『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第4章 甲信越の山々

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▼04:雨飾山の伝説

【略文】
妙高連山に雨飾山という山があります。「あまかざりやま」とは珍
しい名前です。雨や天を祀る意とか、双耳峰なので両飾山といった
のが、後に両が雨になったという。不思議なのは「蘇鉄ヶ岩屋」の
伝説。文政5年の古文書には出てくるのですがどこにあるのか不明
なのです。山頂にある石仏の阿弥陀さまや天狗の伝説もあります。

▼04:雨飾山の伝説


【本文】

 長野県北部と新潟県との県境に雨飾山(あまかざりやま)という山があ

ります。「あまかざりやま」とは珍しい名前です。この山は天飾山とか、天

粧山、また雨錺山、雨節山、両飾山、両粧山、荒菅山などなどいろいろ

な別名があります。



 それは雨や天を祀る山の意とか、アマ火山、山頂が双耳峰なので「両」

の字のつくのだとかいわれているようです。そして後に「両」が「雨」になっ

たといいます。また信州側山麓では「霧のたんと晴れない山で、いつも雨

をかぶっているから雨飾りの名がある」という人もいるそうです。



 登山口は長野県側小谷温泉と大網登山口、新潟県側の雨飾温泉。小

谷温泉は上杉・武田の合戦の時に落ち武者が見つけた温泉という。400

年も昔の話ですからすごい。



 山頂は二つに分かれ地元ではネコ耳と呼び、東南、長野県側の斜面

は大岩壁になっていて「ふとんびし」といっているそうです。山頂直下の

笹平は、平らな地形でクマザサ原になっていて高山植物のお花畑。山頂

に立てば日本海から北アルプスなどが一望できます。



 双耳峰の主峰である南峰には、かつて地蔵菩薩、薬師如来が安置さ

れていたそうですがいまは三角点と山神の石柱が建っています。北峰に

は、石仏が4体とつぶれた石の祠が新潟県向きにならんで建っていま

す。



 石仏は阿弥陀三尊、大日如来、薬師如来、不動明王で、ひでりの時な

ど山麓の農民が、雨乞いの祈願を行うと慈雨に恵まれたと参考書にあり

ます。しかし、他の説では「雨飾り」の名があるように、このあたりは多雨多

雪地帯、山頂にある石仏や祠が雨乞いのためものであるとするのは無理

があり、むしろ太陽の光を望んだものではないだろうかとの意見もあるよう

です。



 石仏も風化されて文字は読めないのですが、祠のとなりは不動明王ら

しく、そのとなりは「○○山青○渡寺」と読める所が奉納した熊野修験の

木札があるので大日如来らしい。またその他、丸い石に三尊の仏像が彫

られた石像、単体像とならんでおり、順序が換わっているようです。



 この石仏たちは、糸魚川地方の羅漢上人という坊さんが刻み、山へ運

んだものだといいます。ただ、はじめ雨飾山に三尊の阿弥陀さまをまつっ

たのはやはり糸魚川の法眼という坊さんで、佐五左衛門という人が石像

を担ぎ上げてまつりましたが、信州小谷方面から登ってきた木地屋が谷

底へ放り投げてしまったという。



 そこで再び彫り直し担ぎ上げたということです。この阿弥陀如来につい

ては、中土村(いまの長野県小谷村)の猟師の塩六の「光明石の伝説」

や、同村中谷の阿弥陀堂の伝説も残っています。



 この山は信越国境(信濃・越後)にあるため、元禄13(1700)年から3

ヶ年間、越後側にある山口村と、信濃側の小谷の村々との間で国境争論

がおこったという。訴えたのは越後側の山口村。幕府の評定所が厳重に

調査、元禄15(1702)年11月、争論裁許状が交付されました。



 それには、雨飾山二ノ肩から信越国境の目印とする地点が書かれ、裏

面に国境絵図までが描かれていたそうです。このあたりも風が強く、信州

側の戸土、押廻、中又、横川の各地区では、毎年5月5日に全戸が農作

業を休み「風祭り」の登山をする習慣が、また越後側の梶山でも風祭りの

登山行事あったそうです。



 江戸後期の文政5(1822)年になると、長野県小谷村中土で雨飾山

頂に十三仏を担ぎ上げたという話もあり、その古文書のひとつ「あまかざり

拾三仏の縁起」も発見されているという。十三仏を担ぎ上げたその時、す

でにいまの祠があったというから相当古い祠であること以外、何をまつっ

てあるかなど詳しくは不明です。



 先の古文書のもうひとつに「雨錺(かざり)山蘇鉄ガ岩洞の縁起」という

のも見つかっています。この「蘇鉄が岩屋」という洞窟は奈良時代、行基

菩薩がこもって修行したところと伝えています。そこで中谷の人たちは洞

窟を探しに行ったというのです。



 そして難行苦難の末、神仏に祈ったところ天から明星のご来光があり

岩屋を隠していた岩が崩れて魔物が追い払われ、岩屋があらわれたとい

う。一同、行基菩薩が残した石仏を何度も拝み、わが家目指したとありま

す。



 しかしその場所というのは、地元の人も雨飾山の南面にはサイガ岩屋

という所や、雨飾山の岩屋という所もあるそうですがどこをいうのか詳細は

不明なのだそうです。



 最後に雨飾山には天狗伝説もあります。その昔、雨飾山に天狗が住

んでいました。ある日頂上から小谷村大網の里を見ていると、ウワバミが

住みかの洞窟からはいだしてウロウロしています。きっと村人に悪さをしよ

うとしているに違いない。時々自分の領分をも荒らしに来るにっくき奴で

す。



 とたんに天狗は雨飾山頂から大網の原をめがけて飛び降りました。「ド

スーン」。ウワバミはペッチャンコになって死んでしまいました。それからは

大網の村人は安心して暮らせるようになったということです。いまでも天狗

が飛び降りた足跡が、旧北小谷小学校大網分校(1992年(平成4)廃

校)にあり、水溜まりは目薬なっていたという。



 また、ウワバミの死骸を投げ捨てたところを「ヤキバ」といい、ウワバミの

住みかだった洞窟から水が流れているのが戸沢だということです(「大網

の民話」)。



 ある年の9月はじめ、まだ使える「青春18切符」を片手に、南小谷駅に

降り立ちました。この時期バスは、小谷温泉から少し行った雨飾荘、露天

風呂下の駐車場が終点。まだ雨飾高原キャンプ場までは1時間以上歩き

ます。しかしバス停すぐ上の林の中に露天風呂を見つけ楽しみが増えま

した。



 翌日テント場を朝5時半前に出発。荒菅沢を渡り笹平を過ぎ、急登す

ると山頂に。眼下に日本海が広がります。双耳峰になっていて、なるほど

北峰には石仏がずらり。一体一体写真を撮り、高さと幅をスケールで計り

ます。祠の裏に「姫神」の石棒がありました。



 本峰である南峰には三角点と、山神の石柱と祠がひとつ。かつて地蔵

菩薩、薬師如来が安置されていたそうですが、これはそのどちらかにちな

むものでしょうか。後になり先になり、登ってきた5人のパーティーが南峰

の三角点わきで大休憩、コーヒーを沸かしておしゃべりをしています。わ

たしも北峰でゆっくり日本海をながめながら、昼食をとりました。



 石仏も調べた、祠もスケッチした。この石仏たちを担ぎ上げた人たち、

またいまはどこにあるか分からなくなっている、行基菩薩が修行したという

「蘇鉄が岩屋」の場所などに思いを馳せます。きのうは、午後3時ごろ夕

立でひとしきり降られました。きょうもくるに違いない。そろそろ退散と、急

坂を下り笹原の中の道をキャンプ場を目指したのでありました。収穫、収

穫。



▼雨飾山【データ】
【異名・由来】
・異名:天飾山、天粧山、雨錺山、雨節山、両飾山、両粧山、荒菅山
・由来:山名は雨または天を祀る山、アマ火山を聞き誤った、降雨祈願
に関係するなど諸説あり。
【所在地】
・新潟県糸魚川市と長野県北安曇郡小谷村(合併なし)との境。JR
大糸線南小谷駅から小谷村営バス、雨飾高原バス停留所下車、歩い
て1時間20分で雨飾り高原キャンプ場。さらに歩いて4時間30分で
雨飾山。南峰(本峰)と20数m隔てて北峰がある。北峰に4体の石
仏(阿弥陀三尊、大日如来、薬師如来、不動明王)と祠がある。南峰
に二等三角点(1693.2m)と、山の神の石碑と祠がある。地形図上
には山名(雨飾山)三角点記号とその標高(1693.2m)がある。
【地図】
・2万5千分1地形図名:雨飾山

▼【参考文献】
・『雨飾山と海谷山塊』−われらが希望の山々(蟹江健一・渡辺義一郎)
(恒文社)2008年(平成20)
・『角川日本地名大辞典15・新潟県』田中圭一ほか篇(角川書店)1989
年(平成1)
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角川書店)1990
年(平成2)
・『信州山岳百科・3』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』(平凡社)1979年(昭和54)

 

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