『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第6章 中央アルプス・御嶽の山々

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■09:恵那山・神坂峠

【概略】
奈良時代から京と東国を結ぶ要路だった恵那山神坂峠。官道の中で
も最も標高の高い峠だったいう。奥州平泉へ落ちる義経の供をした
金売り吉次は神坂峠東麓、薗原の炭焼き吉次といわれていた。神の
お告げで京の姫をめとり、長者になっていった。
・長野県阿智村と岐阜県中津川市との境

■09:恵那山・神坂峠


【本文】

「万葉集」巻二○に「ちはやふる神の御坂に幣(ぬさ)奉(まつ)

り斎(いわ)ふ命は母父(おもちち)がため」(防人歌)というの

があります。



恵那山の下を通る神坂峠(みさかとうげ)は、官道のなかでも最も

標高が高く、東西の駅までの距離が長い。そのうえ険しく気象の変

化が激しいところ。昔の人は「荒ぶる神」がいると考えていました。



こんな峠でも日本武尊や源義経ほか多くの人たちが越えたことでも

知られています。ところで、奥州平泉へ落ちる義経の供をした金売

り吉次は神坂峠東麓、園原の炭焼き吉次といわれています。



京のある公家に姫がいました。ある夜夢に住吉神があらわれて「信

濃国の園原の里に吉次という若者がいるので嫁いでいくように」と

のお告げがありました。姫は園原の吉次と夫婦になりました。



それからというもの、半焼けの炭が金色に輝く薬師如来に変わった

り、炭が次々に黄金になったり、吉次の家は幸運にめぐまれ長者に

なっていったということです。いま薬師如来は姫の着た小袖の一部

とともに長野県下伊那郡阿智村の長岳寺に残っているということで

す。



▼神坂峠遺跡【データ】
【所在地】
・長野県下伊那郡阿智村と岐阜県中津川市との境。中央本線中津川
駅の東南東12キロ。中央本線中津川駅からタクシー神坂峠(みさか
とうげ)遺跡。写真測量による標高点(1569m)がある。地形図上
には遺跡名と遺跡記号と標高点の標高にみ記載。
【位置】
・標高点:北緯35度28分19.43秒、東経137度37分52.31秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「中津川(飯田)」or「伊那駒場(飯田)」(2
図葉名と重なる)



▼【参考文献】
・『日本伝奇伝説大事典』編者・乾勝己ほか(角川書店)1990年(平
成2)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成4)

 

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