『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第4章 甲信越の山々

………………………………………………

▼02:東頸城・米山さんから雲が出た

【略文】
時に唱♪米山さんから雲が出た〜、とうたわれる東頸城丘陵米山。ここに
は面白い伝説があります。昔、泰澄上人の弟子臥行者が米山山頂か
ら沖を通る船に、供米を乞うため、鉄鉢を飛ばしました。断ると米
はひとりでに舞い上がり、列を組んで飛んで行ったという。山名は
ここからきているという。

▼02:東頸城・米山さんから雲が出た


【本文】

 ♪佐渡へ佐渡へと草木もなびく、佐渡は居よいか住みよいか、

歌で知られたアア、ア−ンアン…と、昔、父親がよく聞いていた、

寿々木米若の浪曲「佐渡情話」。全国の浪曲ファンを魅了したもの

でした。



 いつもラジオで聞かされていたので、…寄せては返す波の音、「明

日はお別れね。柏崎に帰られたら……」といまでも口から出てきま

す。「佐渡情話」は、東頸城丘陵、米山薬師で有名な米山(993m)

のふもとの新潟県柏崎市を舞台にした悲恋物語。



 米山は、標高は低いですが、どうしてどうして、♪米山さんから

雲が出た〜、と民謡の「三階節」にもうたわれ、また「米山甚句」

の「いこか参らんしょか米山薬師」との民謡でも知られます。



 さらに南北朝時代から室町時代初期に成立したされる『義経記』

にも、あの源義経が奥州へ下るとき、「妙観音の嶽(妙高山)より

下したる嵐に帆引掛けて、米山(993m)を過ぎて、角田山を見付

けて、あれ見給へや、風は未だ嵐風弱くならば、櫓を添へて押せや

とぞ申しける」、などと記載されています。



 米山山頂からは北西に北西は日本海を望めます。その山容から別

名越後富士。山頂には一等三角点と日本三大薬師のひとつ、薬師如

来をまつる薬師堂があります。地元の人たちにとって、農業と雨乞

い、縁結びの山としても、また海上交通の目標として信仰が深い。



 この山は奈良時代、712年(和銅5)越(こし)の大徳と称され

る泰澄上人が、開山したところ。泰澄が越後行脚のおり、夢のお告

げでここで薬師如来に出会ったという。山名は山の形が、鉢に米を

高く盛ったような形からきた説があります。またこの山中の7〜8

割までを田んぼに耕していて、米がたくさんできたからとする説も

あります。



 さらには、こんな伝説もあります。その昔、泰澄上人が米山の頂

上に、薬師堂を建立し、薬師如来をまつることにしました。泰澄は

早速、本尊の薬師如来を彫りだし、弟子は資金集めにかかりました。

上人の弟子の臥(ふし・ふせり)行者が米山山頂から、年貢米を積

んで沖を通る船を見て、供米を乞うため、鉄鉢を飛ばしました。



 飛んでくる鉢を見て船の乗員たちが驚いていると、「鉢にご喜捨

を」と山頂から声がします。この鉢に米や銭を載せると、鉢が飛び

上がり山へ帰っていきます。これが大評判。船乗りたちは面白がっ

て鉢が飛んでくるのを待つ者までいます。



 飛鳥時代から奈良時代に突入した和銅5年(西暦712)年の秋の

ある日のことでした。臥行者がいつものように、沖を行く船をめが

けて鉄鉢を飛ばしました。しかし、その船は米を出羽の国から朝廷

に上納する運搬船だったのです。船主は神部浄定(かんべのきよさ

だ)という人でした。



 「ここに積んである米は官米である。少量たりとも渡すことはで

きぬ」と拒みました。船主は鉢を拾って投げ返そうとしました。す

ると鉢は空中で向きを変え、「喜捨1俵」という。船主が断ると「そ

れでは2俵」という。それも断ると「じゃあ100俵」と鉢がいう。



 逃げようと船を沖に向けましたが動きません。とたんに船がひっ

くり返らんばかりに揺れだしました。「転覆するぞ。積み荷を捨て

ろ!」乗り組員が叫びだしました。すると「捨てるなら米は貰う」

という声がしました。



 すると船に積んであった米俵がふわりと舞い上がりあとからあと

から列をなし、臥行者のいる米山(『越後野志』による。越智山(お

ちさん613m)という説もある)めがけて飛んでいきます。



 船主の神部浄定は、大慌てで米俵が飛んでいくあとを追って行く

と、泰澄上人の住まいの前に俵が高く積まれていました。神部浄定

は、泰澄に米を返すよう頼みました。



 「あれは臥行者の仕業、すぐ返すよういっておく」。浄定が船に

帰ってみるとすでに米俵は戻っていました。さすが泰澄上人、話が

分かります。いくら喜捨だとはいえ、勝手に巻き上げられたのでは

かないません。



 それ以来、「五輪山」といっていたこの山の名を「米山」と改め

たということです。この山の南西ろく上越市(旧中頸城郡柿崎町)

米山寺集落に、米山寺があります。ここも泰澄上人開基のお寺。「病

気平癒」や、「田作豊穣」の神として、信仰を集める薬師如来像を

安置しています。



 仏像は、毎年4月12日から10月8日までは山頂に安置し、秋か

ら冬は、ふもとの密蔵院(いまは米山寺は廃寺)に移しているそう

です。これらを司る米山講は、地元の頸城や刈羽郡のほか、蒲原・

古志・三島(さんとう)各郡の農村に存続しているという。



 毎年、7月朔日前後に代参で登山し、札を受けて帰ります。この

時、山頂で販売される薬草の「トウキ」(当帰・ニホントウキ:セ

リ科シシウド属の多年草)を厄除けに持ち帰り、軒に吊す風習があ

るそうです。



 米山も昔は女人禁制。四方の峰には女人堂があり、これを四方の

尸羅場(しらば)といい、昔はこれより上は女人の登山を禁止され

ていたという。山頂の薬師堂から南に少し下ったところに御手洗池

という池があります。



 七唐の池ともいい、どんな日照りでも水が涸れたことがないと伝

えています。やはり稲作に向いた山なのでしょうか。橘南谿の『東

遊記』(江戸後期の紀行・随筆)にも越後を、上越後と下越後に分

ける山として紹介されています。



 山上からは高田平野を一望。平野を隔てて、上杉謙信の居城・春

日山を見下ろせます。また左方、南西に連なるのは妙高山など頸城

の山々。柏崎方面を望めば、弥彦山、佐渡島も見えます。



 東から東南にかけては八海山から磐越の山々、上越国境の山々、

谷川あたりまでが見えます。日本海側は、米山が海に迫って急崖を

なして、奇岩、怪岩が荒波に洗われ、豪壮な海岸美をつくり出して

います。



▼米山【データ】
【所在地】
・新潟県柏崎市と上越市(旧中頸城郡柿崎町)との境。JR本線
信越本線米山駅の南東6キロ。JR信越本線米山駅から大平集落に
入り、3時間30分で山頂。一等三角点992.5m。薬師堂がある。

【位置】
・三角点:北緯37度17分22.3415秒、東経138度29分02.2107秒
・三角点名:米山

【地図】
・2万5千分1地形図名:柿崎

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典15・新潟県』田中圭一ほか篇(角川書店)
1989年(平成1)
・『義経記』(日本古典文学大系37)岡見政雄校注(岩波書店)1959
年(昭和34)
・『山岳宗教史研究叢書9・富士・御嶽と中部霊山』鈴木昭英編(名
著出版)1978年(昭和53)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石敏夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系15・新潟県の地名』(平凡社)1986年(昭和61)

 

………………………………………………………………………

目次へ戻る