『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第4章 甲信越の山々

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▼04章:甲信越の山々 このページの目次

・04-01:守門岳・クロユリと尼僧の伝説(画展458)
・04-02:東頸城・米山さんから雲が出た(画展1022)
・04-03:新潟県・八海山の8つの海(画展923)
・04-04:雨飾山の伝説(画展905)
・04-05:火打山・ライチョウの北限地(画展802)
・04-06:北信・高妻山と山伏(画展410)
・04-07:北信・黒姫山の黒姫伝説(画展909)

▼07:北信・黒姫山の黒姫伝説

【略文】
ナウマンゾウの化石が出土したことで知られる野尻湖の真西にある
黒姫山。「北信五山」(飯縄山、戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山)
のひとつ。山名は志賀高原大沼池のヌシとの化身との悲恋の末、山
上の池に投身したという領主の娘黒姫の伝説に由来するという。役
ノ行者が登り七ツ池まで行ったとき弁財天を拝したのがはじまりだ
という。「日本二百名山」や、「信州百名山」にも選定されていま
す。

▼07:北信・黒姫山の黒姫伝説


【本文】

長野県北部の信濃町に、湖底や湖岸からナウマンゾウの化石発見さ

れたことで名高い野尻湖があります。湖の形が芙蓉の葉(または花

ともいう)の形に似ていることから一名芙蓉湖ともいうそうです。



その野尻湖を囲むように、南から時計回りに飯縄山、戸隠山、黒姫

山、妙高山、そして東側に斑尾山がそびえています。これらを「北

信五山」といいます。



その一つ、野尻湖の真西にあるのが黒姫山(くろひめやま)です。

黒姫山の山名は室町末期に、大蛇の化身との悲恋の末、山上の池に

投身したという領主の娘黒姫の伝説に由来するという。「日本二百

名山」(深田クラブ選定)、「信州百名山」(清水栄一選定)にも数

えられる山です。



昔、ここで鷹狩りをしたため一名御巣鷹山。またその形から地元で

は信濃富士とも呼ばれているそうです。この山の最高峰(標高点

2053m・かつての二等三角点(2053.4m)は現在(2014年3月)

は亡失)は外輪山の最高点。



その北西寄りちょっと低いところに中央火口丘の御巣鷹山(2046

m・小黒姫)があります。外輪山と中央火口丘の間は、三日月形の

火口原になっていて、大池や七ツ池などの湿原が広がっています。



山頂には石の祠があって中央に大毘沙門天王、右側に七ツ池竜王、

左側に黒姫弁財天と彫られています。『日本歴史地名大系20・長野

県の地名』によれば、そもそも役ノ行者がこの山に登り、七ツ池ま

で行ったとき弁財天を拝したのがはじまりだという。



また平安時代中期の寛仁4年(1020)に恵心僧都源信(えしんそう

ずげんしん)という天台宗の坊さんが、万民豊楽、仏法興隆を祈願。

この山に登り、黒姫弁財天の像を刻み、まつったという(「雲竜寺

由来」)。また「…本村人民該山に入り、秣(まぐさ・馬草)を刈り

て耕地の肥養となし、伐木採薪以て生計の基となす。(「長野県町村

誌・戸隠村」)とも書かれています。



東側山麓の信濃町柏原地区仁之倉部落は俳人小林一茶の生誕の地と

して知れています。一茶の俳諧俳文集『おらが春』には「おのれ住

める郷は、おく信濃黒姫山のだらだら下りの小隅なれば、雪は夏消

えて、霜は秋ふる物から」とあります。



黒姫山の山名になっている黒姫伝説は複数あります。【黒姫伝説・

1】戦国時代にいまの長野県中野市に、高梨氏という一族がいまし

た。高梨氏の武将高梨政盛(別の説では政頼)に黒姫という美しい

姫様がいたという。



ある日、殿様は黒姫とお花見に出かけました。その時白い蛇が一匹

あらわれました。「姫、あの蛇にも酒盃をあげてみなさい」と殿様

がいいました。蛇は姫が差し出す盃をうれしそうに飲み干しました。



その後、殿様のところに立派な姿の若者が訪ねてきました。「お花

見の時、黒姫からお酒をいただいた者です」。そして、自分は志賀

高原の大沼池にすむ竜なのだが、黒姫をぜひ妻に貰いたいというの

です。殿様は驚きました。



竜は立派な若者の姿で毎日殿様のもとを訪れ、熱心に願い出ます。

そんな姿にいつしか黒姫も心ひかれていくようです。困った殿様は

家来と相談。龍に罠を仕掛けます。策略にまんまとかかった竜は殺

されそうになります。怒った竜はたちまち天にかけのぼって行きま

した。



そのとたん、雲がわき起こり雷鳴が鳴って城下は大嵐に襲われ、濁

流が家々を押し流しはじめました。これを見た黒姫は黒雲に向かい

「あなたの妻になりましょう。早く嵐をしずめて下さい」と呼びか

けました。



その声を聞きつけた竜が天から舞い降り、黒姫を背に乗せ妙高と戸

隠の間の山に降りたち、山頂の池で黒姫と暮らすようになりました。

以後、その山を「黒姫山」と呼ぶようになったということです(『童

話の森』)。



【黒姫伝説・2】戦国時代の天文年中(1532〜1555年)。いまの

長野県中野市の武将高梨政頼が、ある日家来と美しい黒姫を伴い、

志賀高原の大沼池へ花見に出かけました。その翌日、立派な身なり

の若者が、殿様に対面を申し込んできました。黒姫に求婚を申し込

みにきたというのです。



慌てた武士は若者を待たせ、家老と供に戻りましたが、その姿はも

はやありませんでした。不思議な若者は、翌日も、またその翌日も

同じことをいっては姿を消します。殿様もさすがに疑い家来と相談、

若者に策略を仕掛けます。



この罠にはまった若者は、大けがを負って消えました。家来が血の

あとをたどってみると、いつか黒姫と花見に出かけた大沼池で消え

ていました。



その日から、若者はあらわわれなくなりましたが、そんなある日、

化粧をしようと鏡にむかった黒姫の首から胸にビッシリと蛇のこけ

らが生えています。そして姫の体は次第に蛇の体のようになってい

くのでした。



悲観した黒姫は、乳母のお種を連れて家を出ました。黒姫は妙高と

戸隠の間の山の頂上にたどり着くと、もう私は人間の姿ではないと、

自分の化粧道具を捨てました。



捨てた化粧道具は7つの池になりました。さらに両親からもらった

お守りを捨てると、それは大きな池となりました。姫はそこに身を

投げました。乳母もその後を追いました。



それからは黒姫が捨てた化粧道具でできた池を「7つ池」、姫が身

を投げた池を「大池」、お種が身を投げた池を「種池」と呼ぶよう

になりました。



しかし、それでも大沼池の主の怒りはおさまらず、高梨家の領地に

洪水を起こし、何もかも押し流してしまったということです。(『野

尻湖と伝説』)。



【黒姫伝説・3】黒姫山の山麓に百姓の貧しい父娘が住んでいまし

た。娘の名前は黒姫といいました。ある時父親が病気になりました。

娘は一生懸命看病しましたがよくなりません。



そんなある日夢枕に白髪の老人があらわれ、湖にすんでいる金のフ

ナを食べさせればなおると告げました。黒姫はどうすれば金のフナ

がつかまるのか分かりません。



するとそこへ釣り竿を持った若者があらわれ、娘の話を聞き金色の

フナを釣ってくれました。父親の病気も次第によくなっていきまし

た。やがて娘と若者は恋仲になりました。しかし、ふたりは悲しい

かな身分が違いすぎました。若者は野尻の庄屋の息子だったのです。




彼はやがて近郷の庄屋の娘と結婚することになりました。嘆き悲し

んだ黒姫は、ついに湖に身を投げてしまいました。若者の婚礼の日

のこと、突然黒雲が式場を覆いました。そして1匹の大蛇があらわ

れると、若者をさらうと黒姫山へと飛び去っていったということで

す。

けさ見れば黒姫山は名のみにて嶺もふもとも雪ふりにけり(池田正

誠)



▼黒姫山【データ】
【所在地】
・長野県上水内郡信濃町。JR信越本線黒姫駅の西6キロ。JR
信越本線黒姫駅から歩いて5時間で黒姫山。写真測量による標高
点(2053m)(2等三角点(2053.4m)は亡失)がある。
【位置】
・黒姫山(標高点2053m):北緯36度48分48.5秒、東経138度7
分37.8秒
【地図】
・2万5千分1地形図名:信濃柏原(高田16号-1)

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『信州山岳百科・3』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『信州百名山』清水栄一著(桐原書店)1990年(平成2)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山嶽志』(新潟の豪農高頭式編纂)1906年(明治39)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『名山の民俗史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2009年
(平成21)

 

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