新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第4章 甲信越の山々

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▼15:甘利山の赤牛伝説

【略文】
甘利山は、ここ甲斐国の「甘利荘」の裏手にある山なのでその名が
あるという。山の中腹の椹池には主の大蛇がすんでいたという。あ
る時、領主の甘利左衛門が、領民に命じて池から大蛇を追い出しま
した。大蛇は赤い牛となって飛び出し、山奥の大笹池に逃げ、さら
に中巨摩野午島の能蔵池にすみついたという。
・山梨県韮崎市と南アルプス市との境。

▼15:甘利山の赤牛伝説


【本文】

甘利山(あまりやま)の名は、ここ甲斐国の「甘利荘」の裏手にあ

る山なのでその名があるという。そもそも古代律令国家時代の郷は、

1000戸をもって郷とし、その余りは、余部(あまりべ)郷として

別郷とされていたという。甲斐国巨摩郡にもその余部郷があって、

それが「甘利荘」となったものといいます。



「甘利荘」が武田氏の勢力下になってから一帯は、甘利左衛門尉(じ

ょう)昌忠(まさただ)に与えられたという。この甘利昌忠は、武田

氏の家臣で、武田二十四将の一人として数えられ、また奥近習六人

衆にも名があがる人物です。甘利氏は、武田氏の始祖である甲斐源

氏・武田信義の子であるといいます。



甘利山の頂上は汁垂(しるたる)と呼ばれ、山頂部は準平原状をな

し、八ヶ岳・富士山・甲府盆地などが一望できる。また草本も豊富

で、とくにレンゲツツジ、スズランの群落は有名です。ほかにアツ

モリソウや、クガイソウ、ヤナギラン、またエゾフウロ、グンナイ

フウロ、さらにシモツケソウなどもあります。



明治時代には、山梨師範学校の学生たちの登山や、女学校の集団登

山もあったそうです。地元の山岳会が誕生してからは、甘利山を世

に出そうともしました。1972年(昭和47)に、椹池や山頂を通過

するツツジラインにつづく周遊自動車道路があり、いまではタクシ

ーの便もあるという、すっかり自動車登山の山になりました。



中腹の標高1240mにある椹(さわら)池は登山者の休憩地点。椹

池からは雨乞い習俗に関連ありそうな遺物も発見されています。こ

の椹池には不思議な剣の話があります。1984年(昭和59)の早春

のこと、突然、原因不明で椹池が干上がったという。すると、池の

底に錆びた鉄剣が、岩に突き刺さっているのが発見されました。



長さ40センチ、幅8センチの大きな鉄剣で、束はなくなっていま

した。それからのち、テレビでもこの事件が取り上げられました。

それによると剣の一部を採取して、埼玉県埋蔵文化財センターで鑑

定したところ、奈良時代以前のものという結果が出たというのです。



ただ、この剣は昔からあったようで、椹池ほとりの白鳳荘の管理人

望月一博氏の話だでは「自分たちがまだこどものころ、真冬に凍っ

た池の上を「下駄スケート」でよく遊んだ。その時、池のなかの氷

の上に剣が出ていて、邪魔だとよくけ飛ばしたものだ。いまは朽ち

て池のなかに沈んでいる」とのお話しでした。鑑定のこともよく分

からないとのこと。結局は霧の中の「ムニャムニヤ」状態ですが、

このような話ははっきりしない方が神秘的でいいのかも知れません

ネ。



また、この椹池には次のような伝説があります。1935年(昭和10)

の『口碑伝説集』によると、「今より凡そ400年前、本郡下條村の

一老婆に、何の病気か知らないが額に角を生じた。老婆はこれを人

に見らるるのを恐れて常に手拭を被って隠してゐた。ところが或時

洗濯をしてゐると強い風が吹いて来て、あっと言ふ間に手拭いを吹

き飛ばして了った。



老婆の頭の二本の角は側にゐた嫁と近所の謀に見られたのである。

老婆は大いにこれを恥ぢて直ちに走せて西山に至り、山中の池に投

身して遂に其の池の主となった。現今の甘利山の椹(サワライケ)

池がこの池である。其後天文年中領主甘利氏の二氏(※1人という

本もある)が此處で釣りをしたが誤って墜落し溺死してしまった。



そして其の死骸も水底に沈んで現れなかったので、これは必ず池の

主の蛇身化生の仕業であらうといふので、里人一同は領主の命に依

って付近の椹を伐り倒して之を池中に数多投げ入れ、尚其の上に土

砂汚物等を入れて池を埋めた。其の時池中から一頭の赤牛が飛び出

して大笹池に走って行った。



これは先に投身した老婆の化身であった。この赤牛は大笹池に行っ

たが住む事が出来なくて、更に中巨摩郡御影村の野牛島(ヤグシマ)

(いまの南アルプス市野牛島)の能蔵池(ノウゾウイケ)に逃げて

行ったが果たして其処に落付いたかどうかわからない。



或は一説に同郡源村大嵐の観世音はこの赤牛を祀ったのだとも言っ

てゐる」とあります。こんなことから、甘利氏は領民に、赤牛を椹

池から追い出してくれたお礼として、甘利山一帯の年貢を免除にし

たということです。



この話のもとになっているのは、江戸時代の山梨県の地誌『甲斐国

志』。その「巻之三十」には、「甘利山。上条北割(カミデウキタノ

ワリ)村ニ近シ 山年貢免除ナリ 相伝フ昔時甘利左衛門ノ尉ノ子此

ノ山中佐原池ニ漁シテ罔象(※みずは・水の神)ノ為ニ命ヲ失ヒ其

ノ屍ヲ得ザリケレバ甘利氏怒リテ其ノ郷中十村ノ民ニ命ジテ池中ヘ

大木ヲ投ジ不潔ヲ沐(※そそ)ギシカバ罔象赤牛ニ化シ走リテ又其

ノ奧ナル大笹池ニ入ル右ノ賞(しょう)(※ほうび)トシテ山税ヲ

免ゼラレ 今尚ホ是レニ仍(※よ)ルト云フ」とあり、かなりシン

プルになっています。



これは柳田国男の『山島民譚集』にも「赤牛」の項で触れています。

「甲州北巨摩郡旭村上条北割組ノ甘利山ノ山中ニ、佐原池(※ママ)

ト呼ブ池アリ…」と『甲斐国志』を引用しています。ここでは「甘

利左右衛門尉(ジョウ)ノ一子」としています。



さて、ここに出てくる能蔵池とは、南アルプス市野牛島にある池。

中央本線竜王駅と塩崎駅との南側の中間地点。釜無川と御勅使川の

合流点の南西1キロのところにあります。この池は、御勅使川(み

だいがわ)の伏流水が湧き出すのをせき止めて造ったため池です。



池の東には鎮守の能蔵知恵文殊稲荷神社が鎮座し、池の西には蔵王

権現、中島には弁天がまつられています。この池の話はちょっと違

った物語になっています。この池には、村人に椀や膳を貸してくれ

る「貸し椀伝説」があり、それはこの池にすむ赤牛さまのお陰だと

いう。



しかし、ある時、不心得者が借りた椀を返さず、汚物を洗うなどし

たため、怒った赤牛さまが池を飛び出して、甘利山の椹池に行って

しまったという。そして、さらに奧の大笹池に移ってしまい、そこ

で姿を消したという内容になっています。



ある夏、能蔵池調査1週間後に中央本線韮崎駅から4時間半、ヘア

ピンカーブの舗装車道を甘利山まで歩きました。いまクルマ登山な

ら山頂下駐車場から20、30分の日帰り登山の山。お腹の大きいご

夫婦まで散策する姿を見かけました。



椹池湖畔のテント場から南甘利山、大笹池経由で甘利山山頂、さら

に千頭星山など調査。あすはまたあの車道下りだとテントに戻りま

した。夜、腕に何か動くものがついています。手で払いますが何か

気持ちが悪い感触です。



慌ててライトをつけてみると、大きなヤマヒルが、のびのびと背伸

びをしているのでした。そういえば、このあたりは熊のほかシカが

多いとのことでした。お前まで歓迎してくれていたのか、ありがと

う…。



▼甘利山【データ】
【所在地】
・山梨県韮崎市と南アルプス市との境。JR中央本線韮崎駅から
歩いて5時間30分で甘利山三角点。3等三角点(1671.8m)があ
る。さらに15分で頂上(1731.4m)。
【甘利神社】
・創建は昭和11(1936)年。祭神:甘利左衛門尉昌忠甘利昌忠。
【位置】
・三角点:北緯35度40分58.96秒、東経138度22分52.37秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:「韮崎」甲府



▼【参考文献】
・『甲斐国志』(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):(「大日
本地誌大系」(雄山閣)1973年(昭和48)所収
・『甲斐伝説集』(甲斐民俗叢書2)土橋里木著(山梨民俗の会)1953
年(昭和28)
・『角川日本地名大辞典19・山梨』竹内理三編(角川書店)1991年
(平成3)
・『口碑伝説集』(郷土研究第二輯第一冊)北巨摩郡教育会郷土研究
部編(北巨摩郡教育会)1935年(昭和10)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系19・山梨県の地名』(平凡社)1995年(平成
7)
・『山島民譚集』柳田国男:(ちくま文庫「柳田国男全集・5」(筑
摩書房)1989年(平成1)
・協力:「白鳳荘」管理人:望月一博様

 

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