CD-R「新・ふるさと歳時記」 【8月】

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 ▼この章のもくじ
 ・葉月(はづき) ・八朔 ・八朔びな ・農村の七夕 ・田の面祭り
 ・釜蓋ついたち ・土用波 ・立秋 ・盆(旧盆) ・盆棚
 ・迎え火 ・灯ろう流し ・精霊流し ・盆踊り
 ・川施餓鬼 ・残暑 ・かかし ・処暑

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■葉月(はづき)

 はづき(葉月)はもともと旧暦の8月のことですが、いまの暦で
も通用しています。8月に生まれた子供に「はづき」という名前を
つける人もいます。

 葉月の意味は、賀茂真淵(かものまぶち)の『語意考』や新井白
石の『東雅』という本によれば、8月は稲穂が出る月なので、稲の
「穂発(ほはり)月」がなまって「はづき」になったとする説、ま
た『大言海』の稲穂の「発月(はりつき)」説があります。

 かつての稲作はこの時期が豊作か否かを決める大切なとき、月の
名前につけるのももっともなことです。

 葉月の由来についてはそのほか葉っぱに関連したものに、木の葉
が紅葉して落ちる月という「葉落ち月」が「はづき」に転化したも
のだという説(『奥義抄・おうぎしょう』(藤原清輔著)や『和訓栞』
(谷川士清・たにがわことすが))。

 「葉月とは、この月や粛殺の気生じ、百卉葉を落とす。ゆえに葉
落月という。今略して葉月と称す」と出てている(『年浪草』似雲)
もあります。

 また変わった説に、雁が初めて渡来する月なので「初来(はつき)
月」だとする説(『類聚名物考・るいじゅうめいぶつこう』)という
のもあります。

 『新編日本古語辞典』(松岡静雄著)のように、このころは南か
ら台風が多くやって来る月なので、「南風(はえ)月の転化。南方
より吹く颶風(ぐふう・台風のこと)の多き月の謂であろう。紀に
この訓を施した一例あり」と書く本もあります。旧暦の8月はいま
の暦より1ヶ月以上も遅く、秋も盛りに入るころです。

 旧暦8月の行事には八朔(はっさく)がありました。かつては旧
暦8月朔日には、はしりの穀物を収穫し、恩人や目上の人に贈る習
慣があったといいます。

 当時、実際には収穫は早すぎますが、その方がかえって珍重され
るため、争って出来立ての稲穂の一部を進呈するのが誠意のあかし
だったのだそうです。

 八朔には初穂を神に供える近畿地方や山陰地方の「穂懸(か)け」
行事や九州地方の「作頼み」、関東地方の八朔人形などの行事があ
ったそうですが、早場米、農作業の機械化などで、いまではほとん
どが行われなくなっています。

 いまの暦でもこのころの農家は、稲作の病害虫防除やあぜ道の草
刈り、早いところでは収穫、また寒地ではヒエや雑草の混ざり穂抜
きに忙しく働きます。(01)

 

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▼八朔(はっさく)

 旧暦8月1日や9月1日あたりに、稲作の実りを祈願する「八朔
(はっさく)」の行事が行う地方があります。八朔の行事は、陰暦
8月1日に行われる「八朔の祝い」がもとになっているもの。

 その起源は鎌倉時代の建長年間(1249〜1256)だとされています
がはっきりしません。天正18(1590)年、徳川家康が江戸城に入る
とき、縁起をかついでこの祝いの日を選んだことから、以後、八朔
は五節供の一つとして公式な祝日にしたという。

 農村では、八朔を「たのもの節供」や「たのも祭り」、「田の実の
節供」ともいいます。「たのも」は「頼む」の意味で、稲の実りを
祈願する「作たのみ」の日でした。

 それには農家が個々で行うものと、むらの行事として神社が祭り
として行うものがあります。またもうひとつ「たのも」の意味は、
日ごろ世話になっている人(つまり頼みとしている人)とのつなが
りをさらに強くするため、挨拶に行き、贈り物をする意味があるそ
うです。

 この八朔の行事は、東日本より西日本が盛んだったようで、いま
でもわずかに残っているようです。またこの日を盆の終わりとして
八朔盆ともいっているところもあります。

 「八朔」には、(当時は)稲刈りにはまだ早いが、未熟の稲を神
に供え、作頼みをしたという。大分県や熊本県のように家の主人が
田や畑を見回り「頼みます、頼みます」といいながら歩いたり、近
畿や山陰のように、個々の家で稲の初穂を神に供える穂掛け行事を
行う地方もあったそうです。

 この日、人形をつくる所も多かったそうです。瀬戸内地方ではワ
ラ人形をつくり、三重県ではウリを顔にして紙などの着物を着せた
人形に、酒や赤飯を供えて祝ったそうです。和歌山県では、八朔に
踊る八朔踊りというものがあるという。

 熊本県では、ナスに足をつけた馬をつくり、海や川に流す風習が
あったそうです。和歌山県では、八朔につく餅を苦餅(にがもち)
といっています。これはこの日から夜なべ仕事がはじまるからだと
いう。(02)

 

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▼八朔びな

 八朔は、「たのみの節供」と呼ばれ、田の実の節供とか頼みの節
供と書かれ、稲の実りを神に祈願する「作たのみ」の行事です。か
つての農業技術では、このころはまだ稲刈りには早い時期でしたが、
未熟の稲を刈り取って、神に供えたりしたそうです。

 その八朔の行事に飾るひな(八朔びな)を「たのも人形」とか「八
朔人形」と呼んでいます。京都や三重県には、ウリを顔に見立て目
や鼻を描いて、人形をつくる風習があったといいます。これは、も
ともとは祓(はら)えの道具として、人間のけがれを人形に託して
川などに流したものだそうです。

 ウリで人形をつくることは、古い時代からあったようで、あの『枕
草子』にも「美しきもの、ウリにかきたる児(ちご)の顔」と出て
きます。このころ、ウリで人形を作ることは子どもの遊びだったも
のが、いつしか八朔の行事に結びついていったのだという。

 このように目鼻を描いたウリに、木や竹で胴体をつくり、さらに
紙、布で着物を着せてひな人形のように飾り、酒や赤飯を供えて祝
う地方も近年まであったそうです。

 また瀬戸内海に面した地方や、関東地方・栃木県では、八朔びな
を、はじめて子どもの生まれた家などに贈る習わしがあったそうで
す。

 熊本県では、ナスに足をつけた「花馬」というものをつくり、田
の神が乗って帰るといい、これを海や川に流す風習があるそうです。
(03)

 

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▼農村の七夕

 いまでは七夕祭りをするのは幼稚園くらいになってしまいました
が、かつては家々でサトイモの葉っぱの露で墨をすり、願い事を書
いて笹竹に飾ったものでした。この七夕に短冊は切っても切れない
ものと思っていたら、ナントこれは近世手習い教授の普及の産物だ
とモノの本に出ていました。

 牽牛星と織女星が天の川で向い合うという伝説は古く中国の「詩
経」にあり、後漢時代(2世紀)にはこの星が恋人になり、六朝(り
くちょう)時代(3世紀)になると「年1度逢瀬を楽しむ」と発展。
これが乞巧奠(きっこうてん)という行事になって日本に伝わりま
す。

 一方、日本には我が国在来の棚機つ女(たなばたつめ)とう信仰
がありました。棚機つ女(乙棚機とも)は、タナ(懸け造り)に設
けられた機を依代(よりしろ)として降臨する神に侍す聖なる乙女
だといいます。棚機つ女は、人里離れた水辺の機屋に籠もり、神を
迎え、祭って一夜を共に過ごします。翌日、神が帰るのを送るに際
して、村人はみそぎをしたり、身の穢れを神に託して持ち帰っても
らう行事だったそうです。

 いまの七夕は、その日本古来の棚機つ女の行事と中国からの乞巧
奠(きっこうてん)が習合したものだといいます。この夜わずかで
も雨が降れば、牽牛と織女は会うことが出来ないとする都会風の考
え方(中国流)に対して、雨が3つぶでも降らないと(少しでも降
らないと)、七夕さまが天の川を渡って会ってしまい、疾病神の子
どもが生まれるから困るとする農村の考え方があります。これは祓
いの行事としてのなごりだという。

 七夕は有名な祭りは別として、もともと翌朝、神に罪やけがれを
持ち帰ってもらう行事。この日は子どもたちは水浴びをしたり、女
性は髪を洗い、井戸をさらって清めるという風習が最近まで各地に
あったそうです。また各地にマコモやわらで七夕馬や牛をつくる風
習があり、草刈に連れていったり赤飯を供えたりします。

 この馬に田の神が乗って田巡りをするという地方もあり、七夕さ
まは農神だとの信仰もあります。このように七夕祭りのやり方は、
地方によりさまざまです。中国からの乞巧奠と棚機つ女の行事が習
合したとはいっても、ともあれ牽牛と織女の出会いは、農作物の受
粉期であるこの時期、生産に結びつかせる豊作の願いをこめたもの
であります。
(04)

 

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▼田面祭り

 田面(たのも)祭りは、旧暦の八月朔日の行われる八朔の祝いで
す。田面の節句ともいい、憑(たのも)、田面、田実(たのみ)な
どの字も使っています。この八朔の祝いには二つの性格があるとい
う。

一つは作頼みの意味で、稲の実りを祈願する「たのみ」の日であり、
もうひとつはいつも世話になっているいる人、つまり「頼む」とこ
ろの人とのつながりをさらに強くするために挨拶にいき、贈り物を
することだといいます。

 田の面祭りは神社で行う例祭が多いが、そもそもは各家での個々
の行事を神社で集約して祭典として行うものだそうです。各戸での
行事は、稲刈りにはまだ早いが、未熟の稲を神に供え、家の主人が
田や畑を見回り「頼みます、頼みます」といいながら歩くところ(大
分県、熊本県)や近畿、山陰のように稲の初穂を神に供える行事・
穂掛けを行う地方もあります。

 八朔の田の面祭りは、本来、全国的な農家の行事だそうで、所に
よっては八朔の祝い、田の実の節句、頼みの節句、姫瓜の節句など
とも呼んでいます。

 神社で行われる例祭には(いまは9月1日に行うところが多い)、
山形県東田川郡三山神社の田の面祭り、栃木県芳賀郡市貝町日枝神
社、長野県東筑摩郡の小野神社のタノモ祭りなどが有名です。

 千葉県の安房神社では初潮祭、茨城県大洗磯前神社や、栃木県大
平山神社、京都の松尾神社では八朔祭などとも呼んでいます。

 大阪堺市甲斐町三村明神(9月13日)の田面神事八朔の祭りで農
家から稲の初穂が献上されます。

 祭りには穂焼き祭という神事があり、これももとは未熟な米を焼
いて食べて、初穂の祝いとした農家の行事を神社が祭典に取り入れ
たものといいます。

 また祭りの日には田面人形といって、米の粉で人形や動物の形を
作るところもあるそうです。広島県尾道市でつくられる郷土玩具に
「田面船」があります。この船は昔、尾道から米を積み出した千石
船をかたどり、ひしゃく製造業者がつくったのがもとだという。ひ
しゃくの材料にする薄板でつくった屋形船に紅白の色紙を幔幕に見
立てて張り、車を四つつけています。

 これを田の面祭りの日に初めて誕生日を迎える男の子に贈り、歩
けるようになると船に新粉でつくった田面人形を乗せて産土さまま
で引いていき、宮参りするそうです。(05)

 

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▼釜蓋ついたち

 8月は月遅れのお盆です。そして一日のことを「釜蓋ついたち」
とか「釜の蓋あき」「釜の口あき」などといいます。地獄の釜の蓋
がきょう開くというのです。

 お盆には地獄から亡霊が帰ってきますが、その道は非常に遠く、
ついたちごろ地獄から開放されなければお盆に間に合わなくなって
しまうだろうというわけです。

 この日にナス畑やイモ畑に行き、耳を地面につけると、地獄の釜
の蓋のあく音がするとか、精霊たちの出発する声が聞こえるなどと
いう地方もあります。

 精霊も地獄を出発したのだから、この世の人間も大事なお盆の支
度にとりかからねばならないと昔の人が考えたのでしょう。(06)

 

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▼土用波

 夏の土用(立秋前の18日間・毎年8月7日ころが立秋)を過ぎる
ころから、天気もよく風もないのに、沖の方から大きなうねりが押
し寄せてくることがあります。この高波を土用波といっています。

 岸に近づくにつれ、うねりが高くなり、海岸で砕けるため、海水
浴客が波にさらわれたりします。これは、遠方の海上を通過する台
風の暴雨風域から発生した高波が、台風そのものより速度が速いた
め、無風または弱い風の海岸にいち速く到達して海岸にうち寄せる
もの。

 土用波は、太平洋沿岸だけにおこる波で、うねる大きさは、海上
にある台風の大きさ、位置、進路、海岸の地形、深さによっても違
ってきます。この波は引くときの力が非常に強いのが特徴で、台風
が通ったあとも2,3日は波の高い日が続きます。(07)

 

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▼ 立 秋

 8月7日ころはもう立秋。秋がスックと立つのだという。農家は、
稲作田に実り肥の施用、病害虫防除、あぜ道の草刈り。暖地では早
期稲の種採りや収穫。寒地では種採り、ヒエなどの混ざり穂抜きな
どに忙しい。上がりっぱなしだった気温もこのころが峠。昔の人は、
雲の色や形、風の音などに微妙に秋の“気”を感じたのでしょう。
立秋は、「二十四節気」のひとつです。

 旧暦の太陰暦の1年は354日で太陽暦にくらべると、約11日も短
い。季節とのずれが大きくなり、暦の日にちでは季節の変わり方が
よくわかりません。

 そこで、古い時代中国で「二十四節気」(節)を案出しました。
1年を機械的に12の節月に分け、さらに前半、後半に分け24にし、
それぞれに季節にふさわしい名前をつけて、農作業などの目安にし
ました。

 この方法は、日本にも早くから輸入されましたが、天保14年に太
陽の黄道上の位置によって区分するなどして改良を加えました。そ
れによると立秋は太陽の黄経が135度になるのだそうです。

 「二十四節気」をさらに3つに分け、1年を72に区切る「七十二
候」では立秋のころは第37候(初候)、第38候(二候)、第38候(三
候)になります。

 日本の「宝暦暦」(カッコ内は高井蘭山ら本草学者による)の解
説はでは、第37候(初候)を「涼風至(りやうふういたる)」(涼風
至る)ころ、第38候(二候)を「寒蝉鳴(かんせんなく・ヒグラシ
またはツクツクボウシ)」(寒蝉鳴く)ころ、第39候(三候)を「蒙
霧升降(もうむしやうごう)」(盛んに霧昇降す)るころとしていま
す。

 また中国では、初候「涼風至」、二候「白露降」、三候を「寒蝉鳴」
としています。

 現代ではさらに国内で北日本・中部日本・西日本に分けていま
す。 北日本ではそれぞれ「モモ成熟」「ハギ開花」「コオロギ鳴始
め」。中部日本では「樹木下刈」「コオロギ鳴始め」「サルスベリ開
花」。西日本では「サルスベリ開花」「コオロギ鳴始め」「ハギ開花
始め」だとしています。(08)

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▼盆(旧盆)

 盆は盂蘭盆の略。梵語で倒懸(さかさがけ)ということではなは
だしい苦という意味だそうです。さかさつるしにされるような苦を
救うのが盂蘭盆会の供養なのだといいます。

 盆の中心は古来7月15日だが、太陽暦に変わってから新暦旧暦と
これに月おくれ、はては9月1日にする所までいろいろです。

 7日をナヌカボンといい、「7回水あびして7回うどんを食うと
世の中がよい」(青森県)といわれる盆のはじまる日だという。

 盆棚もさまざまで徳島県美馬、三好郡では米、塩、そうめんをそ
なえ、川の流れの中につくるのが正式なやり方とか。千葉県市川市
迎米や香取郡では供えものに使う野菜は、他人の畑から勝手にとっ
てよいという。

 13日は精霊迎え。墓場でオジイオブッチャラッシャイと背負うま
ねをして家に着くと「降リラッシャイ」とおろす所(群馬県片品村)
や山へお迎えに行き、何かの感じで祖霊が背に乗り移ったとして引
き返し、盆棚に迎え入れる所(福井県)もあります。

 こうして祖霊はめでたく盆棚にまつられ、うどん、赤飯を供えら
れる。そのうちはじまる盆踊り。「盆よ盆よと待つうちゃ盆だ盆が
過ぎたら何ょまちる」(長野県)と踊る。はや16日は送り盆。

 岩手県田野畑村では仏サマの杖に夏ソバの茎、履き物にクルミ、
乗って帰る舟だといってユリの根を供える。また精霊船に火をつけ、
海や川に流し、祭としている所が多いそうです。(09)

 

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▼ 盆 棚

 お盆にいなかへ行くと盆棚をつくってあるのを見かけます。これ
は正月の年棚と同じく祖霊を迎えるための祭壇なのだそうです。季
節の野菜をつり下げ、だんごやそうめん、果物を供えます。

 また、水の子といい、ナスやウリを細かくきざみ水鉢に入れて供
え、お墓まいりの時に持っていきます。

 盆だなはたいてい13日の朝つくりますが、新盆の家はどこでも早
くつくります。

 江戸時代の「守貞漫稿」という本にも、台のような棚を設け、マ
コモを敷いて前に垂らし、4隅に葉のついた青竹をたてて、上の方
をこも縄で結び、盆花やホオズキ、ヒョウタンなどをかけ、周囲に
青杉葉をめぐらせ、位牌を安置する、と出ています。
 盆棚は15日夕方、16日早朝に流す習慣があるようです。(10)

 

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▼迎え火

 盆に仏さまを迎える(しょうりょう精霊迎え)ため家の門口や辻
で麦殻などを焚きます。神や婚礼、葬式などにも焚くが普通、迎え
火といえば盆に焚くる門火をさしています。迎え火はご先祖様を足
元を照らすのだという。

 昔の人は、目に見えない神や仏でも、あかりなしでは夜道は歩け
ないものと考え、ひでりの神や虫送りの神を送るのにも火を焚きま
した。まして盆にご先祖様が、遠くからわざわざお出でになるのだ
から道案内の火を焚かねばならぬと考えたのも自然です。

 盆の迎え火や送り火を「このあかり」と呼び、なまって「コナガ
リ」という地方もあります。「盆さん盆さん、このあかりでござい
やあし」とか「おんじいな、おんばあな、べここうまこに乗って、
来とうらい、来とうらい」

 または、「おんじいおんばあ、これをあかりに、お茶飲みにおい
でなして下され」などと、子供たちが各地でそれぞれの唱えごとを
します。

 そしてご先祖様の足洗いのため水を汲んでおいたり、乗り物とし
てナスやキュウリの馬や牛をつくり、迎えるときには内側向きにし
て供えたりします。

 しかし本来この火は、仏さまの足元を照らすのではなく、荒々し
い霊魂を追い払うための火祭りが元になっているという。かつて行
われていた、村の定まった山や丘に登り、大きな火を焚いたり振り
回したりする盆行事などはその原型だったといい、唱えごとも昔は
おとなのまじめな作法であったそうです。(11)

 

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▼灯籠(とうろう)流し

 盆がおわった15日または16日に、仏さまの供え物を精霊(しょう
りょう)舟に満載し、灯火をつけて精霊を西方浄土に送る「精霊流
し」という行事があります。できるだけ丁重に行おうとし、精功な
舟を制作する傾向が生まれ、各地に観光行事として残っています。

 この精霊流しから変化したのが「灯ろう流し」。精霊送りの美し
さを灯火の数に求め、かえって灯ろうそのものはシンプルになり、
ローソクを板きれに立て、紙でまわりを覆うだけになりました。灯
ろう流しも精霊流しと同じように、近年は本来の意味からはずれ、
納涼の観光行事になって残っています。(12)

 

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▼精霊流し

 お盆の15日または16日に、供えたものや飾ったものを、川や海に
流して先祖の霊を送る精霊流し。送り方はさまざまで、供え物をた
だハスの葉やマコモのござにつつんで流すものから、麦わらなどで、
また50〜60人でかつぐ大型の精霊船まであり、観光化されている所
もあります。九州佐賀市や福岡県久留米市、長崎市、また秋田県横
手市などが有名です。

 精霊船はいろいろなものを満載し、灯火をつけて精霊を西方浄土
に送ろうとします。できるかぎり丁重に扱おうとするため、船のつ
くり方も念を入れるようになり、次第に豪華になり、行事も盛大に
なります。

 これに対して「灯ろう流し」という行事もあります。灯ろう流し
は、精霊流しの美しさを灯火の多さに求めたもの。そのためひとつ
ひとつの灯ろうは簡単なつくりになり、板切れにろうそくを立てた
だけのものや、まわりを紙でおおっただけのものなどが多く、やは
り長崎県佐世保市や島根県松江市、京都・宮津市などでは観光行事
になっています。(13)

 

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▼盆踊り

 夏休みも終わりに近づくころ、毎日のようにどこからか盆踊りの
太鼓の音が聞こえてきます。中心に建てられたヤグラは、盆棚と同
じ性格をもち、この世に帰ってくる精霊をまつる祭壇です。まつら
れた精霊はこの世の人たちや子孫などとともに楽しく踊ったあと、
あの世に帰ってもらいます。

 いまはヤグラのまわりを輪になって踊って慰める「輪踊り」が普
通です。しかしかつては「群行式」盆踊りがあって、踊り子たちが
行進して踊り込むことを踊りを掛けるといい、踊りを掛けられたら
踊りでお返しするのが定式だったという。

 群行式踊りは、普通は新盆の家々をまわったり、お寺や神社の庭
で踊ったりし、霊魂を踊りながら送ります。またいくつもの組が町
を練り歩き、疫病神を村境まで踊りながら追い払おうとするのも掛
け踊りのひとつ。有名な阿波踊りもこのひとつで、これはもと幕末
ごろ大阪の祭礼に行われたものが、徳島に定着、大阪の方は次第に
すたれてしまったということです。

 輪踊りは古くは風流式の花笠をめぐって踊っていたのがヤグラを
組み太鼓や音頭取りがその上に乗るようになったものという。花笠
には神が降臨する信仰があったらしい。また空也や一遍がはじめた
とする踊躍念仏から発展した念仏踊り系統のものもあるそうです。
(14)

 

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▼川施餓鬼

 川施餓鬼(かわせがき)は川で亡くなった人たちの霊をとむらう
ために行う施餓鬼供養です。供養はお盆に行うことが多く、川辺で
や舟施餓鬼といい、数艘の舟を川にこぎ出して供養したりします。

 以前は塔婆(とうば)を水中にし立てたり、経木(きょうぎ)、
紙片に法名を書き川に流したりしたそうです。施餓鬼は、飢えに苦
しむ者に食べものを施し、福徳のもとを植えようとするインドの思
想とか。これが中国に伝わり、日本へは空海が経典類とともにもた
らし、真言宗で広まったのち次第にほかの宗派にも普及しましたが
浄土真宗だけは行わないという。

 また水施餓鬼というのがありますがこれはお産で亡くなった産婦
のための供養だそうです。
(15)

 

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▼ 残 暑

 1年中で一番暑い夏の土用の期間を「暑中」というのだそうです。
「小暑」から13日目は土用の入り。以後、立秋までの18日間は暑中
ということで、おなじみの「暑中見舞い」のはがきを出します。

 それが、立秋を過ぎれば残暑になるわけですが、なにもお日さま
が立秋の日を知っていて「きょうから残暑だゾー」というわけでな
く、人間が勝手に決めたこと。

 そもそもこの立秋、中国暦からきています。中国の暦法では立秋
から立冬までを秋としているため、日本でも立秋すぎれば「残りの
暑さ」ということにしています。

 しかし、中国で秋といっても日本の秋の観念とは大違い。立秋と
いってもピンときません。残りの暑さどころか、どうしてどうして
猛暑なのであります。

 たとえば東京の7月の平均気温は25,1どですが、8月は26,4度。
1,3度も8月の方が高いのです。また、不快指数も80以上の日が7
月は8日ですが、8月は17日もあり、本当は8月の方が「暑中」な
のであります。(16)

 

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▼かかし

 黄金色に実った田んぼにかかしが立っています。まさに田園の風
物詩です。しかしいまは壊れたマネキンだったり、風にゆられて動
く装置やブリキ、銀紙、ハトをおどす大きな目ン玉の風船などにな
っています。それでもコンクールなど開く地方もありまだまだかか
しは健在です。日本では漢字で「案山子」、中国では「老鴉」「偶人」
「藁人」と書きます。

 カカシは、鳥や鹿などの獣を脅して作物を守るという意味の「鹿
驚(かがせ)」からきているという説もあります。また古わらじ、
毛髪、ボロ布、肉などを焼いて、悪臭を出して鳥類を追い払う「嗅
(か)がせ」だとの説もあります。「嗅がせ」は昔、節分に炉の中
にネギやニラ、生葉、イワシの頭など悪臭を放つものを焼き、鬼や
疫病神、魔を追い払おうとする「焼いかがし」という行事が「カカ
シ」の語源だといいます。

 カカシは大きく三つの種類に分けられるという。稲田にに注連縄
(しめなわ)をはって、竹やわらで神の依代の人形を作ったり、神
社のお札を立てるもの。しめ、そめなどともいいます。それから、
悪臭で鳥や獣を追い払おうとするもの(嗅がせ)。そして色や形、
音などで鳥獣をおどすもの(鹿驚)の三つです。

 かかしはまた神だという。天気のよいのにみの笠つけて、山田の
中でただ立っているだけと思ったら、本来は単に鳥獣害を防ぐだけ
ではなく、悪霊から作物を守る神さま。みのや笠をつけることは、
他の世界から訪れる神や異人をあらわしているのだそうです。

 群馬県では、小正月にヌルデで作った「かかし神」を神棚に供え
たり、長野県では「カカシアゲ」といい、旧暦10月10日、田んぼか
らカカシを持ってきて庭に祭ったりします。またもちをついて、長
いダイコンをカカシ様の箸(はし)といって一緒に供える所もあり
ます。カカシを田の神の代表としているのです。

 カカシは、あの『古事記』にも久延毘古(ルビ・くえひこ)の名
で出て来ますし、石川県鹿島町久江には、カカシの神・久延毘古を
祭神とするかかしの神社もあります。(17)

 

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▼ 処 暑

 毎年8月23日あたりは処暑(しょしょ)です。処暑(9月7日く
らいまで)は、「二十四節気(にじゅうしせっき)」のひとつ。

 二十四節気は1年を24に割り、それぞれにその季節にふさわしい
名前をつけたもの。立春、雨水、啓蟄、春分………冬至、小寒、大
寒とつづき、かつて季節の移り変わりを知る手段に使っていました。

 処暑は、立春から14番め、立秋から15日めにあたります。太陽の
黄経が150度になった時をいうそうです。

 処暑は、江戸時代の「暦便覧」という本には「陽気とどまりて、
初めて退きやまんとすればなり」と解説しています。処という字に
は、「とまる」とか「とどまる」という意味があるそうで、処暑は、
「暑さ」が「処(とどまる)」意味だという。

 そろそろ、涼風が吹きはじめる気配がし、暑さもなんとなくおさ
まるころ。

綿の花が咲き、天も地もやっと暑さが衰えるころ。また「禾乃登る
(かすなわちみのる)」と解説されています。「禾」はのげのある作
物、すなわち稲のことで、田んぼ一面、稲が実りはじめて金色に輝
き、収穫も間近なころとされています。

 現代の解釈では、「西日本」では、台風の季節に入り、秋野菜の
タネ蒔き、果樹が芽を接ぐころ。

 「北日本」では、ススキが出穂し、秋植え球根の植え付け、豚が
分娩するころ。中部日本では、台風の季節に入り、ハギが開花しは
じめ、ススキが出穂するころだと解説しています。

 しかし、それは暦の上のことで、あいかわらず田畑の暑さと、農
道の草いきれはあいかわらずです。

 農家は、稲作田に実り肥の施用、病害虫防除、あぜ草刈り。寒地
では混ざり穂の抜き作業、暖地では早生稲の種採り、収穫。秋そば
の種まき、ダイズ、アズキ、夏そば、トウモロコシからゴマなどの
収穫などの農作業が待っています。

 また、このころは台風の特異日、稲田の台風対策と気を抜けない
毎日です。(18)

 

(8月終わり)

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