『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第3章 関東の山々

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■18:房総・鋸山はギザギザ鋸形

【略文】
いかにも鋸の歯のようなギザギザの形をした鋸山。鋸山は昔は「限
りの山」と呼ばれ、安房、上総の二国を限る(分ける)山の意味だ
そうです。頂上の三角点はパラボラアンテナやテレビ中継塔の先に
あり、かつては金谷側から石切場を経て最高点に登ったものでした。
そしてひたすら東へ歩き、尾根伝いに勝浦の「おせんころがし」に
抜ける縦走路がありました。
・千葉県富津市と鋸南町との境。

■18:房総・鋸山はギザギザ鋸形


【本文】

 鋸山(329.5m)は、いかにも鋸(のこぎり)の歯のような山頂

部を持った山です。鋸山のなかで、展望台は瑠璃光山、東のテレビ

塔あとの山を日輪山と呼び、西のロープウエイ駅となりの262mの

ピークを月輪山と呼ぶそうです。



 1893年(明治26)の『日本名勝地誌』(野崎左文)という本に、

右の方を日輪山、左の方を月輪山、瑠璃山の中央のそびえている山

上を十州一覧台というとあります。



 鋸山の鋸の歯のような形はまったくの人工的な産物で、実は石切

場の名残なのだそうです。鋸山の石は江戸時代はじめから掘り出さ

れたといわれ「房州石」、「金谷石」とよばれ、硬いことから建築用

石材として利用されたという。



 石材は、金谷側からは木製の荷車で車力道を通って搬出し、いま

も採石場から三角点のある山頂へ至る道は「キンマ道」として残っ

ています。また日輪山の石切場からは大正期に日本寺経由で運ばれ

たそうです。



 昔は「限りの山」といい、これは安房、上総の二国を限る(分け

る)山であるところから名づけられたという。南斜面にある日本寺

は正式名・乾坤山(けんこんざん)日本寺。



 奈良時代の725年(神亀2)行基が開いたと伝え、本尊は薬師瑠

璃光如来(やくしるりこうにょらい・薬師如来)。法相(ほっそう)宗、天台

宗、真言宗を経て、江戸時代前期の寛永年間(1624〜1645)以後は曹

洞宗になったお寺。



 絶壁に彫られた大仏から本堂、後ろの稜線にかけて境内に広がっ

ています。この大仏は、日本一の石大仏で、本尊の薬師瑠璃光如来

なのだそうです。



 鋸山は鹿野山、清澄山とともに房総三山に数えられます。文化9

年(1812)の『日本名山図絵』(谷文兆)にも日本の名山90座に鹿

野山と鋸山が載っています。また新潟の豪農高頭式編纂の『日本山

嶽志』(1906年・明治39)発行)にも、鋸山が房総の山のトップに

名を連ねています。



 ロープウエーで登ると、眺望に恵まれた十州一覧台で一休み。十

州は「関八州」(相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下

野)に伊豆、駿河を加えた数だとか。



 風食洞には上総国の石匠大野基五郎が安政年間に刻んだ千五百羅

漢がならんでいます。この羅漢たちは、明治の「排仏棄釈」の暴挙

で破壊され、首が飛んでいるものが多いことから首無し羅漢とも呼

ばれたそうです。



 鋸山の最高点はロープウエー山頂駅近くになく、パラボラアンテ

ナやテレビ中継塔の先にある三角点がそれです。かつてはそこへ行

くには、ロープウエーに乗らず、金谷側から石切場を経て登る道を

通りました。



 それも崖のふちを木の根をつかみながらのルートで、一般向けで

はありませんでした。しかし、いまはキンマ道からも自由に地球が

丸く見える展望台や、三角点のある山頂、またかつて切通しだった

林道口へも行かれます。林道口からは、保田駅にも通じる道があり

ます。



 かつてはこの最高点からひたすら東へ歩き、尾根伝いに勝浦の「お

せんころがし」に抜ける縦走路がありましたが、採石場や林道が尾

根を削り取ってしまったり、また、ゴルフ場もできて道を寸断。そ

の上、清澄方面はヤマヒルが大発生して、いまでは房総主稜の横断

は夢になってしまいました。



 それでも最近は、採石場をう回する道がつくられ、途中の通称「水

仙ピーク」と呼ばれるスイセンの名所、その先の嵯峨山までハイキ

ングを楽しむ人が増えているそうです。



▼鋸山【データ】
【所在地】
・千葉県富津市と鋸南町との境。JR本線浜金谷駅の南東4キロ。
JR内房線浜金谷駅から歩いて10分でロープウエイ駅、山頂駅下車、
さらに歩いて1時間で鋸山。一等三角点(329.5m)。山頂直下に日
本寺がある。地形図上三角点周辺には山名と三角点の記号とその標
高のみ記載。三角点より西南西方向直線856.114mに日本寺がある。
【位置】
・鋸山三角点:北緯35度09分37.37秒、東経139度50分27.01秒
【地図】
・2万5千分1地形図名:保田



▼【参考文献】
・『山岳宗教史研究叢書8・日光山と関東の修験道』宮田登・宮本袈裟雄
編(名著出版)1979年(昭和54)
・『山岳宗教史研究叢書17・修験道史料集(1)』五来重(ごらいしげる)
編(名著出版)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『房総山岳志』内田栄一(論書房出版)2005年(平成17)
・『房総志料続篇』:「房総叢書・6」(房総叢書刊行会)1941年(昭和
16)
・『房総の山』千葉県山岳連盟(千秋社)1977年(昭和52)

 

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