第1章 山・谷・峠の神と怪物

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▼中 扉

【山・谷・峠の神】 このページの目次
 ・雨乞い ・温泉神 ・金精神 ・蔵王権現 ・水神 ・峠神
 ・一言主の神 ・人捜しの神 ・風神 ・夜叉神 ・山姥 
 ・山の神 ・山彦 ・山宮 ・雷神 ・竜神

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■雨乞い

 水は人間の生活にとって、いや生物が生きていくためにはなくて
はならないもの。まして農業生産には欠かせない大切なもの。日照
りでも続こうものなら作物は次々に枯れてしまいます。治山治水が
不備だった昔はそれこそ一大事でした。

 そこで神さま仏さまに頼ります。かつてはヤギや牛をイケニエに、
また人間までを神に捧げるありさま。古代メキシコのアステカでは
雨乞いの日に、頭につむじが2つある子どもをたくさん集めて殺し
たそうです。つむじから渦やたつ巻きを連想したからだそうですが
……。

 日本でもかつては時々雨乞いがおこなわれました。それにも型が
あったそうです。おこもりをする型や、神水をもらってきて田畑に
まく型。山の頂上で火をたく型。唄や踊りで神さまをなぐさめる型。
はてはわざわざ、神を怒らせて雨を降らせようとする型まであった
そうです。

 「おこもり」型は、立ち待ちともいい、神社の神前で一日中立っ
たままで、一睡もせずにつり鐘をならし「それ降れ、やれ降れ」と
強要しつづけ、神さまを根負けさせようとするもの。「もらい水」
型は、神聖な池や水源地から水を受けてきて耕地や村の神社や池に
まき、それを呼び水にして雨を降らせようとする作戦。その時、途
中で立ち止まったり、休んだりすると雨はその場所に降ってしまう
とされ、走りどおしで帰ってきたといいます。

 「山頂たき火」型は、神がいる天に一番近い山頂で大きく火をた
き、その前で笛を吹き、たいこをたたいて大騒ぎ、雨が降るまで泊
まり込む型。「千駄焚き」ともいうそうです。

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 「唄や踊り」型は、雷鳴に似たかねやたいこを打ちならして、雨
乞い踊りを踊り、神さまにゴマをすろうというものです。

 「神を怒らせせる」型は、神聖なものを冒とくしたり、神の池を
わざわざ汚して、神さまを怒らせて雨を降らせようとするチャッカ
リ型。ときには地蔵さまをしばったり、神社にイタズラしたりもし
ます。

 首都圏でおなじみの丹沢・塔ノ岳(1491m)の名前の由来にな
っている岩・お塔(尊仏岩)の雨乞いは岩の穴に棒を押し込んでか
き回し、中に住んでいるという雷神を怒らせのだそうです。すると
不思議に雨が降ってきたという。

 また山梨県西八代郡市川三郷町(旧西八代郡市川大門町)にある
四尾連湖(しびれこ)も雨乞いの場所だという。四尾連湖は、標高
850m、周囲約1200m、水深10mの天然湖。観光資源に恵
まれ、俗化されない美しさが保たれています。幽閉でかわいい天然
湖で、名前の響きから女性の間で人気があります。

 シビレ湖はしびれるほどの冷たい水。「神秘麗湖」の異名もあり
神秘的で、いろいろな伝説を秘めています。ここのヌシは巨大な牛
の怪物だという。ある時、2人の兄弟の武士が怪物と闘い、強弓で
怪物を射殺しましたが、2人もそこで力つき倒れてしまいました。

 その年はそれまでひどい干ばつでしたが、翌日からは車軸を流す
ような大雨が降りつづきました。それ以来、四尾連湖は雨乞いの湖
として有名になりました。

 人々は行列を作って2人の武士の墓に詣で、太鼓、鐘、法螺貝(ほ
らがい)などを鳴らし、「四尾連の湖の黒雲、主を殺した腹いせに
雨を降らせ給いな」と大声に唱えながら湖の周囲を回ったというこ
とです。それでも効験がないときは牛馬の枯骨を湖中に投げ入れ、
水神を怒らせて雷雨を招いたということです。

 このように、なだめたり、すかしたり、怒らせたりして神さまを
思い通りにしようとする人間のサル知恵に神さまもさぞかし苦笑
い。少し降らせてやるか……と思ってくれたのでしょうか。

 このように、なだめたり、すかしたり、怒らせたりして神さまを
思い通りにしようとする人間のサル知恵に神さまもさぞかし苦笑
い。少し降らせてやるか……と思ってくれたのでしょうか。

 また首都圏でおなじみの丹沢・塔ノ岳(1491m)の名前の由来
になっている岩・お塔(尊仏岩)の雨乞いは岩の穴に棒を押し込ん
でかき回し、中に住んでいるという雷神を怒らせのだそうです。

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■温泉神

 何がなんでも温泉、温泉。一時は沸かし湯問題で大騒ぎはしたも
のの、相変わらずの温泉ブームで、温泉地はにぎやかです。こんな
温泉地にきまって立派な温泉神社がまつられています。また、登山
者が多い、山奥のひなびた温泉の裏山にも小さなホコラがまつられ
ています。

 温泉に入ると病気が治る……その霊力は、湯神とか温泉神として
神格化され、大昔から崇敬の対象になってきました。「出雲国風土
記」出湯に「一たび濯(すす)げば、形容端(かたちきらきら)正
しく、再び沐すれば万の病ことごとく除ゆ」とあります。

 また「伊豆国風土記」逸文に、「大己貴(おおなむち)と少彦名
(すくなひこな)とわが秋津洲に民の夭折(あからさまにし)ぬる
ことをあわれみ、始めて禁薬(くすり)と湯泉(ゆあみ)の術をさ
だめたまひき」とあります。

 「伊予国風土記」の逸文には「大穴持命(おおなもちのみこと)、
見て悔い恥じて、宿奈毘古那命(すくなひこなのみこと)を活かさ
まく欲(おもほ)して、大分の速見の湯を、下桶より持ち渡(わた)
り来て、宿奈毘古那命(すくなひこなのみこと)を漬(ひた)し浴
(あむ)ししかば、?(しまし)が間(ほど)に活起(いきかへ)
りまして……凡て、湯の尊く奇しきことは、神代の時のみはあらず、
いまの世に疹痾(やまひ)に染(し)める万生(ひとびと)、病を
除(い)やし、身を存つ要薬と為せり」などと書かれています。こ
んなところから多くの温泉神の祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)
と少彦名神(すくなひこなのかみ)になっています。

 ちまみに大己貴命はあの大国主命(大黒さま)、少彦名命は大国
主命の片腕として出雲朝廷に力をつくした神です。温泉神は、長崎
県小浜町雲仙の温泉神社は「うんぜん」、愛媛県松山市には湯神社
は「ゆ」、神戸市有馬町の湯泉神社は「とうせん」とそれぞれのあ
とに神社の名をつけています。福島県いわき市常磐湯本町では「ゆ
ぜんさま」というそうです。

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■金精神

 金精神(こんせいしん)・金精さまは、金勢、金生とも書き、地
方によっては、コンセーさま、カナマラさまとも呼んでいます。金
精の金は、金色に輝くようなリッパなもの。精は勢であり、精力絶
倫の勢いをあらわしているのだそうです。もちろん男性自身のこと
なのであります。

 ご神体はやはり、そのものに似た自然石、または木でつくったも
の。神社は全国にありますが遠野市など特に東北に多いようです。
有名なものは、群馬と栃木の県境の金精峠の金精権現、岩手県玉山
村巻堀(まきほり)の巻堀神社の金精大明神、岩手県花巻市石神町、
鼬幣(いたちべい)稲荷神社境内にある金勢神社などがあります。

 ことに巻堀神社のものは、もと南部金精大明神と称され、そのご
神体は金属製のイチモツです。天保四年というから西暦で1833
年に奉納されたそれは、いまでも金色に光りかがやいており、縁結
び・安産・婦人病治癒に霊験あらたかといわれます。

 祈願には木や石でつくったご神体と同じ形のものを奉納。遠近か
ら参拝に訪れる人でにぎわい、かつては社の前は奉納品が積み重ね
られるほどだったそうです。

 江戸末期の旅行家・菅江真澄は著書「さくらがり」の中で「南部
糠部郡巻堀という里に金勢神と申す神ませり。かねのみたけの金生
神とはここなるおん神にして、六、七寸の雄元(おはしかた)(男
根)を銭(かね)に作り、鎖つけなどして二つ三つぞホコラに秘(ひ)
め置けり……」とあり、当時から知られた神社だったことが知られ
ます。

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 山梨県の大菩薩峠の石丸峠への登山道の路傍にも石でつくったリ
ッパなものがあり、突然あらわれるイチモツに登山者は驚かされま
す。なぜこんな所に、もしか石丸峠の名はもとは石マラ峠ではない
かとの説もあります。以前は塩山市教育委員会の説明板がありまし
たが、モノがモノだけにいまは何もなくなってしまい、気が着かず
に通り過ぎてしまう人も多いようです。

 埼玉県秩父山地にある破風山(はっぷさん)(627m)のノッ
キン棒とか如金峰(にょっきんぼう)と呼ばれる大岩も金精さまと
されています。のちにノッキン棒の棒が坊に転化され、かつては、
時々この岩にノッキン坊という天狗が現れて人々を驚かしたという
伝説も残っています。

 ある年の7月、奥日光、奥白根山から金精峠(2024m)へ抜
けました。ここは金精山と温泉ヶ岳の鞍部。朽ちてしまいそうな木
の鳥居の先に立派なホコラがありました。ホコラのなかには銅にメ
ッキを施したこれまたご立派な逸物がデンと鎮座しています。明治
時代より前から多くの人々の信仰を集めてきたという。木造だった
ホコラは破損がひどくなり、昭和33年に鉄筋コンクリートの社殿
に作りかえたそうです。

 最近は観光ルート上のレジャー施設近くの小高い所にも金精さま
と同じ精明神社がつくられて訪れる人も多くなっているようです。
金精神社は子孫繁栄の守護神として祭られています。

 この峠は、かつては手へんに越の字を書いて「こむら峠」と呼ん
でいました。しかし、いつかなまって「きむら」になり、さらに金
精権現の信仰にちなみ「きまら峠」になっていまの名前に変わった
のだそうです。祠を前にさい銭をあげホコラのなかのご神体に丁重
に手を合わせ拝礼。頭を上げて空を見上げるといつの間にか雨もや
んでお日さまが顔を出していました。

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■蔵王権現

 蔵王権現は奈良時代、修験道の祖役ノ行者が、苦しむ人たちを救
うにふさわしい神を求めて、奈良県の吉野金峰山(きんぷせん)に
籠もり、苦行のうちに感得した悪魔降伏の菩薩。金剛蔵王菩薩とも
いうそうです。像は一面三目の顔で、青黒色の憤怒相。

 怒髪天をつき、右手に三鈷杵(さんこしょ)を高く振り上げてに
ぎり、左手は剣印(けんいん)という印を結んで腰にあてています。
右足を踏み上げ、左足で岩の上に立っています。これは仏典には説
かれていない日本独自の神だそうです。ご利益は魔障除去、怨敵退
散、所願成就、商売繁盛、事業繁栄と書かれています。

 蔵王権現の最初の記録は「今昔物語」(巻第十一、第三)で、「金
峰山(みたけ)の蔵王菩薩は、この優婆塞(うばそく)が祈った結
果、生じなさった菩薩である」とあり、まだ「蔵王権現」とはいっ
ていません。

 室町時代の「三国伝記」には、行者は岩屋のなかに座し「この山
の権現として、金峰鎮護の霊神となるべき端相をあらわし給え」と
祈ったところ、はじめに弥勒菩薩があらわれました。「この柔和で
慈悲のお像では争いに叶うべきか」と祈っていると次に千手観音が
湧出しました。「まだ足らない」とさらに祈り続けると、今度は釈
迦如来があらわれました。

 行者は「このお像でも六種の魔境を退け、後百歳の悪業深重の民
衆に利益することは難しい」と思いました。すると堅固不壊の金剛
蔵王が化現しました。行者は今度は「善なるかな」とその像を安置
したとあります。

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 江戸時代の「役公懲業録(えんこうちょうごうろく)」には、最
初に弁財天があらわれましたが行者は「女性で優しすぎる」と思い
さらに祈ると、天女は天河に去っていきました。(これが奈良県天
川村の天河弁財天だそうです)。次に地蔵菩薩が出現しました。「温
和で厳しさがない。

 もっと荒々しい仏が欲しい」と祈りました。菩薩は吉野の川上に
去りました。すると突然凄天地が振動して大地からこんどは蔵王権
現が湧出しました。その勢いは大きな峰も動かすほどでした。それ
は釈迦と観音と弥勒が合体した像でした。行者は「偉大なるかな神
の威徳」と大いに喜び、その姿をサクラの木に彫ったという。

 このように役ノ行者が感得した蔵王権現をまつったのが吉野の金
峯山寺蔵王堂で、いまでも蔵王権現三体がまつられ多くの人の信仰
を集めています。平安時代以降密教が盛んになるにつれ全国に広が
り、東北の蔵王連峰や木曽御嶽山はじめ、日本各地の名山、霊山に
まつられています。

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■水 神

 水は日常生活はいうまでもなく、農業、とりわけ稲作にはなくて
はならないもの。いまでも水不足になるとダムの水がアーだコーだ
とテレビ、新聞で大騒ぎです。神としてあがめたくなるのも道理と
いうもの。一口に水神といっても、まつられる場所などでいろいろ
区別されます。

 川にあるのは川の神、滝にあるのは滝の神、泉の神、井戸神、池
の神など。神社としてまつられている水神社、水天宮なども水神の
一つです。水神はまた、水田稲作での水の必要性から、しばしば田
の神と同じ性格と考えられたりもしています。

 「古事記」や「日本書紀」に「みずち」との記事が出てきます。
これは水神そのものであり、みずちの「ち」は霊力あるものをさし
た言葉だそうです。水神の姿はヘビやウナギ、竜だといい、そこか
ら「みずち」はヘビのような形だと信じられました。

 また、カッパも水神の化身と考えられ、めどち、みんつち、みず
しんと呼んだりします。カッパをやまわろという所もあり、秋、山
に入り、春になると川に降りるといい、まさに田の神が秋に山の神
になり、春、田の神になって里に降りてくる伝承にピッタリです。

 また、神社としてまつられると水天宮になります。本来は川のほ
とりにあった水神なれど、中国の天妃の信仰と結びつき、水天宮と
いうようになります。

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 水天宮の祭神は安徳天皇とされています。安徳の安は安産の安、
そこで安産の神にもなっています。全国の水天宮の元じめは福岡県
久留米市瀬下町の神社。壇ノ浦の戦いのあと、高倉平中宮(建礼門
院)に仕えていた按察使伊勢局(あぜちいせのつぼね)が逃れてき
てここにとまったのが最初だそうです。

 また東京・日本橋の水天宮は1818(文政元)年三田赤羽の有
馬藩の邸内に遙拝所として勧請、1872(明治5)年にいまの所
に移したものだそうです。

 奥秩父、山梨県と埼玉県境の笠取山(1953m)直下にも水神社
の奥社のホコラがあります。ここは東京都の水源林でここに降った
一粒の雨がミズヒサワに流れ込み多摩川河口までエンエン138キ
ロの長旅をして東京湾に流れ込みます。

 いまでも干ばつの時は東京都水道局員が雨乞いに訪れるといいま
す。何年か前の大みそかにホコラを訪れました。静かな石のホコラ
付近は湿った岩肌のコケからしみ出る水滴が足下を濡らします。人
っ子ひとりいない凍てついた崖に落石の音だけが響いていました。

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■峠 神

 山に上下と書いて峠でとうげ。峠は漢字ではなく、日本で作った
文字で「国字」だそうです。いまでこそトンネルを掘って道を作り
ますが、ムカシは山を越えるときは、山と山の鞍部(あんぶ)に道
をつけ、向こう側の村へ用を足しに行くのでありました。

 その鞍部を峠といいます。「とうげ」はタワゴエのなまったもの
といわれます。タワとは山歩きで耳にする、また地図にもある「○
○のタワ」などのあれです。

 早い話がたわんでいるところ、つまり山と山との鞍部や尾根の上
の鞍部のことなのであります。そこを越えるのがタワゴエ。これが
時代がたつにしたがい、タワゴエ、タウゲエ、タウゲ、トウゲにな
ったのでありますと。

 ムカシの人は、この峠にも神がおわすと考えました。峠神は柴折
り神、柴神ともいい、峠にホコラを建てたりしてまつります。山を
歩いていると、まして峠付近では、急に冷や汗が出て、極度の疲労
や、お腹のすくことがあります。

 これはヒダル神がとりついだためと人々は思いました。ヒダルの
ヒは疲労の疲。ダルはタルミのタルでだるさのダル。いやこれはで
たらめ。

 この悪霊を追い払うには、柴を折って峠神に供えます。峠神はホ
コラであったり、古木であったり、自然石のときもあります。柴を
手向けるので、手向けがなまって「とうげ」になったという説もあ
ります。

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 また峠神・柴神はいろいろな祈願の対象にもなり、こどもの機嫌
の悪い時や腫傷疾の病気にも治るように祈ったりします。地蔵や観
音、薬師などにも柴折り地蔵、柴とり観音、柴折り薬師として信仰
しているところもあるそうです。

 ヒダル神にとりつかれると腹がへりはじめ、手足がしびれて歩け
なくなる、そういう時は米という字を手に書いて食べるまねをする
そうです。

 神奈川県丹沢表尾根の登山口ヤビツ峠は新しくつくった峠で、か
つてはもっと西側にありました。いまでもその跡が残っています。
この旧ヤビツ峠は、かつて餓鬼道と呼ばれ、ここを通る人は食べ物
を山の餓鬼たちに投げてやる習慣があったといいます。

 かつてこの旧峠からの道は秦野から札掛地区へ食糧を運ぶ重要な
運搬道。ある冬、何日も雨や雪が降り続き、札掛地区の食糧が乏し
くなりました。心配になった秦野の荷揚げ役の加藤老人は、力自慢
の若者に食糧を背負わせ、札掛に向かいました。

 やがてヤビツ峠にさしかかると案の定、腹がへってやりきれませ
ん。「さっき、食べたばかりなのに……」と思いながら、無理に歩
いていましたが、どうにもなりません。

 ついに腰がふらつき歩けなくなり、ひざをつきて地面をはいずる
しまつ。それでも懸命にはいながら峠を下ると、うそのように元気
になったといいます。前もって充分に食事を食べていてもそのあり
さまです。

 このあたりは戦国時代の永禄年間(1558〜1570)、甲斐
の武田信玄と小田原の北条氏康との激戦の場でありました。その時
その時、戦いに敗れ傷つき、腹をすかしながら死んでいった武士た
ちがたくさんいました。村人たちは、その亡霊が食べ物を探してさ
まよっているのだと噂しあったそうです。

 それからというもの、村人たちはここを餓鬼道と呼び、峠越えを
する時はあらかじめ食糧を余分に持って行き、自分が食べる前に山
の餓鬼たちに与えるようになったということです。

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■葛城一言主の神

 吉兆を一言で告げるとされる一言主(ひとことぬし)の神も鬼扱
いにされていたといいます。奈良葛城山(かつらぎさん)と金峰山
(きんぷせん)間の空中に岩の橋を架けるべしと役ノ行者に命じら
れたモロモロの鬼神たち。

 無理な注文に嘆き憂えますが、行者はゆるしてくれません。せめ
立てられた鬼神たちは、自分のみにくい姿を恥じて人のいない夜に
懸命に働きますが作業はいっこうにはかどりません。

 役ノ行者はいっしょに働いていた一言主の神を呼びつけ「なぜ昼
間も働かぬ」と厳しくせめます。「それなら働きません」と一言主
の神は反抗します。怒った行者は、呪術で縛り谷底に閉じこめてし
まいました。

 これを恨んだ一言主の神は、都人にのり移り「役ノ行者が天皇を
傾けんとしている」と朝廷に託宣させます。驚いた天皇は行者を捕
らえ伊豆の大島に流したという(「今昔物語集」巻十一)。

 また、「日本霊異記(にほんりょういき)」上巻二十八では、一言
主の神はいまでも谷底で縛られたままだとしています。能「葛城」
でもまだ呪縛から解けないでいるとし、一言主の神を女神の形でえ
がいています。

 だいたい一言主は、大国主や事代主(ことしろぬし)などと同じ
「ぬし神」であり、国つ神であるといいます。「古事記」下巻・雄
略天皇条では、天皇が一言主の神に大刀や弓矢、衣服を献上したと
あり、一説にはスサノオノミコトの子だともいいます。

 そんな「家柄」の一言主も、その後の落ちぶれ方はなんともひど
いものです。鬼だけでなく黒蛇になって谷に捨てられ、いまでは恨
む気力もなくなり、萎えてしまっていると書く本まであります。

 この谷は「役行者本記(えんのぎょうじゃほんぎ)」ではその谷
こそ金剛山東方・御所市西にある「蛇谷」だとし、「本朝神仙伝」
では吉野になっています。

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 大阪と奈良県にまたがる修験道場の中心地だった金剛山(112
5m)。その北方大和葛城山の先に岩橋山(659m)というピー
クがあります。ここはまさに金峰山へ架けようとした岩の橋の山名
です。

 四等三角点のある山頂南側わずかに下った所から、西へつづくふ
みあとをものの5、6分。ピークの下に、未完成の岩橋があります。
あたりにはない大岩が橋のたもとらしく人工的な形で金峰山へ向か
っています。

 しかしその積み方は何とも投げやりで、3つ、4つ運んできた岩
を放り投げ置いたという感じです。これでは役ノ行者も怒るわナと
笑ってしまいました。

 かつて葛城山頂にあったという一言主神社は、いまは同市森脇地
区に祀られ、参拝者に「いちごんさん」と親しまれ、私が訪れたと
きも大勢の参拝者でにぎわいそのわきで「一陽来復」ののぼりがは
ためいていました。

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■人捜しの神(奥多摩今熊山)

 第27代安閑天皇というから、「日本書紀」などによる計算では、
在位531〜535年没の天皇が東行の時浪花路で妃が、また一説
には第28代宣化天皇の妃・橘の仲皇女が行方不明になってしまい
ました。

 ある夜、心配する天皇の夢枕に「武蔵国・今熊山(いまぐまやま)
に詣で、祈願すれば妃の居所がわかる」との神のお告げがありまし
た。早速、勅使が、いまの東京都八王子市の今熊山(505m)に
やって来て、山頂の社のまわりを3回まわって祈願し、妃の名を大
声で呼んだところ、妃は無事に発見できたという伝説があります。

 以来、この山は「呼ばわり山」と呼ばれるようになり、人捜しや
行方不明者を見つけてくれる神として近隣諸国の民衆から厚い信仰
を集めたといいます。

 この神は行方不明の人間だけでなく、なくした物を探したい時も、
それこそ山彦がこだまするほどの大声で「呼ばわる」と帰ってくる
といい伝えています。かつては時々、「神隠し」や「人さらい」な
どでいなくなってしまった子供の名前を呼ぶ、半狂乱の母親が叫ぶ
声が山頂から聞こえてきたこともあったそうです。

 この山はまた、子供を親元から「呼ばわって」連れてきてしまう
という逆の意味の「呼ばわり山」でもあったといいます。神が子ど
もを誘拐してしまうとは恐ろしや、恐ろしや。

 この山の山頂で大声で叫ぶのは誘拐犯に子供を帰せと迫っている
わけでしょうか。山頂の山宮裏の石碑にある天狗の文字や里宮の扉
に天狗のうちわの紋章があるのは、あるいはその犯人を天狗として
いるのではないでしょうか。

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■風 神

 高気圧や低気圧などの言葉もなく、まして風速計などのなかった
大イニシエには、姿がなく突如として吹き荒れる風は神のなせるわ
ざ以外のなにものでもありませんでした。人々は超人的力をもつ暴
風の前に、ひれ伏し、風の神にただご機嫌をとるためお祭りするの
みでありました。

 あの「古事記」や「日本書紀」には「吹揆(ふきはら)ふ気化し
て神となりし風神」とて、志那津彦命(しなつひこのみこと)と志
那津比売命(しなつひめのみこと)の男女二神を指しています。志
那とは息が長いという意味だそうです。昔の人は風は神の息からお
こると考えていたようです。

 また「和漢三才図会」には「颶(ぐ)(最大風速をもった強風の
意味)、按ずるに伊勢、尾張、美濃、飛騨の諸国では不時に暴風が
くることを一目連(いちもくれん)という。神風となす」とありま
す。天気図も気象衛星もない江戸時代の本に、一目連と、台風は一
つ目だといっているのには、オソレ入ります。いまでも三重県多度
町の多度神社の摂社に一目連神社があります。

 風神とは、もと風伯または風師とよばれ、中国の古典「周礼(し
ゅらい)」にも、その祭礼を規定している箕(み)星のことだそう
です。二十八宿の一つで射手座(いてざ)にあたります。箕の星座
は、箕(農家で風をおこして実と、からを分けるのに使う農具)に
似ているため、風を象徴したのだそうです。

 わがニッポンで、この風伯を祭った記録は「東鑑(あづまかがみ)」
に出てきてはいますが、いまふつう風神といえばあの、風袋を背負
った風神サマや、奈良・竜田大社にまつられている志那都彦神、志
那都比売神を指しています。

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 悪い風をしずめて豊作を祈るため風神祭や風祭りをします。「万
葉集」にも「…君が見むその日までには山下(やました)の風な吹
きそとうす越えて、名に負へる杜(もり)に風祭せな」とあり、万
葉の時代にも風神祭りがあったようです。風神祭りは前出の竜田神
社の風神祭は有名ですが、台風の通りみちの日本では、かつてはあ
ちこちで風祭りが行われ、風祭という地名さえたくさんあります。

 屋根の上に長い竹ざおをたて、その先に大きな袋をとりつけて、
風の神を袋の中につかまえ、封じこめようとする行事や、竹ざおの
先に鎌をしばり屋根にとりつけて、風神の風袋を切りさいてしまお
うとする「風切り鎌」の行事もあります。

 立春から数えて二百十日と旧暦8月1日の八朔(はっさく)は、
特に荒れ日といい、恐れました。八朔は農事にも大事な日。せっか
く丹精した稲作も、風の神のごきげんいかんでたちまちのうちに水
のアワ。そこで赤飯をたいてお日待ちしたり、「八朔ぶるまい」し
てみんなで供食、なかにはもちをついて祝う所もあります。

 最近、農村に残そうといろいろ運動のある獅子舞い。これも風祭
りに関係のあるものが多く、とりわけ、栃木県の獅子舞いは「千早
振(ちはやぶ)る神の感得があるなれば、あらしするとも作にあた
らじ、この獅子は悪魔はらいの獅子なればあらしするとも作にさわ
らん」と歌いながら舞うといいます。

 また、幣束(へいそく)を神社の境内や、山頂大木の先端に結び
つけて、風害よけのまじないをするところもあります。富山県には、
「ふかぬ堂」という風神堂がたくさんあり、大風が吹かぬように祈
るためのお堂だったとか。風神をまつる神社はそのほか、長野県・
諏訪神社、風間神社、奈良県・広瀬神社や諸国の穴師神社などがあ
ります。

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■夜叉神

 夜叉。なんとも不気味な響きです。ヤシャは、サンスクリット語
のヤクシャ、パーリ語のヤッカの音写だそうです。もとは「光のよ
うに速い者」とか「祀られる者」を意味しており、超自然的神聖な
存在だったといいます。時には羅刹(らせつ)(インド神話にあら
われる悪鬼)とも同一視されます。

 夜叉は、古代インドのヴェータ聖典に初めて人を害する鬼神とし
て登場する名前で、醜怪な姿をしており人の肉を食うとされていま
す。のち、仏教の八部衆(天竜八部衆=仏法を守護する天の神々と
八種類の異形のもの。

 天・竜・夜叉・乾闥波(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼
羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩ご羅伽(まごらか)(注:「ご」
は目偏に侯)の八部の衆類」に入り、毘沙門天(びしゃもんてん)
の従者になりました。

 しかしその激しい性格は変わらず、半神半鬼の性格で神通変化の
力をもっているといいます。そのため、人を助け利益を与え仏法を
守護する半面、信仰のない人間には害を加えるような凶暴さをあわ
せもつたたり神だといいます。とくに女夜叉(夜叉女・ヤクシニー)
は人間の肉や血を食う凶悪な性質をもつと百科事典にあります。あ
まり付き合いたくない神様ではあります。

 南アルプスの入り口、その名も山梨県南アルプス市に夜叉神峠(一
七七〇m)があります。その昔、甲斐の国を流れる釜無川の支流、
水出川(いまの御勅使川みだいがわ)の源流に猛々しい神が棲んで
いました。身の丈20数m、眼はらんらんと輝き、暴風雨を自在に
あやつり、洪水を起こすわ、悪疫をばらまくわのし放題。人々はこ
の神を夜叉神と呼びました。

 平安時代のはじめ、天長2(825)年の洪水は下流の釜無川、
甲府盆地を越えて一宮まで被害を与えました。見かねた甲斐の国造
(くにのみやつこ)・文屋の秋津は、この惨状を朝廷に奏上。淳和
天皇は心を痛め勅使を送り、水難防止除けを祈ったという。そのた
め、水出川は御勅使川と名を変えました。

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 これとは別に村人たちは、御勅使渓谷を一望できるこの峠に石の
祠を建て、念入りに祭祀しました。それ以来、夜叉神のたたりはぴ
たりとやみ、今は豊作の神、縁結びの神として、夜叉神峠小屋の北
側に祭られています。

 また夜叉神が、米子という村の娘を掠奪し悪行のし放題。そこへ
坂上田村麻呂がやってきて夜叉神を退治します。夜叉神は空を飛び
男鹿の山に逃げましたが米子は、田村麻呂の矢に当たって死んでし
まいます。村人は娘を厚く葬り米子の名をとりむらの名を「女米鬼」
としたという伝説が秋田県雄和町字女米木(女米鬼)にあります。

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■山姥

 山姥も妖怪の一人です。山中に住み、山母ということもあります。
そもそも深く高い山は、里の人たちとは別の人種が住み、想像もで
きない生活があると思われていたようです。山姥は人を殺して食う
というコワーイ者として物語られます。

 道に迷った牛飼いをとって食おうとした「牛方山姥」の話や、飯
を食わない女というので喜んで妻にしたら、実は山姥だったという
「食わず女房」の話などがそれです。

 また、歳末の一の日には山姥が買い物にあらわれ、彼女から貰っ
た銭には福があったとか、それにあやかり、大金持ちになるなど福
の神的な話も伝わっています。

 山姥といえば金時伝説がつきものです。箱根の足柄山では赤竜と
山姥の間に生まれた子が金太郎で、源頼光の四天王のひとりに数え
られた坂田公時に成長することはあまりにも有名。しかしそのほか
に長野県南木曽町のある南木曾岳(なぎそだけ)(1679m)も
あります。

 江戸後期の「木曽路名所図会」に「峰の近き所に窟あり。この中
の広さ数10歩、その内に方式三丈の平石あり。これを山姥の石座
と伝えり」とでてきます。この山は大雨が降ると「蛇抜け」という
おそろしい土石流が人家を襲う魔の山。

これを山に住む山姥の仕業だとされてきたようです。古書でいう通
り、金明水の近くに「金時ノ洞窟」があって対岸から洞窟が望め、
また山頂付近にも金時岩があります。

 8月の暑さまっ盛り、歩いているとアブの大群に襲われます。途
中、垂直状の岩場のクサリ場と巻き道がつくられています。山頂は
誰もいない静かな小平地。見晴台から望む木曽御嶽が雄大でした。

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■山の神

 山歩きが好きな私は、よく山中で山ノ神の祠を見かけます。それ
は石や木のものだったり、水神といっしょの石塔だったりいろいろ
です。山の神とひとくちにいいますが、この神ほど正体が曖昧模糊
とした神もないようです。

 神社道でいう山の神としての祭神は、富士山の木花開耶姫(この
はなさくやひめ)、摂津や伊豆などにある三島神社の山の神・大山
祇命(おおやまずみのみこと)、比叡山の大山咋命(おおやまくい
のみこと)などなどがあります。

 しかし、民間信仰での山の神は男の神であったり、1年に12人
も子供を産む女の神だったり、また夫婦神だとも、荒ぶる神や天狗
をいう時もあったり、またコワイかみさんをいったりで、その本体
はかなりこんとんとしています。

 その呼び名も地方地方で、十二サマとかオサトさま、はたまたサ
ガミサマ、さんじんサマなどといろいろに変わります。祭日は2月
と10月に行うところ、3月と11月のところ、または毎月7日、
9日、12日、またまた正月、5月、9月の16日とか、12月と
正月などとそれは雑多なのであります。

 山の神の祭日には酒を供え、もちをついてお祭りをします。祭日
にもいろいろタブーがあります。東北地方ではなぜか祭日の12月
12日は山の神が山の木の本数を数えため山仕事は休まなければな
らない習慣があって、もし無視して山に入れば、木の本数に教えこ
まれると言い伝えられています。この習慣はいまでも残っていて、
林業関係者や営林署も休むしきたりになっているといいます。

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 山の中では木が折れたり曲がったりなかには幹が地面を這ったり
するものもあります。岩手県遠野地方では、2本の木がねじれから
まっているのは山の神が本数を数える時、区切りの目じるしにした
もので「山の神の占め木」と呼んでいるそうです。

 また以前は暮れに山の神も年越しをしたらしく「遠野古事記」と
いう本には、江戸中期の正徳年間(1711〜15年)以前に12
月12日は山の神の年越し祝いの日だと出ています。

 鳥取県飯石郡では旧正月20日、山の神が白ウサギに乗ってイノ
シシ狩りに出る日だとされ、木戸口、門に槍を立てたといいます。
新潟県では山に神を十二サマと呼び、祭日はほとんどが旧暦2月(新
暦では3月)の12日に行っています。

 山の幸や山の安全、豊作などを祈り弓矢で東、西、南、北、天の
順に、または自分の田んぼの方へ矢を放つといいます。そして「天
井くり、山つくり、カラスの目玉へスットントン」と呪文を唱えま
す。

 冬の間、山上にいて春になると里に降りて田の神になり、稲など
農作物の実りを手伝って過ごし、秋、収穫が終わるころ、また山の
神となって山上に帰っていくとされる山の神。これは農民の考える
山の神です。

 山村の人たちが考える山の神は山の動物や樹木を支配する神であ
り、変身はしません。ご神体は老木であったり大岩であったりする
時もあります。

 また、漁民の山の神というのもがあるそうです。三重県志摩半島
や九州では漁の神になっています。新しい船を海に入れる時、船を
山の神の管轄から切り離す儀式を行うそうです。

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 山の神はまた、お産の神にもなっています。東北地方では妊婦が
産気づくと馬で山の神をお迎えに行く習慣がありました。馬が急に
立ち止まり、いなないたり身ぶるいしたら、山の神が乗り移ったと
みて家に帰ります。お産がはじまるのは山の神とほうきの神、便所
神の三神が集まってからだともいう地方もあります。

 なぜか不思議なことに山の神は、オコゼ(オニオコゼ)という魚
が大好きだとされています。この説は各地に伝わっています。「山
の神おこぜばかりを飯につけ」という古川柳もあるほどです。名古
屋市中区の山の神は、たむしや皮膚病に霊験あらたかとか。祈願し
てご利益があった時は、お礼にオコゼの絵馬を奉納します。

 山の神は、12という数を嫌うともいわれます。青森県周辺では
山子(やまこ)が山にかけた小屋に12人で泊まることを忌みます。
もし12人になってしまった時は、サンスケと呼ぶ木でつくった人
形を入れて全部で13人にする習慣があったという。

 昔、猟師の兄弟が山に入る途中、うめき声が聞こえてきました。
声の主は女性で、持病に苦しんでいるのか道ばたにうずくまってい
ます。兄は苦しむ女性を無視して先を急ぎます。しかしやさしい弟
の猟師は介抱してあげました。

 ところがこの女性、山の神の化身でしたから一大事。冷たくあし
らった兄の方は、山中で転び大ケガをして一生貧乏に苦しむことに
なりました。親切にした弟は猟もトントン拍子で、大金持ちになっ
ていったということです。これは栃木県鹿沼市の伝説です。

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 旧暦10月は神無月。神々がそれぞれ出雲へ出かけて留守になり
ます。しかし福島県の石城地方では、留守番の神が3神いるとされ
ています。それは山の神にエビス神、そしてカマド神。山の神は人
前に出るのが嫌い、エビス神は骨なしのため遠出ができない、カマ
ド神は家族が多く、ほかの神さまたちにうるさがられるのがその理
由だとか。

 そのため石城地方の人たちは山の神には10月17日に、ほかの
2神のために、この月にそれぞれ講を行い、なぐさめてあげるとあ
げるということです。

 山の神は、本体ははっきりしない神ですが各地で言い伝えられて
いる山の神像を探ってみるとその性格がぼんやりながら浮かんでき
ます。

 山の神はみにくい女神だとするのは徳島県那珂郡地方。そのため
人に逢うのを極端に嫌い、もし見られたら怒って魔物になって人に
とりついてくるとされています。

 また、岐阜県揖斐郡谷汲村の山の神は、ほかの女神に旦那をとら
れ、歯ぎしりしているといいます。旦那をとってしまったのは弁天
サマだという。だから山の神は木を切って弁天サマを追い出してく
れる山仕事の人たちを守る神になったのだとされています。

 山の神はひどいやきもち焼きだとする地方もあります。山の神講
に女性を入れないのは女性に災いがふりかかる恐れがあるからだと
いいます。

 宮城県の山の神は3歳くらいの女の子。細い小さい体からか細い
声を出すと信じられています。また山の神は「ホーイホーイ」と泣
くといわれており、その声を聞いた人には災いがふりかかり、ご神
体を見た者は子供を川にとられるなどといわれています。

 大分市あたりでは、山の神は一ツ目の入道だともいわれ、同県の
九重山麓には鳥形の三ツ目の山の神像があったりします。

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 山形県では元旦に山の神に家族数だけノサと呼ばれるご幣を納め
ます。ノサは元旦の朝早く12回(うるう年は13回になる)、石
の上でたたいた藁でつくります。

 それにコンブやユズリハ、干しガキなどを挟みます。ノサを山の
神の木と称すものにかけ、持ってきた餅に山刀で12(うるう年は
13)のすじをつけて、「お山繁盛、けが、過ちのないように」と
唱えます。

 飯田高原には杉・松などの巨木が山の神の神木があり、また各地
にも山の神のオシミギ(惜しみ木)、マドギ(窓木)、トマリギ(止
まり木)、ハヤスミギ(羽休み木)などと呼ばれるものがそそりた
っています。

 三重県・伊賀地方では、正月七日、山の神祭りの鍵引き神事が名
物になっています。ウツギの二股になった大枝を男性の数だけたば
ね、注連縄にひっかけ、祠の前で引っぱり合います。増産された富
を自分の村へひき込む祭りだといわれています。

 そのほか、滋賀県土山町のように1月6日に山の神の男神、女神
を結婚させる豊作の予祝行事があります。「ヨンサヨンサ、早稲(わ
せ)寄せヨンサ、中稲(なかて)寄せヨンサ、晩稲(おくて)寄せ
ヨンサ、二十四孝のたからもの、丈(たけ)長う稔るホオイ」と叫
びながら五穀豊穣を祈ります。

 ユニークな石仏で有名な長野県南筑摩郡坂井村にある修那羅(し
ょなら)峠は、遊歩道の両わきに千体もの石神、石仏がならんでい
ます。観光客はカメラを手に山の斜面につけられた小道を行き交い
ます。

 人気の表通りからはずれた北東の隅にも山ノ神の祠があります。
この山の神は子授け、安産、婦人病の神なのだそうです。木の祠の
なかの女神像は、奉納された色とりどりの下着に囲まれて鎮座まし
ましておわしました。

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■山彦

 山彦はオーイと呼べばオーイと返ってくる、あのエコーとしてだ
れでも知っているヤマビコですが、昔は山中に声を発する何物かが
いると考えました。それは人間の言葉をまねするアマノジャクだと
も、山のババアだという地方もありました。

 これとは別に山の中の何かの霊のしわざではないかという考え方
もありました。そしてそれを木霊(こだま)と呼びました。木霊は
いうまでもなく樹木に宿る精霊です。♪こだまが呼ぶよ、ヤッホー
……のあれであります。

 木霊の記録が最初に出てくるのはあの「古事記」で、ククヌチの
神がそれだとされています。また「箋注倭名類聚抄(せんちゅうわ
みょうるいじゅしょう)」には樹神の和名「古多万(こだま)」と出
ています。

 また、山彦は山響き、山鳴りなどともいい、山彦は山の神、山男、
天狗の仕業と考えられていたようです。

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■山宮・里宮

 一つの神社でよく、山の上と人里の2ヶ所にお宮があります。山
宮(奥宮)と里宮と呼んでいます。里宮は大きな社(やしろ)で、
山上や山腹の山宮は小さな祠(ほこら)だったりします。

 宮とは御屋(みや)、社は屋代(やしろ)でともに神をまつって
あるところ。祠は神庫(ほくら)から転じた小さな社のことだそう
です。山宮・里宮は土地によって、春宮・秋宮、下社・上社、前宮
・本宮と呼ぶ所もあるようです。

 ふだん山の上にいる神が、春になると里におりて田の神になり、
秋にまた山に戻るという信仰があります。山の上にいる神を礼拝す
るため、人里にむかえまつったのが里宮だという説があります。

 また、いやいや村人の生活の場でまつられていたものが、神は天
上から降りてくるという観念から、次第に生活中心である里から離
れた山上や山腹にまつられるようになったのだという説もありま
す。

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■雷 神

 「雷とは……強い上昇気流によって発生した積乱雲に伴っておこ
り、雲と雲との間、雲と地物との間に生ずる放電現象をいう。上昇
気流をおこす原因の違いによって熱雷、界雷、渦雷などに分けるが、
実際にはこれらの原因が複合する場合が多い……。

 百科事典をひくと、こんな文字が出てきます。こんな科学的に解
明されたこのごろでも、雷は こわいもの。ゴルフ場のような原っ
ぱ、山のてっぺんでゴロゴロとやられたらもう、熱雷もヘチマもあ
りません。ただ逃げまわるだけ。毎年何人かは亡くなっている始末
です。

 ましてや何も知らないムカシの人たちは、ただひたすら神の怒り
として恐れおののき、畏敬したにちがいありません。

 雷は神鳴りの意味。古事記の中に伊弉冉尊(いざなみのみこと)
が亡くなり、夫の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が妻がいる黄泉国
(よみのくに)に逢いに行き、その死がいをみると、「蛆(うじ)
たかれ(肉が)とろぎて、頭には大雷居り、胸には火(ほの)雷居
り、腹(みはら)には黒雷居り、陰(みほと)には折(さく)雷居
り、左の手(みて)には若雷居り、右の手に伏(ふし)雷居り、併
せて八(やくさ)の雷神(いかづちがみ)成り居りき」というもの
すごさ。荒ぶる神なのであります。

 雷を「いかづち」とも詠ませます。「いか」とはイカメシイの厳。
「づち」は「みずち」のづち、すなわち蛇の精霊のことだそうです。
そういえば「日本書紀」に、雄略天皇の時代、チイサコベノムラジ
ガスガルという人が、大和三諸山の雷神をつかまえて天皇にみせた
ところ、その神体は大蛇であったと出ています。

 蛇が長じて竜となり、竜神となったのがイカヅチだとも思われて
いたようです。また稲光を稲妻(いなづま)といいます。雷の持っ
てくる雨は、稲の生育にかかせないもの。雷は作神であり、雨乞い
神として信仰されました。一方、雷は獣の仕業と考えられたことも
ありました。

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 「今昔物語」に、越後の国の神融聖人が雷を捕まえ、かんがい用
の水を送れば天に帰してやるといったとあります。そして良水を得
たなどと出ていますが、雷は雷獣で、狸、狢(むじな)、狼、狐、
猫のようなものを連想していたようです。

 「和訓栞(わくんのしおり)」(江戸時代の国語辞典)には雷獣を
「明和乙酉二年(1765)の七月に、相州雨降山(神奈川県丹沢
の大山)に落ちたるも猫より大きく、ほぼイタチに似て、色、イタ
チより黒し。爪五つありて甚だたくまし。先年岩附に落ちたるもほ
ぼ似て胴短く色灰色也といい、又尾州知多郡の寺に落ちて塔にうた
れ死にたるもネズミにて犬の大きさ也といえり」というようなこと
を記しています。

 これらの雷獣は、秋に穴に入って眠り、春には穴から出てきて活
動する……雷獣は冬眠すると考えていたらしいのです。

 落雷のあとは神聖な場所として、落ちた木は神秘な木とされ、注
連(しめなわ)をはり田んぼならモリ(塚)として、畑なら作物を
つくらずにおきました。雷が落ちると高圧の電流で砂がとけて塊と
なります。この塊を雷石(ファルグライト)といい、ご神体とする
所も多いとか。

 トツゼン登場するのは菅原道真公。左大臣藤原時平におとしいれ
られた道真が雷神となってたたり、京都の街では、あちこちでピカ
ッ、バリバリ、ドーンというすさまじさ。

 しかし、道真の邸があった桑原だけは一度も落雷しなかったとい
う。そこで人々は雷が鳴ると雷よけに「くわばら、くわばら」と呪
文を唱えて逃げたということです。

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■竜 神

 浦島太郎が3年間暮らした竜宮城こそ竜宮の住む城。竜神は海の
神です。また、ヘビが長じて大蛇になり、大蛇が年をくって天に昇
り竜になるといわれます。

 ヘビは湿地を好むことから水の神とされます。そんなことから竜
神は水の神でもあります。そういえば、あちこちの漁村に竜神社や
竜神祠がまつられて船の安全や豊漁を祈願されています。また池や
淵などでは水神としてまつられ、かつては雨乞いの祭が行われたり
もしました。

 さて、胴がヘビ、角はシカ、目鬼兎、耳は牛に似た巨大な、は虫
類とされる竜は、4本の足、体には剛鱗をもっているという。また
中国では角はシカ、頭はラクダ、目は鬼、耳がウシ、ひげがコイ、
首はヘビ、腹はワニ、足がトラ、爪はタカとされ、天をかけ、雲を
よぶという。それにインド流に、手に如意珠を持つのであります。

 また水神には竜王がよくまつられています。竜王とは竜族の王だ
とする中国の考え。仏教の八大竜王に結びついています。八大竜王
とは、法華経にも出てくる八種の大竜王のことで難陀(なんだ)、
跋難陀(ばつなんだ)、娑羯羅(しゃがら)、和修吉(わしゅきつ)、
徳叉迦(とくしゃか)、阿那婆達多(あなばだった)、摩那斯(まな
し)、優鉢羅(うはつら)の竜王たちのことと難しい話になってい
ます。娑羯羅は娑伽藍(しゃがら)とも書き、雨乞いの本尊だそう
です。

 和修吉は頭が多くある竜王で、徳叉迦は舌が多くあり視線に毒が
あり、にらまれると人や家畜たちどころに死ぬといいます。阿那婆
達多は馬形の竜、摩那斯はヒキガエル形の竜王だといいます。雲を
よび、雨を降らせ、稲妻を走らせる竜王は雷神とも結びつき、ホコ
ラの前はご神体が好きな卵や線香が絶えません。

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(第1章 終わり)

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