『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第2章 東北の山々

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■02-04:鳥海山の手長足長鬼

【概略】
鳥海山には手長・足長という怪物がいて、ふもとの街道を通る旅人
をよく襲ったという。鳥海山の神は、3本足のカラスをつかわし、
ウヤ(鬼がいるから注意の時)、ムヤ(留守で安全)と鳴かせ、旅
人に合図をさせました。平安時代初めになり、慈覚大師がやってき
て手長足長を退治したという伝説があります。
・山形県遊佐町

■02-04:鳥海山の手長足長鬼


【本文】

 裾野が日本海にのびる鳥海山(ちょうかいさん・2236m)は東北の名

山とうたわれます。山形、秋田側ふもとにはこんな伝説があります。昔々、

鳥海山には「手長・足長」という怪物(鬼・悪魔)がすんでいたという。



 「手長足長」は街道を通りかかる人間を捕まえては食べたり、里に現れ

ては田畑を荒らしていました。鳥海山の神・大物忌(おおものいみ)神は

これを見て、3本足の霊鳥(カラス)をつかわしました。(3本足のカラスは

和歌山県熊野本宮のお使いと同じですね。)



 そして山に鬼がいて危ないときは「ウヤ」、鬼がいなくて安全なときは

「ムヤ」と鳴かせたという。そこで里人は鳥海山のふもとの街道を通るに

は、カラスが「ムヤ」と鳴く日まで待ってから歩いたという。このことから山

形・秋田県境の三崎山の関を、「有耶無耶の関」というのだという。



 ここは、鳥海山から流れ出た溶岩流が海側に突き出た場所。その上、

海側から浸食をうけ、馬も通れないほどの地形で交通の難所だったとい

われています。



 平安時代初めのころ、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん・伝教大師

最澄の弟子から第3代天台座主(ざす)になった)が、手長足長退治の

ため山形県吹浦に大護摩壇をつくって火散の修法を行いました。



 21日目(山形側では100日目だという)になり、大地がゆれて大音響と

ともに鳥海山が破れると、怪物の手長足長は山の頂とともに吹き飛びまし

た(秋田県側ではあわてふためく手長足長めがけて、慈覚大師が村人を

連れて山に登り火をかけて退治したことになっています)。



 この時、悪魔の尾が落ちてきたところが尾落伏(いまの落伏地区)にな

り、吹き飛んだ鳥海山の頂きは、日本海に落ちて飛島になったということ

です。



 一方、有耶無耶(うやむや)の関は、蝦夷の侵入を防ぐために9世紀頃

に築かれたという説もあります。いまの有耶無耶の関址の場所は、山形

県遊佐町側になっていますが、本当は山形、秋田の県境の三崎峠だっ

たとするほかに、国道286号線が通っている笹谷峠(宮城県と山形県の

県境)付近だとする説もあるという。



 「武士(もののふ)の 出(いつ)さ入(い)るさに 枝折(しをり)する 

とやとやとほりの むやむやの関」という歌も詠まれています。




▼有耶無耶の関跡【データ】
【所在地】
・山形県飽海郡遊佐町。JR羽越本線吹浦駅から車で10分で有耶無耶
の関。地形図上には地名と建物記号のみ記載。有耶無耶の関址より北
方向直線約274mに三崎公園(三等三角点・58.7m)がある。
【位置】
・有耶無耶の関址:北緯39度06分57.07秒、東経139度52分17秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「小砂川(酒田)」

▼【参考】
・『日本伝説大系2・中奥羽編』(岩手・秋田・宮城)野村純一編(みずうみ
書房)1985年(昭和60)

 

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