第6章 動物の神

…………………………………………………………………

 

▼中 扉

【動物の神】 このページの目次
 ・オオカミ神 ・蛙神 ・カラス神 ・キツネ神
 ・熊神 ・猿神 ・鹿の神 ・狸神
 ・野槌神(ツチノコ)

−149−

 

………………………………………………………………………………………

 

■オオカミ神

 農村へ行くと農家の門口に狼の絵を描いたお札が張ってあるのを
見かけます。大口真神(おおぐちのまがみ)の文字も印刷してあり
ます。

 このお札は、奥多摩の御岳神社や秩父の三峰神社で配布している
もので、火難盗難よけにご利益があるといい、戸口や蔵前、田畑の
中にまで張ったり立てたりしています。大口真神とは狼のことだそ
うです。オオカミは音が大神(おおかみ)に通じ、また大きく口の
裂けた姿から大口真神という名前がついたという。

 東京都青梅市の御岳神社の社伝(1622・元和8年・江戸初期)
の記述によれば、その昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東
征のおり、御岳山に宿陣することにしました。一行がいまの御岳山
奥の院あたりにさしかかると大きな鹿があらわれ、道をふさいでし
まいました。

 武尊は即座に大鹿は邪神が変身した姿と見ぬき、ニンニクを投げ
つけました。ニンニクは鹿の目に命中。大鹿はたおれましたが、そ
の怨念で山や谷がゴーゴーと鳴り響き、雲や霧が四方にたちこめて
しまったという。

 身動きできず道に迷ってしまった日本武尊一行。この時白いオオ
カミがあらわれ、おもむろに道案内したおかげで、一行は無事旅を
続けることができたといいます。日本武尊はオオカミに向かい「本
陣に帰り、火難や盗難の守護をするように」と命じました。

 それ以来、オオカミは、御岳山の守護神になったというのです。
御岳山の大口真神社はこの神狼を祭ってあるところで、明治維新以
前は「神狗供え所」といわれ、このおいのさま(地元でオオカミの
こと)へのお供えをするところだったという。ちなみに奥多摩、秩
父一帯の神社の狛犬はオオカミの姿をしています。

−150−

……………………………………………………………………

■オオカミ探し作戦

 オオカミは山の神の眷属神といわれ、万葉時代の昔から信仰され、
いまでもオイヌ様と呼ばれて「大口真神」のお札を戸口に張ったり
しています。また、長野県ではウブヤシナイとという風習があって、
オオカミが出産するとだんごや餅を重箱につめてオオカミの巣の穴
の入り口に置いたりして、産神的な存在でもあったようです。

 日本では明治時代にすでに絶滅したといわれますが、このような
神としてオオカミですからいまでも生存を信じている人が多くいま
す。そもそも日本でオオカミが最後に捕獲されたところは奈良県の
吉野地方。1905(明治38)年のことだといいます。

 当時、同県東吉野村鷲家口地区に、日本のほ乳類を集めるため大
英博物館から派遣された東亜動物学探検隊員のマルコム・アンダー
ソンという人が滞在していました。そして数日前に捕れたものらし
い若い雄オオカミを猟師から購入しイギリスへ送りました。以後ニ
ホンオオカミは確認されず、絶滅したとされてきました。このニホ
ンオオカミの頭骨と毛皮はいまも大英博物館に保存されているそう
です。

 ところがその後、オオカミに関する情報があちこちでささやかれ
続け、十数年前にも東吉野村でニホンオオカミの群れを見たという
猟友会の人の話もあります。

 大峰山系や大台山系のふもとでは猟犬がおびえて入らない山があ
ったり、それらしい遠吠えを聞いた人、ふんや足跡を見た登山者な
どあとをたちません。そこで全国の愛好家が集まり「日本オオカミ
協会」を設立、「誘い出し作戦」も行われました。東京近辺では埼
玉県の三峰山でも行われてきました。

−151−

……………………………………………………………………

 その一環で行われた和歌山県大塔村の法師山(1120m)の「誘
い出し作戦」に参加してみました。原生林が続く大塔山系にもオオ
カミ生存のうわさが後を絶たないところです。

 山頂に設置したスピーカーからカナダオオカミの遠吠えを一晩中
流し続け、直下のコルでその反応を録音しよういうわけです。ふも
との河原に張りならべられたテント。耳をすますと山頂からテープ
のオオカミの遠吠えがかすかに聞こえてきます。降り出した雨はや
がて雪に変わり積もりはじめました。暖かいこの地方では滅多にな
いことだという。

 翌朝、再び山頂に登りスピーカーなど機材を撤収をします。あた
り一面白銀のなか録音の確認。しかし残念ながらテープには、雨の
音に混じってジェット機の爆音が入っていただけでした。1995
年3月のことでした。

−152−

 

………………………………………………………………………………………

 

■蛙 神

 カエルも神聖視される生き物です。死んだカエルをオオバコの葉
で包むと生き返るという言い伝えもあり、殺したカエルをオオバコ
でくるみ、土に埋めて歌いかける「カエルの葬式」という江戸時代
からの遊びもあったそうです。奈良県吉野町の金峰山神社では7月
7日、カエルにされた若者が僧侶のお経の力でもとの姿に戻る「蛙
飛び」の行事もあります。

 カエルと雨とは関係が深く、カエルの形をした蛙石をさわると雨
が降るとか、外国でもカエルを殺すと雨が降るといわれます。屋敷
の中にすむヒキガエルを「ヌシ」として扱われます。また旧暦十月
に行われる稲の収穫祭である刈り上げ祭りの行事は「蛙節供」とも
いわれ、田の神の使いのカエルがもちを背負ってお供するなどとい
われます。

 静岡県JR身延線富士宮駅近くの蛙石神は、カエルそっくりの石
をまつった神社で、富士山からわき出る水を供え、それをつけると
いぼが取れるといいます。またほかの願いごとも霊験あらたかとさ
れ、かつては8月17日の祭日には夜店が出るほどの賑わいで厚く
信仰されたという。この石はその昔青く光りながら天空から落下し
たものといい、眼病を患うものはこの神社にお参りし、湧き水で目
を洗うと治るといわれました。

 神奈川県小田原市には蛙石明神がまつられています。これはカエ
ルに似た形をした石で、かつて北条稲荷がここにまつられた時(4
00年以前のことともいう)、小田原城の中の庭にあった持ってき
たと伝えられています。

−153−

 

………………………………………………………………………………………

 

■カラス神

 カラスはその色や頭の良さなどから神秘的な鳥とされ、山の神の
お使いとも見られています。大昔から吉凶両面で聖なる鳥として信
仰もされてきました。

 祖父母の時代くらいまではカラスの鳴き声を悪いことの起きる前
兆として気にしていました。それをカラス鳴きといい、地方地方で
鳴き方の伝承があり、一羽だけで淋しい鳴き方をする「一羽カラス」
とか、「だんご食いて〜」と鳴く「死にガラス」などさまざまです。

 農村では、あらかじめ早稲、中手、晩稲と決めた米を畑などに置
き、どの米を食べるかでその年にまくイネを占ったり、1月の小正
月には「鳥追い」の行事を行い、同じ時期にカラスに餅を与えるし
きたりもあります。

 熊野神のお使いとされている八咫烏(やたがらす)は、熊野那智
などの護符にデザインされ烏牛王(おからすさん)と呼ばれていま
す。八咫烏は「日本書紀」や「古事記」の神武東征伝承に登場する
頭の大きな大カラス。

 日向(宮崎県)の高千穂宮を出発した神武は瀬戸内海を東に進ん
で難波に来た時、長髄彦(ながすねひこ)と戦い兄の五瀬命(いつ
せのみこと)を失います。

 神武軍は南へ迂回し南紀の熊野に到ると、山中で荒ぶる神の化身
・大熊に出会いその毒気で倒れますが、高天原の天照大神または高
木大神に助けられ、高天原から派遣された八咫烏に先導され、熊野
から吉野への険阻な道を乗り越えて大和の宇陀(奈良県中東部)へ
出ることができたとの伝承があります。大和国宇陀郡には八咫烏神
社がまつられているといいます。

−154−

 

………………………………………………………………………………………

 

■キツネ神

 キツネは人の住む里近くの山にすみ、イネの収穫期の秋から冬に
田んぼの周辺に降りてきて、エサをあさったり子ども育てます。そ
んな姿から稲作の神とあわさり、田の神より先に山の上から里に下
りてきて豊作をもたらすとされてきました。

 そんなところから稲荷神のお使いと考えられています。キツネ自
体を神としてまつるところもあるそうです。イネの種籾を日本にも
たらしたのはキツネだとする伝説もあります。

 たしかにキツネには神秘を感じさせるものがあり、その鳴き声や
挙動から人智のおよばない神からのお告げを得ようとさえした例さ
えありました。そして幸運・五穀豊穣・財宝をもたらす動物とまで
思われるようになります。またその神秘さがマイナスになり、狐憑
きなどのようなものをもたらしました。

 北信の飯縄山の天狗三郎系は荼吉尼天が白いキツネに乗っている
形です。そのキツネは足に蛇を巻いた姿でまさに神秘そのもの。飯
縄山といえば、かつて「飯綱(縄)の法」といい、管狐(くだぎつ
ね)という動物を使って人の過去や未来を告げたもの。

 これは、飯縄山にいた修験者千日太夫が、京都愛宕山の「愛宕の
法」にキツネ(管狐=くだぎつね)を媒体に「飯綱法」を結びつけ
た独特の外道術をあみ出し、それを修得した修験者たちが広めたも
のらしいといいます。

 その不思議さからいろいろな為政者の尊崇を受けたこともあっ
て、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったそうですがやっていることが
人を惑わす呪法。世間からうす気味悪がられ、恐れられいまは消滅、
本源の飯縄山でも面影がなくなっています。

−155−

 

………………………………………………………………………………………

 

■熊 神

 「古事記」(中つ巻)に、神武天皇が熊野村(和歌山県)を訪れ
た時「大きな熊があらわれ、天皇とその軍勢は気を失ってしまった」
とあります。熊に神霊を見たからだとされています。熊野神社があ
る村では昔から熊を神と考え、とってはいけないしきたりがある地
方もあったそうです。

 本州のツキノワグマは胸に白い「月の輪」があるので、野生動物
のなかでも高い位を持ち、これを狩猟すると祟るとか、また天候が
荒れる(熊荒れ)と言い伝えられています。東北のマタギなどがす
る風習で、熊を解体する時呪文を称えたり、頭蓋骨をふたつに分け
て別々に埋めたりするのは神聖視される熊に畏敬の念をあらわして
いるのという。

 最近よく熊神に出会って困っています。北ア燕岳では山小屋の米
びつをあさったり、谷川岳では目が合ってしまいました。とくに奥
多摩では目の前に木から落ちてきたのには参りました。

−156−

………………………………………………………………………………………

 

■猿 神

 一人で山歩きをしていると野猿の群れの中に入ってしまうことも
あります。そんな時自分の存在を知らせるため群れに話しかけなが
ら、最後尾をゆっくりと歩きます。猿たちは悪さをする人間でない
と分かるのか悠々と登山道からそれてくれます。そんな猿も神とし
てまつられます。

 猿は申(さる)に通じるため庚申信仰や猿田彦の信仰とも習合し
ます。また山の神や日吉神社のお使いでもあります。千葉県市川市
の日蓮宗の中山法華経寺にはかつて太郎・花子という2匹の猿が飼
われていましたが、他界してからは庚申塔に姿を彫刻されいまも祠
にまつられています。

 天帝をまつる庚申信仰はは中国道教の思想からきたものといわれ
ています。庚申信仰が日本に伝来したころ、日本でも同じ北斗をま
つっていた日吉山王七社があり、そのお使いが猿だったために深い
結びつきになったようです。

 猿は子供の無事をする信仰があり、子供の背中にくくり猿をつけ
たり妊婦の安産を願って子安地蔵に同じものを奉納する風習があり
ます。上州武尊山のふもと、群馬県片品村武尊神社で行われる「申
祭り」は猿に扮した人がご弊をかついでお宮のまわりを回って作物
の豊凶を占うそうです。

 また猿は馬を守る神の蒼前サマのように考えることもあったよう
で、鎌倉時代の本に厩に猿を飼った記述があります。この風習は外
国にもあり日本には中国から伝わったとされています。これは河童
との関係があるともいわれます。

 馬は河童を見ると死んでしまうが、河童が猿を見ると動けなくな
るとされ、厩を守るため猿の頭蓋骨を吊したこともあったそうです。
猿を描いた神札(猿の駒引きの護符)を張ることも行われそれを売
りに来る職業があったそうです。猿回しはもともとは厩の祈祷を目
的に村々を回っていたのだそうです。

−157−

………………………………………………………………………………………

 

■鹿 神

 鹿はかつてはシシとか肉に臭気があるのでカノシシと呼んでいた
という。奈良の春日大社や広島県・厳島神社、茨城県の鹿島神社、
宮城県金峰山神社、千葉県船橋大神宮などでは神のお使いとしてい
ます。神の乗り物とも考えられており、各神社では神聖な動物とし
て特別に保護をし、その氏子たちは鹿の肉を決して食べないそうで
す。

 鹿はまた神意を占う霊力があるとされ、古代には鹿で占うことが
盛んで、いまでも奥多摩御岳神社や群馬県貫前神社では鹿の骨を焼
いてその割れ方で吉凶を占う鹿占が行われています。お祭りにもよ
く登場し東北地方では鹿踊りが踊られています。

 これも霊力があるとされるところからきているもの。また寄り神
信仰で海から神が鹿に乗ってやってきたと伝える地方も多い。茨城
県鹿島地方、秋田県男鹿半島など鹿にちなむ地名が多いのはそんな
伝説にちなむのでしょうか。

 鹿が美しい女性を生む話も各地にあります。これは男性の精が触
れた草を食べた鹿が妊娠して美女を産んだという話になっていま
す。ただ生まれた女性の足先がふたつに割れてまるで鹿の蹄のよう。
それを布で隠し包み、この布の形が次第に足袋に発展したといい伝
説もあります。

 鹿の体内には鹿玉というニワトリの卵くらいの玉があり、それを
産んだ鹿たちが角から角へやりとりして、玉遊びをすると言い伝え
ます。その玉を大事に秘蔵すれば富が増してお金持ちになるともい
われます。

 また年老いた枝分かれした角や変わった形のものには霊力が宿っ
ているとされ、諏訪神社など鹿の角をお宝としている神社もありま
す。

−158−

 

………………………………………………………………………………………

 

■狸 神

 タヌキは雑食性でなんでも食べるせいか住宅地のなかでも結構す
んでいるといわれ、知人の庭にもよくあらわれるそうです。タヌキ
はキツネに比べ考えが浅く、すぐばれる間抜けた話が多い。

 鎌倉の建長寺の「狸和尚」は、タヌキが和尚に化けてあちこち説
教して歩き、宿でイヌが嫌いだといい部屋の入ったまま出てこず、
どうも挙動がおかしい。それを見破ったイヌが襲いかかって喰い殺
された話もあります。この狸和尚の書がいまもお寺に残っていると
いいます。

 分福茶釜で有名な群馬県館林の茂林寺は有名で、茶釜は寺宝なっ
ています。また「狸ばやし」で名高い千葉県木更津市の証誠寺にも、
タヌキが大切に飼われています。

 都会のど真ん中に狸神の祠があるのをひょんなことから見つけま
した。東京都台東区浅草の観音さま・浅草寺の境内に狸神がまつら
れているのです。仁王門と本堂のちょうど真ん中当たりに伝法院が
あります。その裏側に祠があり狸神をまつっています。明治のはじ
めこの周辺はヤブと田んぼばかり。上野の山にいたタヌキが戊辰戦
争で焼け出されこのあたりに移住。

 しかし、浅草寺でもヤブを払ったため、すむところがなくなった
タヌキたちは、「やけ」になり、あちこち出没して悪いことをし放
題で人々は大困惑。また浅草寺の用人の娘に衝いたりもしました。

 ある夜、浅草寺の唯我詔舜(ゆいがしょうしゅん)大僧正の夢枕
にタヌキが立ち「祠を建てまつれば火伏せの神になろう」。また上
野東叡山寛永寺の多田孝泉僧正の夢枕にも立ったため「鎮護大使者」
の称号を与えまつったところ、たちまちいたずらもなくなり衝きも
とれたという。明治十六年にいまのところに移転したという。以後、
火伏せ、商売繁昌、盗難除けの神として参詣人でにぎわいました。

−159−

 

………………………………………………………………………………………

 

■野槌神(ツチノコ)

 一時話題になったツチノコはだれでも一度は聞いたことがある幻
の蛇です。ビールびんのようにずんどうな奇妙な形で、目撃者は全
国的ながらまだ確認はされず、いまでは懸賞金がついているほどで
す。ところがこの蛇、野槌蛇(のづちへび)ともいって奈良時代か
らの書物に記録があります。

 「日本書紀」(巻第一神代上)に、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が天地山海樹木を生んだ、「次に
草(かや)の祖・草姫(かやのひめ)を生む。亦(また)は野槌(の
づち)と名(なづ)く」(平凡社東洋文庫版)とあります。

 また「古事記」(上つ巻)では、伊耶那岐(いざなぎ)、伊耶那美
(いざなみ)が神々を生んだ、「次に山の神、名は大山津見の神を
生み、次に野の神、名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたま
ひき。亦の名は野槌の神といふ。この大山津見の神・野槌の神の二
柱の神、山・野によりて持ち別きて、生みたまへる神の名は、天之
狭土(あめのさづち)の神。」(新潮社版)とあります。

 降って江戸後期、橘南谿(たちばななんけい)の「西遊記」(巻
之一)(肥後の国(熊本)求麻郡)に「犬の足のないようなもの、
また芋虫によく似ている。一寸坊蛇という」とあります。

 さらに、江戸中期初頭の寺島良安著「和漢三才図会(わかんさん
さいずえ)」(巻第四十五・竜蛇部)に「野槌蛇(訳者注・合木蛇の
属であろうか)。思うに、深山の木の穴の中にいる。大きいものは
直径5寸(15・1515センチくらい)、長さ3尺(90・90
9センチくらい)。頭・尾は均等で尾は尖(とが)っていないので、
柄のない槌に似ているそれで俗に野槌という」(島田勇雄ほか訳注
・平凡社東洋文庫版)とあります。

 また「和州(やまと)の吉野山中の菜摘川(なつみがわ)(奈良
県吉野町大字菜摘あたりの吉野川)、清明の滝(川上村大字西河に
ある蜻蛉(せいれい)の滝)辺りで往々にこれを見かける。

−160−

……………………………………………………………………

 口は大きくて人の脚に噛みつく。坂を走り下って大変速く人を追
いかける。ただし、登りは極めて遅い。それで、この蛇に逢えば急
いで高い処へ登れば、追ってはこない。」とあり、具体的に記述し
ています。

 奈良県吉野町上千本からさらに奥へ、金峰神社から30分のとこ
ろに青根ヶ峰があります。ここはもと金峰山(きんぷせん)といっ
たところで、大峰山への入り口になっています。少し先の林道を左
折、音無川沿いに下っていくと問題の蜻蛉の滝があります。

 この滝は奇岩・漠水が見物で松尾芭蕉も訪れたところ。滝のわき
の岩上に弁天宮があり、付近の不動堂には不動明王と役ノ行者の像
が安置してあり、いまは滝の近くまでバス道路が通り、あたりに県
民グラウンドまでできて、滝の入口が公園になっていて遊歩道まで
出来ているありさま。バス停のある大滝地区まで歩いて10数分と
いう近さです。

−161−

……………………………………………………………………

 また以前、三重県と奈良県境大台ヶ原への三重県側登山口・大杉
集落の登山センターで、ちょっと興味ひかれる看板を見つけました。
大きなパネルに、変わったヘビの絵。「ツチノコ……山深い台高山
脈では最近まで目撃した人も多い。熊野地方の多くの目撃者の話も
多い。ツチノコと出会った人は詳細を当センターに連絡して下さい」
という意味の文が添えてあります。あながちまゆつばではないのか
も知れません。

 ある年の四月、吉野はサクラがまっ盛り。蔵王堂に参拝して行楽
客の人混みと分かれ、上千本から奥千本へ行って驚きました。先年
訪れたときポリタンクに水を満タンにして貰った金峰神社の社務所
がありません。火災にあって焼失したと立て札にありました。近く
に「義経隠塔」もあります。

さらに奥に行くと西行庵があって、付近は開けた小平地で気持ちの
いいところです。そろそろねぐらを探す時間ですが、ここにテント
を張っては西行法師に対しあまりに恐れ多い。少しでも蜻蛉の滝に
近づこうと青根ヶ峰で一夜を過ごしました。

 次の日、訪れた蜻蛉の滝はさすが名漠とうたわれた滝。水量も豊
で展望台の上でも濡れんばかりのしぶきです。どこかにツチノコの
痕跡?でもないかと目を皿のようにして探したのですが、看板や立
て札にもツチノコのツの字もありません。ただ「マムシに注意」の
文字だけが目立っていました。

−162−

 

(第6章終わり)

………………………………………………………………………

第7章へ