『新・山の神々いらすと紀行』
画と文・とよだ 時

第2章 東北の山々

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■01:八甲田山

【略文】
「雪中行軍」の悲劇で有名になった八甲田山。8つの峰と、高層湿
原、池塘を「神の田」、「耕田」、「高田」から八甲田、甲(かぶと)
などの説。東岳と八甲田山が山争いで八甲田は東岳の首をはねまし
た。首は西に飛んで行き、岩木山の肩のコブになった。それで東岳
の山頂が平らだという。
・青森県青森市(八甲田大岳)。

■02-01:八甲田山


【本文】

青森県の八甲田山といえば、明治35年(1902)の凍死者197名、「雪

中行軍」の悲劇が有名です。この事件を主題として、作家・新田

次郎が『八甲田山死の彷徨』を書きました。1977年(昭和52)に

はこれが映画化されます。そのテレビコマーシャルの「天は我ら

を見放した」は流行語にもなりました。



八甲田山は、十和田湖と青森市の中間にそびえる山塊の総称で、

北八甲田連峰と南八甲田連峰に分かれますが、普通八甲田山といえ

ば、北八甲田山群をさすという。北八甲田は、主峰の大岳(1584

m・酢ヶ湯大岳・八甲田大岳とも。1等三角点がある)を中心に、

赤倉岳、井戸岳、田茂萢岳(たもやちだけ)、高田大岳などがあり

ます。また南八甲田には最高峰櫛ヶ岳(1517m)、乗鞍岳、駒ヶ岳、

猿倉岳などからなっています。



八甲田全体の最高峰は大岳。高田大岳と区別するために八甲田大

岳とも呼んでいます。その頂上南斜面には鏡池という池があり、

小型でかわいいクロサンショウウオが生息しています。西側山腹

には酸ヶ湯温泉があり、1929年(昭和4)創立された東北大学植

物園八甲田山分園もあります。大岳は、標高は1600mにも満たな

い山ですが「おお」は大形の山ということではなく、山容が立派

だという意味の美称なのだそうです。



古くは「耕田嶽」(1700年(元禄13)の『弘前藩日誌』)とか、「糠

壇(コウダン)の岳」(「津軽一統志」1731年(享保 16年)刊行)

と呼ばれ、その後、八耕田山とか八甲田山とか何回も変更され、

以前の観光案内書には八甲田山は、八つの甲(かぶと)のような

峰と湿原地帯に小さな田んぼのような無数の池があることからの

総称と説明されています。このようにいろいろな説があるようで

すが、8つの峰と、低地に発達する高層湿原、池塘を田とみなし

て「神の田」、「耕田」、「高田」から八甲田になったという。



また「八」は、萢(やち・谷地)で、湿原をさす言葉だとするも

のもあります。中には、「八」の峰を具体的に挙げ、「山踉(さん

ろう)豊大にして(中略)山峰八に別る。前岳高倉岳こほれ岳井

戸岳釜伏山小川の大嶽砂岳と云(中略)甲田又高田に作る。八耕

田とは八峰あるよりの名なる」(明治初年の『新撰陸奥国誌』)と

記す文書もあります。しかし、一峰足らないようですが、ま、そ

れはそれでまいりましょう。



この山は金山伝説もあるようです。江戸時代後期の旅行家で博物

学者の菅江真澄(すがえますみ)は、『万葉集』巻18にある大伴家

持(やかもち)の長歌「陸奥国より金(くがね)を出(いだ)せ

る詔書を賀(ことほ)ぐ歌」のなかの、「鶏(とり)が鳴く東(あ

ずま)の国の小田(おだ)なる山に金(くがね)ありと……」の

歌の、小田なる山とは八甲田のことではないかと思ったという。



菅江真澄は1796年(寛政8・江戸時代後期)に、八甲田山に登り

『菅江真澄遊覧記』(すみかの山)を発刊しましたが、これは真澄

のひとりよがりだったようだというのが一般的な見方です。しか

し、江戸後期、1786(天明6)年の『津軽俗説選』(工藤白竜(工

藤常政)著)には「八耕田(甲岳)むかしは金山なり。今も金を

分けし道具、麓の村里に所持せしものありといへり」とあります。

また菅江真澄が登った時にも、鉱石粉砕用の金研臼があちこちに

転がっていたというから、あながち思い違いでもないのかも知れ

ません。



この山は一部の人の関所抜けのルートでもあったようです。同じ

く天明年間(1781〜89)、当地を旅行した橘南谿(たちばななんけ

い・江戸時代後期の医者)は、その著書『東遊記』に「津軽領の

青森といふ処の南に当りて、甲田山といへる高山あり、其峯参差

として指を立てるがごとくなれば、土俗八ツ甲田といふ。叡山愛

宕杯(など)のごとき三ツも五ツも重ね上げたるがごとき高山な

り。



津軽領の人勇気たくましき者、又は罪を得てすがたをかくす時杯

(など)、津軽の関所南部の関所とも抜んとするに、極月より二月

三月の頃までは、此甲田山の絶頂をさして雪の上を真一文字に登

り磁石を立て、南部地は東南の方と志し、其方角のあたる方をさ

して、真っ直にすべり落る事なりとぞ。常なみの本道を廻り行時

は、五十里七十里或は百里にも余る処を、纔(わずか)に一日二

日の間に行著(いきつく)なり」と出ています。



八甲田山にはこんな伝説もあります。青森市街から見ると、東方

向に東岳(あずまだけ・標高684m)が、南東方向に八甲田山が、

また南西方向に岩木山が眺められます。見ると東岳の頂上が平ら

で兜状になっています。そんなことから昔、東岳と八甲田山が山

争いをしました。八甲田は東岳の首をはねました。東岳の首は西

の方向に飛んで行き、岩木山の肩にめりこみ、コブになってしま

いました。そんなことから東岳の山頂が平らなのだそうです。ま

た、八甲田山と岩木山が喧嘩をしました。そのとばっちりを受け

た東岳は、首を飛ばされて雲谷峠になったという伝説もあります。



八甲田山にも雪形が出ます。先述の菅江真澄も『東遊記』(すみか

の山)の日記の関係部分に「この峰に種蒔老翁、蟹このはさみ、

牛の頭、などという春の残雪が見える。雪もやや消えてゆき、苗代

を蒔くころになると、山にたねまきおっこ、といって残雪が人の立

っている姿に見え、そしてかにこのはさみに見えるころ田をかきな

らし、うしのくびに見えるころ、早苗をとって植える。農耕のそれ

ぞれの季節に、残雪がそれぞれのかたちであらわれる。そして雪は

六月のなかばに、すっかり消えてゆく。このようなことは岩木山の

場合も同じである。」と書いています。



ここもチングルマ、ハクサンシャクナゲ、ミネザクラ、チシマザ

クラ、マルバシモツケ、ゴゼンタチバナ、ウサギギク、ミヤマオ

ダマキ、シナノキンバイなどの高山植物が登山者を楽しませてく

れます。また、北八甲田連峰には高層湿原ならではの貴重なトン

ボもが多く生息しています。顔が白いカオジロトンボ、るり色で

美しいルリイトトンボほか、オオルリボシヤンマなども見られま

す。深田久弥選定「日本百名山」、岩崎元郎選定「新日本百名山」、

田中澄江選定「新・花の百名山」のひとつになっています。




▼八甲田山(八甲田大岳)【データ】
【所在地】
・青森県青森市。東北本線青森駅の南東22キロ。・JR東北本線青
森駅から市営バス、1時間15分で八甲田ロープウエイ駅。ロープウ
エイ山頂公園駅から2時間半で大岳。一等三角点(1584.50m)と
がある。

【名山】
・「日本百名山」(深田久弥選定):第11番選定(日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる)
・「新日本百名山」(岩崎元郎選定):第09番選定
・「新・花の百名山」(田中澄江選定・1995年):・第18選定

【位置】
・【大岳1等三角点1584.5m】北緯40度39分32秒.0647、東経140
度52分38秒.0936

【地図】
・旧2万5千分1地形図名:八甲田山

【参考文献】
・『角川日本地名大辞典2・青森県』竹内理三ほか編(角川書店)1991
年(平成3)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山名事典』徳。久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『名山の日本史」高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年
(平成16)
・『山の紋章・雪形』田淵行男著(学習研究社)1981年(昭和56)

 

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