『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第5章 北アルプスの山々

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■05:五龍岳・ガケ岳と武田菱岳

【略文】
崖がきり立つ山を「崖岳」と呼びます。ガケ岳がなまってガキにな
り、餓鬼の字を当てました。五龍岳も昔は餓鬼岳といっていたとい
う。五龍岳の崖のG2の岩峰に現れるX字形の割れ目に雪が着くと、
領主の家紋武田菱(御菱・ごりょう)に似た雪形になります。その
「ごりょう」がなまって「ゴリュウ」になったという。
・長野県大町市と富山県黒部市宇奈月町旧地区との境

■05:五龍岳・ガケ岳と武田菱岳


【本文】

北アルプス五龍岳は標高2814m。後立山連峰を縦走するとき必ず
この山を通ります。5匹の竜とはおっかない名前です。「やまたの

おろち」や「八大竜王」ではあるまいし、五竜とはなんだ。きり立

った崖の山は、そのまま呼べば「崖岳」です。



ガケ岳がなまってガキになり、「餓鬼」の字を当てます。あちこち

の餓鬼の字のつく所は、たいていそんな場所。五竜岳もゴツゴツ岩

壁でおおわれ、まさに餓鬼岳。昔は餓鬼岳といっていたそうで、江

戸時代の享保9(1724年)、松本藩内の総合書「信府統記・しんぷ

とうき」にも餓鬼岳と載っています。



でも同じおっかない名でもこちらは「餓鬼」。ではリュウとは何

だ?。昔は立山と書いて「りゅうざん」とも読んだそうです。富山

側から見ると、アリガタイ信仰の山「立山」の後ろにあるのは後立

山(ごりゅうざん)です。そこからゴリュウの名がついたとの説も

あります。その後、後立山は鹿島槍ヶ岳のことをさすのが定説にな

っているそうです。



また、尖った稜角のある山を「菱(ひし)」といいます。そこから

冬、雪もつかないような岩壁をヒシともいいます。この山の山頂

東面には鹿島槍ヶ岳方面へかけてG0からG7と呼ばれる岩峰群が

あり、そのG2の大きな岩峰の崖には、X字形の割れ目があります。



ここのヒシはX字形に割れ目があるので「割りビシ」です。その

山頂は「割りビシの頭」と呼ばれていました。そのまわりに雪が

積もると、菱の岩肌だけが黒く残って目立ちます。またX字の割

れ目にも雪が着くと、「四つ割り菱」の雪形に見えます。



戦国時代、ここ五龍の山ろくも武田家の勢力下。領主サマ・武田信

玄の紋章がたまたま同じ「菱」を使った武田菱です。その上よくみ

ると、おらが「割りビシ」も武田菱に似た形。菱はリョウとも読

み、村民のなかでは「御菱(ごりょう)」と呼んだりしました。



明治41年(1908)、三枝威之介一行が白馬岳から縦走してきまし

た。この山にさしかかり、山の名を案内人に聞くと「ゴリョウ」

という。当時の案内人には漢字など分かりません。そこで「五龍

としておこう」と記録。



三枝威之介は東京に帰り、雑誌に発表する時「五龍」と記載しま

す。1931年(昭和6)5月、政府が発行した5万分の1の地形図

にも「五龍岳」と載せてしまったという。しかし、地元では依然

として地図にない「餓鬼」の名を使っていました。それでは困りま

す。



仕方なく考え出したのが別の山に餓鬼の名前をつける方法。それが

唐松岳西方にある2128mの峰、餓鬼山だということです。そのほ

か、「五鯉鮒山」説もあるそうです。



五龍岳には遠見尾根から登ります。大正末期ごろから白馬山麓に

スキー場がつくられはじめ、1930年(昭和5)には遠見尾根山麓

「鷹が入」にスキー場とスキー小屋が造られました(いまの白馬

五竜スキー場)。



同年、国鉄大糸線が神城まで開通して、スキー客が年々増えはじ

め、次第に遠見尾根が全国に知られるようになったという。遠見

尾根は「タワミ」がなまったのだとも、眺めがすばらしいので「遠

見」というのだそうです。



この遠見尾根地蔵ノ頭にはケルンがありその中に地蔵が一体おわし

ます。これを風切地蔵というそうです。このあたりは5月の田植え

のころ、しばしば大風が吹いて多くの家が被害を受け、屋根の修理

に追われ田植えができなくて困ったという。



そのため1867年(慶応3)に、ふもとの長谷院(いまの白馬村神

城飯森にある長谷寺)の19世逸乗和尚が、風除けのために勧進し

た地蔵だという。風除け地蔵ともいい、古くから山麓の住民に親

しまれ、毎年5月の大風の記念日には、飯田地区では村中農休み

にして各戸から一人ずつ登山し、この地蔵さまに詣でて、大風から

村を守ってもらうことを祈ったそうです。



また小遠見山から南東の下る尾根・天狗尾根上にも天狗風切地蔵が

あります。その他この周辺には風切地蔵が多く、なかでも「八方尾

根の八方池」や唐松岳北方の「天狗平天狗池ほとり」の風切地蔵は

すべて地蔵の頭にある風切地蔵と同じ1867年(慶応3)建立の延

命地蔵。



その上そろって造り方や寸法、また材質や手法も同じなのだそうで

す。「これは謎で、このことについて語り継がれたり、記録に残っ

ているものは何もない」と『北アルプス白馬連峰』の著者長沢武氏

は述べています。



▼五龍岳【データ】
【所在地】
・長野県大町市と富山県黒部市宇奈月町旧地区(旧下新川郡宇奈
月町)との境。大糸線神城駅の西8キロ。JR大糸線神城駅から
テレキャビンを利用歩いて8時間で五龍岳。写真測量による標高
点(2814m)と三等三角点(停止【亡失】)(基準点成果等閲覧サ
ービスであらわれる)がある。地形図に五龍岳の山名との標高点
の標高の記載あり。付近に何も記載なし。
【位置】
・標高点:北緯36度39分30.28秒、東経137度45分9.58秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「神城(高山)」と「十字峡(高山)」(2図葉
名と重なる)



▼【参考文献】
・『北アルプス白馬連峰 その歴史と民俗』長沢武(郷土出版社)1986
年(昭和61)
・『信州山岳百科・1』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・「旅と伝説」三元社(昭和17年2月号・p10)「山と地形のことば」
高橋文太郎:『民俗学資料集成29』(岩崎美術社)収納
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・「山と博物館」(2008年3月25日号)大町山岳博物館

 

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