『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第7章 南アルプスの山々

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■07:三伏峠3人の山伏

【略文】
峠名は地元の三方に尾根を伏せた形からだとも、三正坊伝説の山伏
にちなむとの説がある。この峠は日本で最も高い峠で「日本三峠」
のひとつ。最近は塩川ルートよりも登りの楽な鳥倉林道から入る人
が多くなり塩川小屋はさびれてしまうかもしれないという。
・長野県大鹿村と静岡市との境

■07:三伏峠の3人の山伏


【本文】

南アルプスの南部と北部をつなぐ三伏峠は、古くから伊那地方と甲

州地方を結ぶ伊那街道が通じていたという。



三伏峠という名前は、三方(大鹿村・長谷村(いまは伊那市)・静

岡市)に尾根を伏せたような地形上の理由からだとも、開山説など

古い言い伝えの残る「三正坊」の3人の山伏にちなむ(「新日本山

岳誌」)などの説。



またフク・フセ(布瀬、伏)は地形語で傾斜地のことで、三つの傾

斜地を持つ峠(「日本山岳ルーツ大辞典」)との説もあります。



長野県大鹿村には少しつむじ曲がりの山神が伝承されており、大鹿

村・釜沢の三正坊の祠には「鼻高天狗」と「口高天狗」の面が飾ら

れているという。これなども開山伝説に関係があるのでしょうか。



もっとも、三伏峠の名は江戸後期の地図には記載されておらず、お

そらく江戸末期か明治も初めころつけられた呼び名ではないかと推

測されています。



この峠は日本で最も高い峠で「日本三峠」(針ノ木峠・三伏峠・雁

坂峠、または針ノ木峠・夏沢峠・雁坂峠、また針ノ木峠、清水峠、

雁坂峠ともいう)のひとつでもあります。



かつては赤石構造谷への塩の移入路として利用されたらしいという

説もあるようですがはっきりしないという。いまある三伏峠小屋は

1935年(昭和10)、「鹿塩の湯」の経営者平瀬理太郎が建設、1958

年(昭和33)に平瀬調吉が現在の三伏峠小屋を建設したものだそ

うです。



その登山口・長野県下伊那郡大鹿村(合併せず)は古くからあった

地名だといいます。『吾妻鏡』の「文治二年(1186・鎌倉時代初頭)

三月十二日条に「大河原鹿塩」と記されているというのです。



また南北朝時代、南朝の後醍醐天皇の皇子宗良(むねなが)親王が、

南朝勢力挽回のため、北条時行、諏訪頼継、高坂高宗などを従え(『ア

ルプスの伝説』)、遠江国伊谷城を棄てて信濃の国に入り、大河原に

根拠地をおき、東奔西走するかたわら、しばしば赤石岳山頂に座し、

足利市調伏を祈願したという。このことは同親王の『李花集』とい

う本に出ています。



大河原集落から小渋川に沿った道をさらに遡り、釜沢近くの林道を

北東に登ると御所平と呼ばれるところがあり、親王30年間の在所

(宗良親王御所跡)として史跡も多く残っていて、宗良親王の終焉

の地としても有力視されています。



大鹿村から三伏峠を目指すには塩川小屋経由の塩川ルートが普通で

したが、最近は鳥倉林道が豊口山南方の標高1700m付近まで開通。



登山者も、登りのきつい塩川経由よりも楽な(3〜4時間)鳥倉林

道から入る人が多くなり、今後は塩川小屋はさびれてしまうかもし

れないという。かつてお世話になった塩川小屋のおばさんの顔が浮

かびます。



2009年夏には伊那大島駅からのバスも鹿塩方面へは運休で、バス

は鳥倉登山口方面だけなので仕方なく鳥倉林道から三伏峠へ向かい

ました。鳥倉林道の駐車場はマイカーで満杯状態でした。



また豊口山分岐から塩川小屋へ下る道も荒れはじめて寂しさが漂っ

ていました。ちなみに三伏峠の標高については文献によりさまざま

で、一応ならべてみました。



2560m(「コンサイス日本山名辞典」)、2570m(「コンサイス日本

地名事典」、「日本山名事典」)、2580m(「角川日本地名大辞典20・

長野県」、「山DAS」、「信州百峠・改訂普及版」、「日本山岳ルーツ

大辞典」)、2600m(「日本大百科全書・16」)、2607m(南アルプス

観光連絡協議会の地図、付近にある標高点)の順になっています。

これどうしましょう。



▼三伏峠【データ】
【所在地】
・長野県下伊那郡大鹿村と静岡県静岡市葵区との境。JR飯田線伊
那大島駅の東22キロ。JR飯田線伊那大島駅からバス、鳥倉登山
口停留所下車、さらに歩いて3時間で三伏峠。三伏峠小屋とキャン
プ指定地がある。地形図に三伏峠名、三伏峠小屋の記載あり。付近
に写真測量による標高点(2607m)がある。
【位置】
・三伏峠:北緯35度33分20.87秒、東経138度08分35.15秒
・標高点:北緯35度33分17.57秒、東経138度08分28.1秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「塩見岳(甲府)」



▼【参考文献】
・『吾妻鏡』:岩波文庫『吾妻鏡』(二)龍(りょう)粛(すすむ)
訳注(岩波書店)1997年(平成9)
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『コンサイス日本山名辞典』徳久球雄編(三省堂)1979年(昭和54)
・『コンサイス日本地名事典』谷岡武雄ほか監修(三省堂)1987年
(昭和62)。
・『信濃奇談』堀内元鎧(がい)?著:(『日本庶民生活史料集成16
・奇談奇聞』(鈴木棠三ほか編)編集委員代表・谷川健一(三一書
房)所収
・『信州山岳百科・2』(信濃毎日新聞社)1983年(昭和58)
・『信州百峠・改訂普及版』井出孫六・市川健夫監修(郷土出版社)
1995年(平成7)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本の地名 岩波新書』谷川健一(岩波書店)2006年(平成18)

 

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