『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第2章 東北の山々

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■02-06:湯殿山・語るなかれ、聞くなかれ

【略文】
湯殿山は、月山、羽黒山とともに「出羽三山」のひとつです。湯
殿山のご神体は仙人沢上流の赤褐色の温泉沈殿物が積もってうろ
こ状になった巨岩からわき出る温泉そのものという。この山は秘
密を守ることが入山者の義務、「語るな、聞くな」と、人に語って
はならない秘所という。ご神体がない山頂への登山道はないという。
・山形県鶴岡市。

■02-06:湯殿山・語るなかれ、聞くなかれ


【本文】

湯殿山は、月山、羽黒山とともに「出羽三山」のひとつです。羽

黒山の観音、月山の弥陀、湯殿の大日如来。ここはいま「出羽三山」

の奥の院になっています。湯殿山は、月山火山帯の南西にある溶

岩円頂丘で、火山体は湯殿山、北側の薬師岳、北西側の仙人岳の

3つの山で三角形になっています。



この湯殿山の別当寺(神社の経営管理を行った寺)には、大日坊

・注連寺(ちゅうれんじ)・本道寺・大日寺というお寺があります。

この四ヶ寺には、即身成仏を目指す行人たちがいて五穀断ち、十穀

断ちを行っていたそうです。いまも大網口の大日坊には真如海上人、

七五三掛(しめがけ)の注連寺には鉄門海(てつもんかい)上人な

どのミイラ仏が安置されているそうです。



さて湯殿山道路わきから薬師岳、仙人岳の間を湯殿山に突き上げ

る仙人沢があります。その上流には赤褐色の温泉沈殿物が積もっ

てうろこ状になった巨岩からわき出る温泉があります。そこが湯殿

山のご神体、つまり温度50度Cのその温泉そのものがご神体だそ

うです。



この山は秘密を守ることが入山者の義務、いまでもご神体の巨岩

の周囲は撮影禁止で、参詣の際ははだしになります。そして、そ

こは「語るな、聞くな」と、人に語ってはならない秘所としていさ

められてきたところ。松尾芭蕉の『奥の細道』にも、「…総じてこ

の山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よって筆を

とどめて記さず」とし、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」と詠んで

いるほどです。



湯殿山そのものにまつられているのは、本地仏(ほんじぶつ・神

になっている本当の姿の仏)が大日如来、垂迹神(すいじゃく・

仏が仮に神の姿をとっていること)が大山祇命(おおやまずみの

みこと)とされ、大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(す

くなひこなのみこと)を合祀しているという。



山ろくに湯殿山神社があります。しかし、湯殿山の山ろくではな

く、北側の薬師岳の山ろくになっています。そして仙人沢祈祷所

の位置は、北西側の仙人岳山ろく。湯殿山神社は、五穀豊穣・家

内安全の守り神になっていますが、ご神体のそばに社殿を持ってい

ません。



ご神体が山頂ではないため、そこには用がありあせん。当然、山

頂への登山道はないという。しかし、山をやるものにとって山頂

が気にかかります。そこで登った人の話を聞くと、山頂は薮に囲

まれた丘状の高まりだというのです。どーやらただの薮の中らし

い。



湯殿山は「出羽三山」のひとつといっても、昔は単独に信仰され

ていたようです。古くは月山、羽黒山、鳥海山(または葉山)が

セットになっていたというから、湯殿山ははずれていたのですね。

それは湯殿山へは羽黒山、月山を経由せず直接参詣できたからだ

という。



ここには、大網口・注連掛口(しめかけぐち)・本道寺口・大井沢

口と4つの登山道があり、前にも書きましたが、それぞれに大日

坊・注連寺(ちゅうれんじ)・本道寺・大日寺というお寺があって、

広い信仰圏を持っていたそうです。



山の開山伝説にしても羽黒山側の話と違っています。羽黒山側の

伝説では、第32代崇峻(すしゅん)天皇(『日本書紀』での計算

だと587年即位)の子、蜂子皇子(はちこのみこ)(=能除(のう

じょ)太子)が3本足のカラスに先導されて羽黒山に登ってこの

山を開き、ついで月山、湯殿山を開いたということになっています

(『羽黒月山湯殿三山雅集』)。



ところが湯殿山側の記録や伝承では、すべて弘法大師空海が開山し

たことになっているのです。ちょっと長くなりますが、たとえば、

湯殿山表口のひとつ、大網口にある大日坊の縁起書によれば、「延

暦23年(804・平安時代初頭)、弘法大師空海は密教の秘法を求め

て入唐し、五台山に登り文殊大師に逢った。文殊大師がいうには、

日本の東北の方に大権現鎮座の霊窟、法身の大日如来の浄嶺がある

故、尋ねるようにとのことであった。



大師は帰国後、この霊地を求めて国中を巡錫(じゅんしゃく)し、

ついに出羽国田川郡に至った。ここで大きな川に行き当たったが、

この川に大日五字の真言が流れてくるのをみて、この川上こそわが

求める霊地であろうと、いよいよ勇んで歩を進めた。(五字の真言

が流れてきたので、この川を大梵字川という)。まず櫛引川に沿っ

てさかのぼったが、両岸ところどころに石窟があり、弘法大師空海

はこのひとつに入って夜を送った。



夜中、地蔵菩薩があらわれ、「仏法興隆の霊地を救い給え」という。

大師はこの言葉に従って大網邑(むら)に至って清浄の霊地をご覧

になって、天長地久天下安穏のため一宇の伽藍を建立し、湯殿山表

口別当(神社の経営管理を行う)滝水寺金剛院大日坊と号した」と

いう内容です。



また、注連掛(しめかけ)口注連寺(ちゅうれんじ)の縁起書には、

「弘法大師が湯殿山権現の霊地を訪ねて、赤川を遡り落合まで来る

と、川が二つに分かれ、いずれの方をえらぶべきか、わからなくな

ってしまった。大師は困り果てて、川岸の岩窟に入って日夜仏に祈

りをささげた。この近くを通る村人は、大師の籠もりを不思議に思

い、声を細めて歩いたので、この岩屋を「細声の岩屋」と呼ぶよう

になった。



大師の祈りが通じたのか、ある日、天上から霊妙な音楽が聞こえ、

諸天歓喜して、白犬に変じて大師を導いた。大師がそのあとを追う

と、艮(うしとら)の方向に霊光が輝き、八苦輪川にアビラウンケ

ン(大日如来に祈るときに唱える言葉)の五梵字があらわれた。こ

の地を、いまも「見付野」と呼ぶのは、この故である。



八苦輪川の難所を越え、御前川に入って三里行くと、二つの大きな

岩石があった。対面石といって一つは大師が座し、もう1つは権現

が座した岩である。大師がここまで来ると突然全山鳴動し、氷雹が

降り出し、あたりが真っ暗になった。大師は右の岩に座し、定印(じ

ょういん)を結ぶと、間もなく風雨がおさまり、四界は明るくなっ

た。



その時、岩の上に権現があらわれたが、それは八大金剛童子であっ

た。大師は、上火の作法軌則を授けられた。のち、その教えに従っ

て上火行を修したところが注連寺である」と記しています。



一方、同じく弘法大師の開山説ですがこんなのもあります。羽黒権

現の霊力が強調されており、湯殿山開山伝説をもとにして羽黒側が

つくり上げたものらしいという。「昔、出羽国に下り、梵字川のほ

とりを歩いていた弘法大師が、川に両部の真言が流れてくるのに気

がついた。大師はこの川上にこそ大日如来がおわすに違いないとて、

流れを遡り、湯殿の御宝前近くまで来たがにわかに火の雨が降って

きて、どうしても前に進むことが出来なかった。



そこで、大師は近くの岩窟に籠もり、十七日の祈りをこめた。満願

の日、ひとりの翁があらわれ、「権現を拝せんとせば、道を引き返

し、羽黒に参り修行を遂げよ」という。大師はこの教えのままに羽

黒山に入り、再び十七日の修行を終え、羽黒権現の導きにより、七

五三の注連を掛け、羽黒の常火を受けて、ついに湯殿権現に謁する

ことができた」としています。いかにも羽黒山の神を通さなければ

湯殿山の神のもとには行けないというようです。そんなに湯殿山と

張り合っていたのでしょうか。



もともと出羽三山は、真言宗だったそうです。江戸時代前期、「羽

黒山中興の祖」といわれた天宥法印が、羽黒山の第50代別当(神

社の経営管理を行う)となりました。そして三山を真言宗から天台

宗に統一しようとした時、山ろくの大網口大日坊、七五三(しめか

け)掛け口注連寺、本道寺口本道寺、大井沢口大日寺の四ヶ寺(真

言四ヶ寺)は猛反発。湯殿山の法流は真言と称して支配権を羽黒山

と争い、のち羽黒山と対抗して真言浄土信仰への傾斜を深めていっ

たという。



明治になってからは湯殿山から仏教色が消されはじめます。1868

年(明治元)に出された神仏分離令にもとづいて、明治3(1870)

年、酒田の民政局から出羽三山の神仏分離令が命ぜられます。羽黒

権現社は出羽神社と名前を変えさせられ、月山も月山神社に統一さ

せられました。多数くいた僧たちは復飾改名、ほとんどが神職にな

ったという。



1873年(明治6)、教部省は徹底した廃仏棄釈を行いました。1874

年(明治7)、最後まで抵抗を続けていた湯殿山も神社に変えられ、

羽黒山に三神社の社務所が置かれました。しかし宗教法人出羽三山

神社となったのは、ずっと後の1951年(昭和26)のことだという。

先の湯殿山真言四ヶ寺のうち、大日坊と注連寺はかろうじて残りま

したが、本道寺と大日寺は廃寺になってしまったということです。




▼湯殿山【データ】
【所在地】
・山形県鶴岡市(旧東田川郡朝日村)。JR羽越本線鶴岡駅からバ
ス湯殿山、終点より参拝バスに乗り換え終点、さらに歩いて5分で
湯殿山神社。山頂に参拝する形式をとらないため、山頂に至る登
路は存在しない(標高点・1500m)。
【位置】
・湯殿山頂:北緯38度32分1.44秒、東経139度59分3.23秒
【地図】
・2万5千分1地形図名:湯殿山



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典6・山形県』誉田慶恩ほか編(角川書店)1981
年(昭和56)
・『古代山岳信仰遺跡の研究』大和久震平著(名著出版)1990年(平
成2)
・『山岳宗教史研究叢書16』「修験道の伝承文化」五記重編 (名著
出版)1981年(昭和56)
・『修験道の本』(学研)1993年(平成5)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)。
・『日本の山1000』(山と渓谷社)1992年(平成4)
・『日本歴史地名大系6・山形県の地名』(平凡社)1990年(平成2)
・『羽黒月山湯殿三山雅集』(野衲東水選)宝永7年(1710)成立
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年
(平成16)

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