退治伝説。ここでは酒呑童子は山賊だ

とも鬼だともいわれ、この山に砦を造り、付近の農民を苦しめたの

で、源頼光がこれを討ったという物語。いまも鬼ヶ茶屋とか、鬼の

岩屋などの地名が残っています。



 同じ伝説が京都市の大枝山にもあり、混同されることが多いよう

です。まして大江山の別名にも大枝山があるのでなおさらです。こ

のあたりは、古くから開かれた地で、東ろくに皇大神社や豊受大神

社が鎮座し、崇神天皇の時代にここから伊勢に遷宮した元伊勢とも

伝えられています。また修験道の地ともなり、鬼嶽稲荷神社が山頂

近くにあります。



 この酒呑童子の話がちまたに広まりはじめたのは、室町中期以降

とかで、謡曲『大江山』、『大江山絵詞』、御伽草子の『酒巓童子』

などが、大体同じ時期に出そろったらしいとのこと。しかしそれぞ

れのストーリーが大体共通しており、それより古い時代から言い伝

えがあったのではないかといわれています。



 酒呑童子の大体のあらすじは、大江山の岩屋に城をかまえた酒呑

童子は、手下の鬼たちと都へ出て財宝や娘たちをさらっていったの

し放題、都は極度の不安におちいっていました。池田中納言の娘も

さらわれ、源頼光とその家来の四天王(渡辺綱、碓井貞光、卜部季

武(すえたけ)、坂田金時)と藤原保昌らの6人は、山伏姿に身を

変えて鬼退治に出かけます。



 途中で3人の老人(実は住吉・熊野・八幡の神々)に、鬼が飲め

ば毒になる神変奇特酒をもらい、神々の助けで城に入ります。一行

は道に迷った山伏というふれこみで、酒呑童子に近づき酒を飲ませ、

童子の首を斬りましたが首だけになっても襲ってきます。それを何

とか手下ものとも征伐します。鬼が捕えられていた娘たちを助け、

かすめられていた財宝も奪い返し、これで都は平安になったという

ことです。



 ところで酒呑童子は何者なのか。御伽草子は、この童子の素性・

来歴について、「本国は越後の者、山寺育ちの児なりしが、法師に

ねたみあるにより、あまたの法師を刺し殺し、その夜に比叡の山に

着き我すむ山ぞと思ひしに、伝教といふ法師仏たちを語らひて、わ

が立つ杣とて追ひ出す。力及ばず山を出て」その後、高野山を経て

大江山に籠もるに至ったという。そんなこんなで酒呑童子のもとは、

「捨て童子」からきたものとの説もあります。



 『柳田国男全集・4』「山の人生」には『越後名寄』(巻三十三)

その他によれば、酒呑童子は越後の西蒲原郡砂子塚(いさこづか)

または西川桜林村出身と称し、幼名を外道丸という美童で、父の名

は否瀬善次兵衛俊兼。戸隠山九頭竜権現の申し子で母の体内に16

ヶ月もいたとあります。酒呑童子の名前については、謡曲『大江山』

には、酒呑童子の名前のいわれを聞かれて、「明暮酒を好きたるに

より、眷属どもに酒呑童子と呼ばれ候」とあり、朝から晩まで酒を

飲んでいたようです。その他の諸本にも酒呑みの故に「世の人しゅ

天どうじとぞ名づけける」といったとあります。



 また酒呑童子は酒巓童子とも書かれます。酒呑はただの大酒飲み

ですが、酒巓となると酒巓は酒好きを通り越して酒狂、酒乱の域に

はいるという。不思議なのは「童子」です。どう見ても普通にいう

「わらべ」ではありません。ここにいう童子とは年をくった寺小姓

のことだそうです。寺の長老たちの共をつとめる稚児です。



 普通は修行して僧侶となるのですが、なかにはなりそびれる者も

いたという。彼らは20歳を過ぎると中童子と呼ばれ、さらに年を

くった大童子になっても、童子姿のまま髪は惣髪、衣装も派手な稚

児姿のままです。次第に寺に居づらくなり外に出ても、そう簡単に

は地道にはいきていけるものではありません。



 そんなとき、あたかも世は、平安中期から後期にかけて、王朝政

治が飽和状態に入り、貧富の差がその極限に達し、不満と無気力が

充満、夜盗や山賊の集団が目立ってきました。その仲間に、大童子、

中童子が入り込みます。僧侶になり損ねとはいえ、読み書きはナン

トカできる彼らは、次第に盗賊の首領になっていったのではないか

とされています。大江山の賊はみな童子鬼だったとの説もあります。



 鬼とくればふんどしは虎の皮です。しかし、手下までは虎の皮が

行き渡りません。そこで「大江山手下は猫の皮を締め」などの川柳

が生まれます。また「大江山青鬼酔って媚茶色(こびちゃいろ)」、

「赤鬼は一杯過ぎて白くなり」。源頼光の四天王たちが鬼一族と大

乱闘したときのこと、「金時はくわへ煙草で角をもぎ」とあるから

坂田の金時も余裕だったようです。



 『今昔物語集』(巻二十九第二十三)「具妻行丹波国男於大江山被

縛語第二十三」(めをぐしてたんばのくににゆくをとこおほえやま

にしてしばらるることだいにじふさむ)にこんなのがあります。「今

昔(いまはむかし)、京ニ有(あり)ケル男ノ、妻(め)ハ丹波ノ

国ノ者ニテ有ケレバ、男其ノ妻(め)ヲ具シテ、丹波ノ国ヘ行(ゆ

き)ケルニ、妻(め)ヲバ馬(むま)ニ乗(のせ)テ、夫(をうと)

ハ竹蠶簿(たけえびら)ノ箭(や)十許(とをばかり)差(さし)

タルヲ掻負(かきおひ)テ、弓打持(うちもち)テ後ニ立(たち)

テ行ケル程ニ、大江山ノ辺(ほとり)ニ、若キ男ノ大刀許(ばかり)

ヲ帯(おび)タルガ糸(いと)強気(つよげ)ナル、行烈(ゆきつ

れ)ヌ。」



 …つまり…今は昔、京にすむ男が、妻は丹波国の者だったので、

その妻を連れて丹波に出かけたが、妻を馬に乗せ、……強そうな男

と道連れになった。………妻と同伴で丹波国へ下った男が大江山の

あたりで道連れになった男に気を許し、欲にかられて弓矢を相手の

太刀と交換したばかりに、道連れの男に弓矢でおどされて木に縛ら

れ、眼前で妻を強姦された話。犯行後、道連れの男は馬を奪って逃

走したが、女に情けが移ってその着衣も奪わず、夫の命も助けてや

った。醜態をさらした男は、妻にまで愛想尽かしをされたが、そこ

はよくしたもので、夫婦分かれもせず、また連れだって丹波への旅

をつづけたということです。



 大江山にはこんな話もあります。宮中で歌の会があり、女流歌人

和泉式部の娘、小式部内侍も、出席することになった。中納言藤原

定頼は、母親が娘の代作をしているのではないかとの疑いをもち、

母親が夫の任地である丹後の国へ行って留守なのを知って、さぞ娘

は困っているに違いないと思い「丹後へ使いを出しましたか。お母

さんがいなくて、さぞ心配でしょう」と皮肉りました。お母さんに

つくって貰えなくて大変でしょうといわれたのも同じこと。



 そこで小式部はその場で歌をつくり、「大江山いくのの道の遠け

ればまだふみもみず天橋立」(遠いのでまだ天橋立は行ったことが

ありません)と、返事をしました。その裏には、まだ母からの文(手

紙)を見ていないことが融合されているのを知り、なるほど母に歌

をつくってもらっているのではなく、娘も名人であることが分かっ

て中納言は恥をかいてしまったという。この歌は、小倉百人一首に

入れられています。



▼大江山【データ】
【所在地】
・京都府大江町と加悦町との境。福知山市大江町の鬼嶽稲荷神社
までタクシー、歩いて1時間で千丈ヶ嶽。2等三角点(832.4m)
がある。
【位置】
・大江山2等三角点832.41m:北緯35度27分12.49秒、東経 135
度6分24.00秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:大江山。



▼【参考文献】
・『御伽草子』『日本古典文学全集36』(校注・訳大島建彦)(小学
館)1974年(昭和49)
・『鬼の研究』知切光歳著(大陸書房)1978年(昭和53)
・『角川日本地名大辞典26・京都府・上』(角川書店)1991年(平
成3)
・『今昔物語』:『日本古典文学全集24・今昔物語』(1〜4)馬淵和
夫ほか校注・訳(小学館)1995年(平成7)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本鬼総覧』(歴史読本特別増刊)(新人物往来社)1995年(平
成7)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成
4)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成
2)
・『日本伝説大系8・北近畿』(滋賀・京都・兵庫)福田晃ほか(み
ずうみ書房)1988年(昭和63)
・『日本歴史地名大系27』(京都市の地名)

 

………………………………………………………………………

目次へ戻る