『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第9章 近畿の山々

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■11:大峰山・八経ヶ岳の伝説

【略文】
八経ヶ岳は、八剣山、八剣岳、仏経ヶ岳、経ヶ岳などとも呼ばれ
ます。役行者が法華経8巻を埋めたところという。大峰山は役行
者が修行しながら、7回生まれ変わったところ。667年(飛鳥時代)
に、行者小角が八経ヶ岳で自分の第3生の遺骸を見つけた話が古
書にあります。
・奈良県天川村と上北山村の境。

■11:大峰山・八経ヶ岳の伝説


【本文】

奈良県大峰山脈弥山(みせん)の南に位置する八経ヶ岳(はっき

ょうがたけ)は、八剣山(はっけんざん)、八剣岳(はっけんだけ)、

仏経ヶ岳(ぶっきょうがたけ)、経ヶ岳(きょうがたけ)などとも

呼ばれています。八経ヶ岳は、大峰山脈の最高点(1914.9m)で

あり近畿地方の最高峰。



七十五靡(なびき)のひとつ(第51番の行所)に数えられ、役小

角(えんのおづぬ)が「法華経」8巻を埋めたところとも伝えられ、

修験道の石碑が多い。しかし江戸時代には「明星ヶ岳」の名で呼ば

れ、「八経ヶ岳」と呼ばれるようになったのは明治以降のこととい

います。



いま八経ヶ岳南方には明星ヶ岳というというピークがあり、第50

番行場になっています。奧駆け道も山頂を通らず西側斜面を巻いて

いたそうです。山頂部は、シラビソ、トウヒの林で917ヘクタール

が仏教ヶ岳(八経ヶ岳)原始林として国の天然記念物に指定されて

います。この山の異名「八剣山」にちなむ話も残っています。室町

時代以降の成立といわれる漢文の『役行者本記』(えんのぎょうじ

ゃほんぎ・『宗祖本記』ともいう)の「第三 小角の奇特の部 その

一」に、次のようなことが載っています。



第38代天智天皇(てんじてんのう)6年(667)丁卯(ひのとう)、

役行者小角34歳。この年の4月、はじめて大和の大峰に登り、剣

の峰(八剣山、八経ヶ岳)まで行きました。そこに一体の骸骨が横

たわっているのを見つけました。左手に独股杵(とっこしょ・独鈷

杵)を持ち、右手には利剣を持って、上を向いて横たわっています。

小角がそれを取ろうと、力を入れて動かすと、山がゆれ動きました

が持ち物を取ることはできません。小角は修行の力が足らないのか

と、天に祈りさらに苦しい修行をつづけました。



疲れ果て気絶、横に臥していた時、「小角よ。汝はこの峰において

一生を終わること7度である。ここにあるのはその第3生の遺骸で

ある。まだこの峰にはほかに2生の遺骸がある。千手の呪(千手観

音の陀羅尼呪)を5度と、化呪を3度唱えてから独鈷(とっこ)杵

と宝剣を取ってみよ」との声が聞こえました。小角が呪文を唱える

と、骸骨は手を開いて持ち物を小角に渡しました。小角はこれを大

事にして一生身から離さなかったという。



それから西向野(小笹)に行くと、別の骸骨がありました。第6生

の遺骸でした。また釈迦ヶ岳にも一体の遺骸があり、それは第5生

のものでした。第1生は、第19代允恭天皇(いんぎょうてんのう

・412〜453)の時代であり、第3生は第20代安康天皇の時代にあ

たります。第5生は第22代清寧天皇(せいねいてんのう・480〜

484)の末年にあたり、また第6生は第27代安閑天王2年乙卯(き

のとう・535年)にあたります。第7生になって、ついに経歴の功

が果たされたのでした。



これらは天からの声で告げられたというから不思議な話です。これ

と同じようなことが鎌倉時代の『私聚百因縁集』(ししゅうひゃく

いんねんしゅう)や、江戸宝暦のころの『役公徴行録』(えんこう

ちょうごうろく・祐誠玄明著)にも記載されています。いま弥山や

八経ヶ岳に登る時、奈良県天川村川迫川(こうせいがわ)渓谷を走

る、国道309号線の行者還(ぎょうじゃがえり)トンネル西口の登

山口から登ります。



途中、弥山の東側尾根に香婆世宿跡(こうばせのしゅくあと)があ

ります。「香婆世宿」は飛騨国の香婆世(講婆世)が僧正の位を望

んだが果たされず、この地で天皇を呪詛(じゅそ)し、その結果と

して僧正になれて、聖宝・ 香婆世(講婆世)僧正とまで呼ばれた

という故事からつけられた宿だという(『新日本山岳誌』)。ただ彼

はこれを悔いてここで捨身し廟所が設けられたそうです。



またある資料によると「此僧正は飛騨国の大徳なり。又或書に曰く,

彼僧正は上野の生れにて, 此所に籠り居て, 内裏へ僧正の官を願ふ

といへども, 俗姓なしとて勅許(ちょっきょ・勅命の免許)なし。

其後, 帝頻りに悩せ玉ふに依て, 僧正の官を賜り, 祈を命ぜられば,

御病速に御平癒ありしとなり。僧正は遂に此所にて寂すといふ。是

に依て, 今に修俗の者, 此所を通るに,僧正の弟子なりと, 三返唱へて

通り行く」ともあります。



大峰修験道中興の祖といわれる理源大師聖宝(りげんだいししょう

ぼう・平安時代前期の真言宗の僧)が、ここで大蛇を退治したとの

伝説もあるそうです。またここには元禄5年(1692)の青銅の理源

大師聖宝の座像があり、これに触ると雨が降ると伝えられています。



▼八経ヶ岳【データ】
【所在地】
・奈良県吉野郡天川村と奈良県吉野郡上北山村の境。近鉄吉野線
吉野駅から大峰山逆峰、5日目で八経ヶ岳。二等三角点(1915.2
m)がある。大峰七十五靡の第51行所。
【位置】
・三角点:北緯34度10分24.96秒、東経135度54分27.16秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:弥山。



▼【参考文献】
・『役行者伝記集成』銭谷武平(東方出版)1994年(平成6)
・『角川日本地名大辞典29・奈良県』永島福太郎ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『山岳宗教史研究叢書・18』(修験道史料集・2)五来重(ごらい
しげる)編(名著出版)1984年(昭和59)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系30・奈良県の地名』(平凡社)1981年(昭和56)

 

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