『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第5章 北アルプスの山々

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■23:焼岳

【概略】
焼岳はいまでもそこかしこから湯気が立ち登っています。大正4年
の大爆発で梓川をせき止め大正池をつくったという。その後、1962
年(昭和37)の大爆発では中尾峠の肩の小屋を押しつぶし管理人が
重傷。いま峠は北東に移動、新中尾峠と呼ばれています。
・長野県松本市と岐阜県高山市との境

■23:焼岳


【本文】

長野県上高地の西南にそびえる焼岳は、その名のように噴火活動に

よって山肌が焼けただれているような、赤褐色をしている山です。

いまもそこかしこから湯気が立ち、山頂近くの噴気孔は硫黄が付着

し、耐えられない硫黄臭をただよわせています。



南峰(2等三角点名焼岳2455.4m)と北峰(2393m)に分かれてい

ますが、南峰は登山禁止になっていて、登れるのは北峰だけ。



焼岳は1585年(天正13)以来記録に残る活動は100回を越すとい
う。

火山活動により、昔から硫黄のにおいが強いのか、「信府統記」(松

本藩内の総合書)によれば飛騨側ではかつて硫黄岳と呼んでいたそ

うです。



1858年(安政5)の噴火のあと、1911年(明治44)には22回にのぼ

る小爆発がありました。さらに1915年(大正4)6月の大爆発では

東側に流れた溶岩流や泥流は、梓川をせき止めて大正池をつくった

という。



梓川はかつては上高地から岐阜県に流れていましたが焼岳のこの爆

発でいまのように松本方面に流れるようになったのだという。その

後1962年(昭和37)の大爆発では火山弾・火山灰が中尾峠の肩の小

屋を押しつぶし同所の北100mのところに新しい噴火口がいくつも

でき、小屋の管理人は重傷を負ったそうです。



そのころは肩の小屋は展望台の南側に下りた大岩のあるところにあ

ったという。いま峠は北東500mのところに移動し、新中尾峠と呼

ばれ焼岳小屋があります。この時の爆発で大正池は泥流で埋められ

てしまい、幅の広い川のように小さくなってしまっています。



この爆発のあと、焼岳へは登山禁止になっていましたが1990年(平

成2)10月解除され、現在大勢の人が登っています。



8月初旬、歩きづらい道を登った焼岳山頂付近は、中高年の団体で

満員の状態でした。山頂手前の噴気孔付近は、人一人がやっと通れ

るようなちょっとした岩場。団体さんが続くと待ち時間が多くなり

ます。

岩に不慣れな女性など気の毒なほど慌てています。風向きで噴気孔

からの硫黄臭がのどを痛め耐えられません。



なかには声を荒げる人も出てきます。見ると若い女性が次々に登る

人に押されて下りられません。見かねて下の人に声をかけて待って

貰いました。



うなずいた女性はさっさと岩を下り、続いて下りる私たちをどんど

ん引き離し、ゴロゴロ石の滑りやすい急坂を下っていきました。あ

の身軽な歩き方はただ者ではないぞ。



▼焼岳【データ】
【所在地】
長野県松本市と岐阜県高山市上宝町との境。篠ノ井線松本駅の西34
キロ。松本電鉄新島々駅からバス、上高地から歩いて4時間40分
で焼岳北峰(南峰は登山禁止)。北峰に写真測量による標高点(2393
m)がある。南峰に二等三角点(2455.37m)がある。
【位置】
・三角点:緯度 36度13分36.7123秒、経度 137度35分13.432秒)
【地図】
・2万5千分の1地形図「焼岳(高山)」



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県の地名』市川健夫ほか編(角川
書店)1990年(平成2)
・『角川日本地名大辞典21・岐阜県』野村忠夫ほか編(角川書店)19
80年(昭和55)
・『北アルプス物語」朝日新聞松本支局編(郷土出版社)1982年(昭和
57)
・『信州山岳百科・1』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『信州峠百科』井出孫六ほか監修(郷土出版社)1995年(平成7)
・『信州百名山』清水栄一著(桐原書店)1990年(平成2)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』(平凡社)1979年(昭和54)

 

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