『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第2章 東北の山々

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■08:大朝日岳の伝説

【略文】
朝日連峰の主峰大朝日岳は剣頭山とも呼ばれています。これは見当
山の意味といいます。1598(慶長3)年、米沢城主・直江山城守は
この山を目標にしながらの交通路「朝日軍道」をつくった。「八千
の兵を引き、黒鍬五百、熊斧(よぎ)三百、つるはし鎌の者千人を
先に立て…」という大工事。その痕跡はいまも狐穴小屋、以東岳間
に残っています。

■08:大朝日岳の伝説


【本文】

 東北・山形県の朝日連峰・朝日岳(大朝日岳などの山々)も修

験道の祖・役ノ行者(えんのぎょうじゃ)が開いた所だとされて

います。飛鳥時代の680年(白鳳8)、行者が山頂に天照大御神(あ

まてらすおおかみ・仏教でいう大日如来)をまつったのが最初だ

そうです。



 役行者の略伝を著した平安時代の本『役行者本記』に「天智天

皇9年(670)庚午(かのえうま)、小角は37歳。飛鳥時代の天智

天皇九年(670)、庚午(かのえうま)、小角は37歳。7月大峯を出

発して、3日のうちに出羽の国の羽黒山に着いた。それから、出羽

の国の月山・湯殿山・金峯・鳥海山、奥州の秀峯などを巡って、22

日の後に大和に帰ってきた。およそ里数にして三千百里」とあり、

このころから東北、関東、秩父などを巡っていたようです。



 平安時代前半の940(天慶3)年の天慶の乱で敗れた平将門の残

党や、同じ平安時代後期の1185(寿永4)年の平家滅亡時の残党

がこの山に入り込み、山伏になって次第に強大な勢力になってい

きます。



 鎌倉中期になり、北条時頼が出家して諸国行脚(あんぎゃ)の

際、ここに立ち寄りその勢力の強大さに驚き、朝日岳を閉鎖し山

伏たちを弾圧したといいます。



 またこの連峰の主峰大朝日岳は剣頭(けんとう)山とも呼ばれ

ています。これは見当(けんとう)山の意味といいます。よく目

立つため、交通の目標になります。



 時は安土桃山時代から江戸時代に入ろうとする1598(慶長3)

年、米沢城主・直江山城守はこの山を目標にしながらの交通路「朝

日軍道」をつくります。



 「八千の兵を引き、黒鍬五百、熊斧(よぎ)三百、つるはし鎌

の者千人を先に立て…という大工事だったということです。その

痕跡はいまでも狐穴(まみあな)小屋、以東岳間に残っています。



 朝日連峰は東北地方の三つの山脈の一番西側にあり、冬の偏西

風がまともにあたる地域。そのため全国有数の豪雪地帯になって

います。この山は山ろくの村人の農業の神として、木こりやマタ

ギなどの信仰も厚かったという。



 いまでも春には、山ろくの大井沢や、徳網、三面集落などでは、

昔ながらのクマ狩りが行われ、多くのマタギが活躍しているそう

です。山名は各地の朝日の名のつく山々と同じで、朝、ふもとの

集落から見て太陽が上る山だからという。



 かつては、修験者による登山が行われたという伝承があちこち

に残っていますが、いまは宗教色が残っていないのは、先にある

ように北条時頼の閉鎖弾圧によるものだそうです。




▼【データ】
【所在地】
・山形県西村山郡朝日町と同県西村山郡西川町と同県西置賜郡小国
町との境。JR左沢線寒河江駅バスターミナルからバス、宮宿待合
所からバス乗り継ぎ、朝日鉱泉下車歩いて5時間で大朝日岳。二等
三角点(1870.3m)がある。
【位置】
・三角点:北緯38度15分37.85秒、東経139度55分20.3秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「朝日岳(村上)」



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典6・山形県』誉田慶恩ほか編(角川書店)1
981年(昭和56)
・『コンサイス日本山名辞典』(三省堂)1979年(昭和54)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)

 

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■02-10:安達ヶ原の鬼

【略文】
安達ケ原の一軒家に住む老女岩手は、悪鬼の本性を持ちながら罪業
を悔いていました。ある日一夜宿を求めた阿闍梨祐慶(あじゃりゅ
うけい)の教えで、救われようとしますが、固く禁じておいた奥の
部屋を、同行の強力にのぞかれ、人間の虚偽を怒り悪鬼の正体をあ
らわして、祐慶の法力によって退治されてしまいます。
・福島県二本松市安達ヶ原

■02-10:安達ヶ原の鬼


【本文】

 平安中期の和歌集『拾遺集』(しゅういしゅう)に、…陸奥国名

取の郡黒塚といふ所に、重之が妹あまたあり、ときゝていひつかは

しける…「陸奥(みちのく)の安達の原の黒塚に鬼こもれりときく

はまことか」という、三十六歌仙のひとり、平兼盛(たいらのかね

もり)の歌があります。安達ヶ原は、福島県二本松市安達ヶ原のこ

とで、鬼女の伝説地になっています。



 同地に建つ天台宗真弓山観世寺(まゆみさんかんぜじ)は、奈良

時代の神亀3年(726)、鬼婆を退治した那智東光坊の僧、祐慶阿闍

梨(ゆうけいあじゃり)の開基と伝えられています。



 観世寺の境内には、鬼女が住んでいたという岩屋がや出刃包丁を

洗ったという「血の池」があり、近くに鬼女の墓といわれる黒塚も

あります。また、鬼婆が使ったといわれる小刀や出刃包丁、土器な

どが寺宝として保存されています。



 そもそもここの鬼婆の名は「岩手」といいました。鬼になる前の

「岩手」は京都の公卿屋敷に奉公する乳母でした。ところが岩手が

可愛がっていた姫、環(たまき)の宮が、不治の病に侵されてしま

ったのです。占い師に見せたところ、占い師は「妊婦の生き肝を食

わせたら治る」とのこと。姫君の病を何としても治したい。



 岩手は、生まれたばかりの自分の娘を置いて、「妊婦の生き肝」

を探す旅に出たのでした。しかしながら、生き肝がそう簡単に手に

入るはずはありません。あちこち流れ流れて、いつしか陸奥安達ヶ

原にたどり着いたのでした。そして見つけた岩屋。「この岩屋を宿

にして妊婦を待とう」。岩手は生け贄を待ちました。



 そんな時、生駒之助・恋衣(こいぎぬ)という、若夫婦が宿を求

めてきたのでした。幼いころに生き別れた、妻の母を探して旅をし

ているということでした。妻は身ごもっていて、そろそろ産気づい

ています。男は薬をさがしに出かけました。



 「生肝を手に入れるのはいまだ」。岩手は用意してあった出刃包

丁で若妻、恋衣の腹を裂いて、京都の公卿の姫君のために、肝を抜

き取りました。苦しい息の下から恋衣は、「私は幼いころ分かれた

母親を探して、旅をつづけていたが、とうとう会えなかった」とい

い、息を引き取りました。



 岩手が、恋衣のお守り袋を開けて見てびっくり仰天。なんとお守

りは、岩手自身が京を出る時、娘に残したものだったのです。自ら

が生け贄にした妊婦は、ああ、わが娘だったのでした。あまりの出

来事に、岩手は打ちのめされ、発狂してしまいました。それからと

いうもの、岩手は旅人を襲っては生き血を吸い、人の肉を喰らう鬼

婆になりはててしまいました。



 それから数年後、紀州熊野の僧「阿闍梨祐慶東光坊」というエラ

イお坊さんが、全国行脚の途中安達ヶ原に寄り、岩手の住む庵に宿

を求めてきました。岩手はお客をもてなそうと、薪を取りに裏山に

行く時に、「決して閨(ねや)を見ないよう」にと念を押しました。



 見るなといえば見たくなるのが人情です。そっと寝屋をのぞいて

みると、中は人の死骸が積み重なって、まるで地獄のようなありさ

ま。さればこここそ世に聞く安達ケ原の鬼婆の棲み家であったかと

気づき、急いで逃げ出しました。



 約束を破られた老婆は、鬼の姿をあらわして追いかけてきます。

旅僧の祐慶は、笈(おい・修験者が背中に背負う箱)の中から如意

輪観音像を取り出して秘密の呪文を唱えると、観音像が天高く舞い

上がり、白真弓(白木のマユミで作った弓)で鬼婆を射ちとってし

まいました(『南奥の歴史と民俗』)。祐慶は、鬼婆を阿武隈川のほ

とりに手厚く葬りました。そこは「黒塚」と呼ばれるようになりま

した。



 なお、類話に、岩手が安達ヶ原の岩屋にたどり着いてからは、そ

こを住みかとして、旅人を泊まらせたり、糸をつむいで生計を立て

ながら、ひそかに妊婦の通るのを待っていました。



 また、妊婦の恋衣の腹を裂こうとした時、そこに生駒之助が帰っ

てきました。この様子を見て驚き悲しみ、夫婦ともども「三途の川」

を渡ろうと、自害して果てた(福島史跡ハイク)」ともいう話もあ

ります。



 なお、同じような黒塚伝説は、埼玉県のさいたま市黒塚山大黒院

にもあって、安達ヶ原と内容が同じですが、僧を宥慶、場所を武州

足立ヶ原としています。




▼安達ケ原【データ】
【所在地】
・福島県二本松市安達ヶ原4-126。JR東北本線二本松駅の東北2.
7キロ。JR東北本線二本松駅からバスで15分、さらに歩いて5
分で安達ヶ原、天台宗真弓山観世寺黒塚。
【位置】
・観世寺黒塚:北緯37度35分41.22秒、東経140度27分49.1秒
【地図】
・2万5千分1地形図名:二本松


▼【参考文献】
・『拾遺和歌集(しゅうい)』(巻第九雑下)(和歌文学大系・32)増
田繁夫著(明治書院)2003年(平成15)
・『世界大百科事典8』(平凡社)1972年(昭和47)
・『日本鬼総覧』(歴史読本特別増刊)(新人物往来社)1995年(平
成7)
・『日本大百科全書・1』(小学館)1984年(昭和59)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成2)
・『日本伝説大系3・南奥羽・越後』(山形・福島・新潟)大迫徳
行ほか(みずうみ書房)1982年(昭和57)

 

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